173回目 空の騎士 12:真実の声
少女は少しやることがあると兵士達に言うと、彼らは平静さを取り戻した少女の様子にそれを許諾し、彼女は籠だけを片手にさげテントから表に出た。
ひゅぅうと風が彼女を撫でた。
少女は毛布を持ってこればよかったかなと思ったが、なんとなく風にあたりたい気分だった少女はそのまま歩いていく。
夕日が沈んでいく、その光は次第に鋭くなりながら城の輪郭を光のラインで照らし出していた。
真上を見れば紫の夜がそこにあり、一番星はもう光り輝いている。
数枚の枯れ葉が彼女の横を風に乗りかすめて流れていった。
見覚えのある葉だ、畑の植物のもの。
もうすぐ季節がかわり、今畑にある植物のほとんどが枯れてしまうだろう。
畑に通りかかり、少女はその葉に触れる。
この畑は元々この城で少女の身の回りの世話をしていたメイド達が趣味で勝手に作ってしまったものだった。
彼女の父はそれを笑いながら、実った果実を食べるのを毎年楽しみにしていたっけ、なんて過ぎ去った過去を思い出す。
でも同時にそれは昨日の記憶へと繋がってしまう。
みんながいなくなり、ひとりぼっちで畑の世話をしてきた。怪我をして泣きべそをかいても手当てしてくれる手も、慰める声もない生活。胸が張り裂けそうな想いを重ねながら彼女の心はからからに乾いた石のように無機質に変わっていった。
そんな中で騎士が来た時、少女は正直自分の目が信じられなかった。
心の中ではいらぬ期待をしないように、自分の敵だと必死に思いこもうとなんてしてしまいながら。でも彼に話しかける言葉の一つ一つを発するたびに泣きそうになるほど嬉しかったことを思い出していた。
もっと素直になれば良かったと思う、彼女はそう思いながら立ち上がり、歩いていく。
日の光と夜の灯りが入れ替わっていく。
城の中に踏み込むと兵士達が差し込んだのだろうか、城中の松明入れに煌々と松明が燃えている。こんなに明るい城内は久しぶりだった。
出口に近づく少女の前に一人の大剣を担いだスレイヤーが現れた。
彼は彼女の方を見ると、よぉうと不敵な顔で声をかける。
そつなく会釈をして通り過ぎようとする少女に彼は一本のナイフを差し出すと聞きたいことがあると話しかけた。
彼女はそのナイフに見覚えがあった、立ち止まり彼の顔をいぶかしげに見る。
彼はこれは返すよ、と少女の籠にそれを入れる。
どうゆうことですか?と彼女は彼に聞いた。
スレイヤーは訳知り顔で壁に背をもたれかけさせると、少女にどこまで知ってるんだ?と訪ねた。
少女は何も言わずに彼を見る、しかしその瞳の中にはかすかな動揺の色があった。
「呪詛爆弾・・・なんだろ?」
彼のその言葉に少女は唇を噛み俯く。
彼女はその名を知っている、騎士の読んだ手紙を彼が来るずっと前に彼女も読んでいたのだ。
呪詛爆弾とは魔物の汚れの性質を用いて、その源を使い対象物を魔物に変えてしまう。いわば時代の暗部にしか存在しない、俗に言う触れられざる物である。少女はそれのために魔物に変えられてしまったのだ。
少女の国は小国のうえ争いを好まない平和な国だった。
だがそれが災いして大国の勢いに押され、国の持つ資金や財産が減り、疲弊して今にも潰れてしまう寸前まで追いつめられていた。
そんな中持ちかけられた計画、スレイヤーの中の一人を英雄にするための舞台作りの生け贄に少女は無理矢理担ぎ出されてしまった。
だが呪詛爆弾の力が計画よりも大きかったのか、事故は起こった。
彼女はこれからじっくりと魔物の体に変化していくそれまで隔離される予定だった。
しかし呪詛爆弾が彼女の中で爆発した瞬間、彼女の力があふれ出し城中の全ての人を石に変えてしまったのだ。
少女が目覚めると全ては終わっていた。
鳥かごのような檻は彼女が放った力の影響で変質し朽ち果て、その口をだらしなくぶら下げていた。
周りには物言わぬ石に変わった父と母、そして見知った者達の姿が……。
彼女は吐き気を催し、口をふさいだ。
胃の奥から喉を焼く酸がこみ上げてくるのを必死で耐える彼女に、スレイヤーはあわててわたふたする。
少女がなんでもないと彼に返すと、スレイヤーはほっと一息ついて済まないと言うと、一息ついて彼女の顔を見る。
