184回目 23:乱気流(2)
老紳士を庇った格好になったウィルに牛男の鉄塊が振り抜かれた。その直後牛男は動きを止め、手にした物の先端を眺める。そこにあったはずの標識の部分が千切れて消えていた。
老紳士とウィルは変わらず無事にそこにいて、ウィルは左拳を見つめていた。
「今の俺がやったのか?」
衝突が避けられないとわかった刹那、ウィルは咄嗟に左拳にバウンドを最大出力で集中させダメ元で標識の軌道をずらそうと迫る標識にそれを叩きつけた。結果はずらすどころではなく、ウィルの左拳で溶けるように標識の先端が消滅したのだ。
ウィルが迫る殺気に我に帰ると、牛男の拳が彼に迫っていた。ウィルは今度は自身の足にバウンドを集中し、跳ねる。弾き飛ばされたようにウィルと老紳士は道の端から端へ移動していた。牛男の拳はそのまま空を裂き石畳を粉砕する。ウィルは確信した、この力があればこの状況を打開できるかもしれない。
ウィルはその場の状況を観察し行動プランをいくつか立てると、こちらに向けて走ってきた牛男を見て再び跳ねた。一回目、ウィルは着地した住居の壁を蹴り、二回目、牛男がこちらの動きに順応し側にあった荷台を掴み持ち上げたのを確認しながら地面を滑るように蹴り、三回目、速度の差で出来た隙を縫って牛男の股をすり抜け、デミィが使っていた対魔気功術の力の使い方と体捌きを真似て両脚両腕にバウンドを集中、身体を捻り体勢を変え両手で地面を叩きミサイルの様に強化した脚力で牛男の顎を蹴り上げた。
牛男の身体が浮かび白目を剥いた彼は口から舌を出しながらそのまま地面に転がり泡を吹く。
「ハァッ!」
地面に着地した瞬間ウィルは自分が呼吸を止めていたことに気づき喘ぐように息を吸い込んだ。
立ち上がった牛男の目は怒りで狂っていた。
「忘れようもないその体捌き、その力。貴様ラームジェルグの残党か!!」
ウィルは自身の目を疑った、レイスはシャムシールの魂がシャムシールの民族のみに答えるもの。それが獣人であるヴァリスの牛男の気迫に呼応するように歪な渦を巻いて集結し、巨大な斧を実体化させ彼の手中に収まった。ヴァリスが魔法を用いたのだ。そしてその光景に気を取られている間に周囲を紫色の液体に取り囲まれていることに気づく。牛男の咆哮に呼応するように無数の火柱が液体から立ち上り炎の壁となって周囲を包み込んだ。
「ねぇ君、覚悟決めなよ。そうなるとそいつ相手を殺すまで止まんないから。本気で殺しに行かないと君死んじゃうよ?」
その声のした方には建物の屋上に腰をかけ足をぶらぶらとさせて眺めている女性と、側に立つ黒いマントに身を包んだ一人の人物の姿があった。
瞬間。
ウィルの体に強烈な圧がかかり血が逆流したような悪寒が彼を襲う。
鈍重だったはずの牛男が斧をふりかぶりながら弾丸のような速度でウィルに肉薄し、その風圧がウィルを吹き飛ばした。ウィルのいなくなった空間を牛男の斧が抉り取る。斧の生み出した空圧で石畳が消し飛び、周囲の建物のガラスが砕け散った。それはもはや爆風とでも言えるような衝撃。立ち上がりながらウィルは自分の足が震えていることに気づいた。しかし彼は倒れたまま動かない老紳士の姿を見ると唇を噛んで血を流し自らを奮い起こす。いなくなったウィルを探していた牛男が彼を見つけるとその兜の奥の瞳が狂気じみた笑顔を浮かべ再び彼に突進を仕掛けてきた。
ウィルの心が焦りと恐怖に飲み込まれ全身の感覚が凍てつきかけた。しかしその時彼の目にアンジェラの姿が見えた。そして彼女の足元の老紳士の姿も。ウィルがここで倒れれば彼の命は尽きる。その事実はウィルが再起させるのに十分な力を与えた。気が付くとアンジェラの姿は消えてなくなっていた。
ウィルは焦りに飲まれないよう腹に力を入れ分析する、そして信じて想い描く、彼が勝利する物語を。
