154回目 8:神話と巨像(2)
ウィルはエドワルドの書いた神話を読む、それは難民である事で発生する強いストレスと自己認識の崩壊を利用し、読み手達は神に選ばれた栄光と共にある種族であるというテーマが基本骨子として描写された物語だった。
ウィルはシャムシールの人間ではあったがデミィにより不自由のない暮らしを送っていたため影響はなかったが、難民としての苦しみを味わったものがそれを読み教会からの庇護を受けてしまえば本人の意思など関係なく本能的に教会に対して隷属してしまうような狂気の文法がそこにはあった。
エドワルドの物腰からは考えられないようなその物語にウィルは息を飲む。
同時に彼は確信する、エドワルドは間違いなく天才と呼ばれる部類の人間であり、そのためにこの仕事をさせられているのだ。
ウィルがエドワルドを見るとそこには耳を伏せながら虚ろな目をした彼がいた。
「俺が同じ立場でもきっと同じことをしたよ」
気休めにしかならないような言葉でしかなくても、ウィルはそう彼に言った。
その言葉に答えるようにエドワルドは深く呼吸をすると、ウィルを見て口を開いた。
「ボクの母さんはこの都市に流れ込んできたシャムシールの難民に殺されたんだ」
エドワルドの顔は驚くほど冷静だった。
雲の切れ間から差し込んだ光で部屋の中の紫色の水晶が部屋に傷跡のような光を落とす。
「目の前で母さんを殺されて、ボクの獣化症が発症した」
ウィルには彼が自分の感情をどこに捨てたのか知ってほしいという気持ちがわかった。言葉の代わりにウィルがうなづくとエドワルドは意を決して言う。
「復讐だったんだ、ボクがやってきたことは」
その物語に折りこめられていた狂気にも似たものはエドワルドの怒りだったのだ。
「復讐のためにただ言われたまま書いてきて、ある日気づいたんだ。ボクが書いた物語の影響を受けるのは母さんを殺した奴だけじゃないって」
エドワルドは胸に手を押し当て苦痛の表情を浮かべる。
「ボクのしたことで大切な人を失った人を見てようやく気付いたんだ、でもその時にはもう手遅れだった」
「人を騙す物語を書いてきたボクにできるだろうか」
それは彼の迷いだった。ウィルはその迷いに光明をもたらす為の言葉を探す。
「それならもう一度騙そう」
「それじゃ誰も救われないよ」
「誰かを傷つける嘘じゃなくフィクションを描くんだ」
「物語の嘘……?」
「この世界に対する感じ方や生き方をフィクションから学ぶ人って意外と多いんだよ。人間らしさなんてあいまいな基準も存外名著と呼ばれている作品がベースに含まれてることが多い」
「でも嘘じゃ現実はなにも変えられない」
「そう現実は変えられない部分がある。だからこそ人々にはフィクションが必要なんだ。自分が闇の中に迷い込んだことすら気付いていない人達に光を照らす物語を、人の中核をなす嘘を書く。きっとそれが君が今までしてきたことの本当意味なんだ」
「ボクの作品を読んだ君にまさかそんな事を言われるなんて思ってなかった」
「君の作品が凄すぎるからだよ。これだけの作品に手を加えるのは俺一人じゃボロが出る、少し変則的なやり方になるけれど君の助けが必要だ」
「だから嘘をついたのかい?」
「作品について感じとるのは読者の仕事、作者に聞くものじゃないだろ?」
ウィルはそう言ってエドワルドに微笑む。そんな彼にエドワルドはかぶりを振りながら緊張の解けた顔を見せ、白紙の原稿用紙とインク瓶を手に取りウィルの隣に腰を下ろした。
「ジャンルはどうする?」
「どんな時代背景でもどんな政治的な意図のある神話でも勧善懲悪に塗りつぶしてしまえる業の深いジャンルがあってね」
興味深そうな表情をしたエドワルドにウィルは続ける。
「ファンタジー小説っていうんだ」
「聞いたことないな」
ウィルの今いるこの世界では現実的な物語が主流でまだ空想の世界を描写する物語は一般的ではなかった。おそらくシャムシールなどが実際に魔法の力を使う事に起因しているのだろう。
「ファンタジー小説でもひときわ人の心を掴んで離さないジュブナイルで行く、エドワルドが物語のベースを書いて、それを俺が羽ペンでファンタジー小説にする」
「小説を書くのに原作者を使うなんて初めて聞いた」
エドワルドはペンを走らせ始める。
「君の話はボクにとって初めてばかりだ、もっと言葉で君の物語でボクに外の世界の事を教えて」
その言葉にウィルはもちろんと力強く答えた。
ウィルがエドワルドの書いた話を翻案して羽ペンで冒険活劇を書いているとレイスが集まり周囲の紫色の水晶が内側にほのかな光を宿し細かく震え始める。紅茶を淹れていたエドワルドはその様子に驚きウィルを見るが、彼は周囲の異変に気づかず物語を書く歓喜をかみしめていた。
スランプだったのが嘘だったかのようにブロワから学んだ事が歯車のように噛み合い彼の中で大きな変化を起こそうとしている、その手応えが彼の情動を突き動かし筆を進めていた。
ウィルのそんな様子を見ながらエドワルドは思う。
何もない闇の荒野の中を生きていた彼自身のこれまでを。
これから先もそれが続くと諦めるしかなくて、この世界を構成する全てが憎くて彼が物語を書く時の感情はいつも怒りだった事。だけどウィルとこうして書くのは不思議と心地が良くて、嬉しくなるのだ。
エドワルドは机に紅茶の入ったカップを二つ置くとウィルの隣に座りながらつぶやく。
「物語を書くのは楽しくてもいいんだ、初めて知ったよ」
「自分を見失わなければきっと辿り着く場所がある、それを伝えられる物語にしてみよう」
ウィルが筆を進めながらそういうとエドワルドはわざと大げさに体を動かしながら言う。
「おいおいウィル、君はなんて事を考えるんだ。僕が今まで教会に指示されてきた教義を広めるために仕掛けたメソッドからかけ離れた所業だ、全く許される事じゃない」
ウィルが顔を上げてエドを見る、すると彼は
「そんなのやるしかないじゃないか」
そう言って不敵に笑った。
「構成の調整は僕がやる、ウィルはどんどん書き進めてくれ」
「ああ、やろう。作るぞ俺たちのジュブナイルを」
「ワクワクしてきたよウィル」
「俺もさエド!」
ウィルは花をくれた少女が笑顔でいられるように苦しい時に支えになるような言葉を紡ぎ、ただ平穏を望むだけの人々の善意を悪意に転換しないための道標になるように願いながら描く。
現実と理想の間の絶望を絶え間なく味わってきたウィルだからこそ描ける物語で綴っていく。
もちろんそれらをブロワから学んだ技術で最高に楽しいエンターテイメントとして昇華させて届けるのだ。
この街にアンジェラも呼べるような希望の種を蒔こう、エドワルドも誰しもがいつかここを故郷と呼べるような場所にするために。
ウィルとエドワルドは祈りを形にしていく。
一方そのころ大聖堂の地下深く脈動する巨大な物体があった。
エドワルドの部屋にあるのと同じ紫の水晶の巨大な塊を中心にレイスが集まりその物体を構築していく。
大聖堂が集めたシャムシール族の信仰でレイスがヴァリス族の教義の神をこの世界に具現化させつつあった。