彼は思案げに
正直俺はこの結果に驚いてる。といった。
呪詛爆弾で汚染された人間はある一定期間を過ぎると、人間としての心を完全に失ってしまう。
そうなってはどんな方法を使っても人間に戻すことはできない。
魔物その物に変わってしまうのだから。
しかし少女は今ここにただの人間として存在していた。
そんなことはありえないことだとスレイヤーは、本当に不思議そうに言った。
少女はそんな彼に迷うことなく、たった一つの確かな答えを言うだけだった。
彼のおかげです。と彼女は騎士のナイフを見つめながら言う。
そんな彼女を見てスレイヤーは少し寂しそうで、でも満足そうな顔で、やっぱりそうか。と言った。
あいつが来たんだな……と呟くと、彼は何かを思い出すように遠くを見つめ、ふと視線を降ろすと続けた。
世の中には目に見えたヒーローがいるのさ。と彼は言う。
そうした象徴があること、そしてそれが人々の羨望の目を集め栄華を極めていること。そうすれば人間なんていちころだ。たとえどんな命令をお上が下したとしても、まるで麻薬でも使ってるかのようにしたがっちまう。
スレイヤーは足下の小石を拾うと、松明に向かいそれを投げつける。
パチパチッと音を上げる松明を見ながら彼は言う。
やり方は間違っちゃいるよ、だけどそれが必要な社会なんだ。
きれいきれいでこなせるほど種の闘争は甘くない、特に人間みたいな欲深い生き物にはな。
というとスレイヤーはおもむろに自身の肩の革のベルトをはずし、中の聖痕を少女に見せた。
淡く光るそれは子供の拳ほどの大きさで、騎士の物と比べるとずいぶん小さい。
少女の様子を見たスレイヤーは、本来聖痕っていうのはこれくらいのサイズで、こんななめし革で隠すだけで十分なくらいの力しかないんだ。と言う。
そして皮のベルトを聖痕の上にかぶせながらスレイヤーは続ける。
あいつのように腕いっぱいに広がった聖痕も、元々はブレスレットくらいで抑えが効いてたはずだ。
いまとなっちゃ精霊銀のガントレットで押さえ込み、その精霊銀のガントレットすら聖痕の解放に異質化してしまう状況なんて異常なんだよ。
相当無茶をしてきた証だな。
とどこか悔しそうな顔で彼は言う。
魔物と戦うたびに人は汚れを背負う。
普通のスレイヤーならその汚れが浄化するまで一般業務、ベテランなら新人の先生でもして適当に食いつなぐ。
でも奴は休むいとまもなくずっと戦って戦って、カサブタができるたびにそこに傷作ってるようなもんだったのさ。
まるで戦場が家みたいにしてるから、狂犬なんてあだ名で呼ぶ奴もいる。
あいつも最初はただのスレイヤーだったのに、傷だらけになりながら確実に力をつけて。でもあいつはトップクラスの力を誇示もせず、ただの雑用を誰よりも完璧に、誰よりも多くこなしてたくさんの人を救った。
それは誰が貶したって汚せっこない事実だ。
みんなどう思ってるかは知らないが、奴はとんでもない馬鹿野郎さ。
そんなあいつのことを尊敬してる奴がいたらイカレてらぁ。
でもま、きっとその仕事が見れただけで満足になれるんだ。
そんなヤツが一人二人いたって悪くはないと思うけどよ。
と彼は少し無邪気な光を目に宿らせて言った。
少女はそんな彼を見ると小さく頷く。
この三日間、彼がいなかったら彼女は人のままでいられなかった。
そしてきっと騎士の前で魔物に姿を変えた時も、蛇を使って人々の動きを止めるだけではなく湧き出す衝動に飲まれてまた何人の人を殺していたかわからない。
それは間違いなく彼女が実感している事実だった。
そして彼女は騎士の言っていた言葉の意味を、ほんの一かけわかったようなきがした。
生きることなのだ。
自分にとって自身がいかにちっぽけで非力でも、信念を持って正しく自分として生きること。
それが自分の知らないところでいずれ誰かに力を与え、また多くの人を救うことができる。
彼はそんなことに気づいたんじゃないかと少女は思う、騎士は生きるためにあの場所であの選択をしたのだと。
少女は城の外へと歩み出す。
風はすっかり冷たく、空は青い闇に包まれて
月や星々が眩しく光る。
あの場所へと、彼女は一人歩いていった。