戦力差は歴然、斧の持つ能力も不明、だが冷静さを欠いている彼は動きが単調だ、それこそ暴走した牛の様に。
「いいぞ来いよ、そのままこっちに来い!」
ウィルは牛男を凝視しながら彼が接近した瞬間指を鳴らす。牛男の眼球に破裂魔法が直撃し彼の姿勢が崩れ、その勢いのまま建物の壁をぶち抜いて中へとなだれ込んだ。牛男が苦し紛れに斧を振り抜き、その暴風に吹き飛ばされたウィルの片腕を握り締めた。骨が砕ける音、ウィルは叫びそうになるのをこらえてその機会を待つ。牛男はウィルにとどめを刺すため彼を床に叩きつけようとした、ウィルは身体が地面に接触するより一瞬早く指を鳴らす。
次の瞬間牛男が見たのは建物の天井だった。
自分に起きた状況が理解できず、牛男はそのまま中空に吹き飛ばされる。彼の身に纏った鎧が斧で砕き裂かれたように抉れ、その穴から鮮血が勢いよく吹き出し周囲の壁を赤く染めた。
ウィルはバウンドを連鎖的に発動させ、牛男が一時的に視界を失い振り抜いた斧の打撃をリレーさせ、ウィルが叩きつけられかけた地面の下まで移動させ牛男にそれをぶつけたのだ。牛男から解放されたウィルは身体強化で受け身を取りその場から距離をとった。そして牛男を見上げると彼は鼻と口から血を吹き出し荒い息をつきながらウィルを睨みつけ、再び斧を振りかぶる。
牛男の怪我の具合そしてここへ至るまでの行動から残りの体力は多くはないはず、ウィルは確信した、次の一手で牛男最強の一撃が来る。あの斧の力は風、爆風を起こし牛男の推進力と斧自体の破壊力を増幅させている。そして彼にはその力の繊細なコントロールは不可能なのは現状を見れば明らかだ、戦略は見えた。
斧を形成しているレイスが励起し、必殺の一撃を放とうとしているのを感じ取ったウィルは、空中から牛男が放った局所的な核爆発のごとき一撃を身体強化で躱し、彼がウィルに振り向くより早く指を鳴らした。
牛男の放った衝撃はウィルのバウンドにより建物全体に伝播し、各ポイントで反射爆縮を繰り返して建物自体を無数の弾丸と化して射出させた。銃弾の雨がウィルと牛男に襲いかかる。
「あの子心中でもするつもりなのかしら」
そう呟きながら屋根から見物していた女性にマントの男が火の壁を指差してみせる。
次の瞬間猛烈な速度で馬車が壁を超え突入してきた。
馬車は崩壊していく建物に突入しウィルに向けてまっすぐに駆ける。
「ウィル!来い!!」
そういって馬を操りながらウィルに手を差したのはマークだった。ウィルは彼の手を握って馬車に飛び乗り、老紳士の服を掴み引き上げようとする、しかし片腕と傷だらけの体では力が足りない。そんなウィルにレミアが手を貸して老紳士を二人で荷車に引き上げた。
ウィルが牛男を見ると、彼は銃弾の雨に血塗れになり、崩壊していく建物の瓦礫に巻き込まれながらも真っ直ぐに、憎しみと怒りを込めた目をしたままウィルを見据えていた。
炎の壁を超え、ウィルは忘れていた全身の痛みが蘇りへたり込み痛みにうめき声をあげる、その声に申し訳なさそうにマークが口を開いた。
「警察が取り合ってくれなくてさ、馬車かっぱらうのに時間かかって悪かった、だけど何無茶してるんだよ」
「馬車の音が聞こえたから、賭けてみたんだお前に」
「な……バッカお前、俺を買いかぶりすぎだっつーの」
マークは顔を赤くして照れる。
そんな彼を見て笑顔を浮かべるとウィルはそのまま荷車の中で気を失い、レミアは彼の傷ついた腕にそっと手をあてた。
「なかなかやるじゃない王子様」
愉快そうにそういう女性、その横でマント姿の男はフードを脱ぎ顔をあらわにし髪をなびかせる。端正な顔立ちに気品溢れる風貌がそこにあった。
「彼がウィリアムか」
そう呟くと彼は爽やかな笑顔を浮かべた。




