172回目 空の騎士 11:幕間の一時
どこまでも増殖し城の中を海のように満たしていた蛇の群れは、まるで白昼夢だったかのように綺麗に消えてしまっていた。
黒い蛇が凝り固まってできた化け物の首に向かって、袈裟切りに振り下ろされたスレイヤーの大剣は空を切り地面に突き刺さる。
彼があっけにとられてキョトンとしているとビュッと音と共に矢が彼の顔の隣で止まる、スレイヤーの手は間一髪それ掴んでいたのだ。
彼がその矢を見て、仲間を見る。
どうやら消えた化け物を狙った物らしい、仲間は何がなんだかわからんといった具合に頭をかしげ手を振っていた。
スレイヤーは甲冑の中の目に勘弁してくれよといった色を浮かべながら、思い出したように黒い蛇の源泉である塔を見た。
塔をまるで黒金の柱のように包み込んでいた蛇も消えている、スレイヤー達は兵士を引き連れ塔へと急ぐ。
しかし大剣のスレイヤーはその時あることに気がつき、ふと足を止める。
おかしい、本来ならこんなはずはないのだ。
彼は仲間にどやされるやいなや少し駆け足で塔を登る。
そんなはずはないが、もしかするともしかするかもしれない。
こんな時に彼の重装甲が恨めしかった、盾を投げ捨て剣を鞘にしまうととまどう兵士や仲間達を押し分けて狭苦しい螺旋階段の石段を登る。
その物々しい団体の先頭には戦場には過剰装飾のような風合いの鎧のスレイヤーがいた。
彼は兵士達が打ち抜いた天井の穴に壁の煉瓦の出っ張りを蹴り飛ばして、鎧を着ているとは思えないほどの軽やかな身のこなしで飛びつき、その上の通路に出た。
ここから先は彼一人で進まなければならない、そしてこの先にいる魔物を殺し。英雄になる。
それは全て予定調和のことだった。スレイヤーに自信はある、ただこのチャンスを逃してなる物かという焦燥感が彼に冷静さをかけさせていた。
数匹の弱った蛇が落ちてくる。
脳膜をけたたましく揺さぶるような高温を上げながらスレイヤーの透明なレイピアが蛇をまとめて斬り伏せた。
断面がまるで標本のように平らで、細胞まで見えそうだった。
それらの亡骸が消えるのを前にしながら、彼は動かない。
その先に何かいる、その気配を感じ取っていた。
スレイヤーの鎧から糸のような物が垂れ下がっていく。
それは風もないのにその空間の中に広がると、生き物のように一斉に鎌首を上げた。
そして道の奥から出てきた影に向かって―――
―――スレイヤーの動きは止まっていた。
顔にはものすごい不快感をたたえた表情が浮かんでいる。
彼が後ろを振り向くと、そこには息を切らした大剣のスレイヤーの姿があった。
その重装甲の足に彼のマントが踏まれている。
大剣のスレイヤーは青筋を立てている過剰装飾なスレイヤーに、黙ってグリーンの表示の警報機を見せつける。
過剰装飾のスレイヤーがそれに驚き、ばっと前に振り返ると、
そこにはただの人間の少女が青い顔で倒れていた。
静かになった城の内部では兵士達の作業音と声だけが聞こえている。
一人の男が廊下で立ち止まった。
絨毯が少しシミになっているその場所の壁には、不自然な位置にナイフが刺さっている。
男はそれを抜き、品定めをするように見るとなるほどと呟いた。
少女は毛布を被ったまま、兵士達の作った仮設テントの中にいた。
その目は考えることを止めてしまったように冷たく、周りに人がいなければなにをするかわからないような不安感を抱かせる。
そのせいかどうかは定かではないが、少女の周りには常に一人二人の兵士がいた。
少女は騎士の温もりを思い出そうと毛布をたぐる。暖かい、だけど毛布なんかじゃ思い出せない。少女の目はますます濁り、その肩は悪い病気にでもかかったかのように震えていた。なにもいらない、ただあの温もりさえあればいいと少女は思った。
次第に自分の中に閉じこもりかけていた少女の目の前に、一つのカップが差し出された。
少女が顔を上げると、そこには気のよさそうな若い兵士がいた。
あたたまりますよ。と彼はカップを少女に差し出す。
彼女はそれを受け取ると中の湯気の立つスープを見つめながら、遠くを眺めていた。
兵士は見かねた様子でハンカチを彼女の前ではためかせそれを手の中に入れると、それを彼女に見せながら開いてみせた。そこには武骨な兵士の見た目にそぐわないかわいらしい花があった。
彼女があっけにとられていると、へへへといたずらな顔で兵士が立ち上がりそれを少女に渡す。
あまり勝手なことをするなよ、俺もどやされるんだぜ?と同僚にあきれ顔で言われながら、
兵士は悪い悪いと頭を掻きながら笑っている。
少女の方をちらっと見ると
やっぱり笑った顔の方がかわいいですよ。と彼は言う。
少女はえ?というと自分の顔を触る、笑っているかどうかそれでわかるわけもなかったが彼女はその時なんだか自分の頬を暖かく感じた。
まるでその時そばに騎士がいて、一緒に笑ってくれているようなそんな気がしていたからだ。
少女は彼が残してくれたものに気づいた、それはまだ彼女のそばにあったのだ。
同僚に失礼なこと言うんじゃないとはたかれる兵士に、控えめにありがとうと少女が言うと、彼は光栄であります。と軽い雰囲気で敬礼をする。
同僚の兵士は意地悪そうな顔をして、コイツには貴方と同じくらいの娘がいましてね、慣れてるんです。という。
そう言えばお前娘さんの日記勝手に読んで嫌われた時、似たようなコトしてなかったか?
などと彼らは雑談をしながら笑っている。
そんな二人を見ながら少女は安心したような表情をして、スープに口を付ける。
……あったかい。彼女は自分でも気づかずそう呟いていた。




