153回目 7:神話と巨像(1)
ウィルは所在なくジャッカルの少年の姿を見ていた。
「珍しいかい?」
「俺の父さん以外の獣人を見るのは初めてでつい」
「獣化症のヴァリス族とシャムシール王族の息子か、なんだか羨ましいな」
少年は不意に襲ってきた頭痛で足下をふらつかせ、倒れかけた彼をウィルがささえた。
「ごめん、獣化症の症状で少し頭痛が。薬を飲まないと……」
少年はそう言って薬瓶を取りいくつかの錠剤を出すと口の中にほおり込む。
「おっと水水」
ウィルは水桶からコップに水を汲むと少年にそれを手渡した。
「ありがとう」
水を受け取った少年の笑顔の寂しさにウィルの胸が痛む。
「君も」
少年は自分の目を指さし、ウィルは自分の目の色が元に戻っていることを思い出した。
ウィルは目薬を差し直し、目の色を確認するために鏡を見るとそこには人名のようなものが書かれていた。
「親愛なるエドワルド・ノーア」
「誰かに自分の名前を言われるのは久しぶりだ」
ウィルが小さな声で鏡に書かれた文字を読むと、窓を開け深呼吸したジャッカルの少年はそういった。
東ロンバルド自治区はシャムシール族の難民で構成された街だ。衣食住を提供した教会のヘルヴィム大聖堂が中心にあり、大聖堂で説かれる難民向けの伝説を人々は信仰している。
エドワルドはその都市をそう説明した。
「シャムシールは彼らの王族を恨んでる、そう信じ込まされている」
「だから父さんは乗り気じゃなかったのか」
デミィの様子を思い出しながらウィルは少し考えるとデミィと少年の笑顔がだぶついてふと気になったことを口に出した。
「エドワルドはここでなにを?」
その問いに答えるようにエドワルドは一冊の本を取り出す。
「ヴァリス族の枢機卿グラックスがこの大聖堂とシャムシールの民を支配してる、この聖書を利用して」
手渡された聖書と部屋にある原稿のいくつかからウィルは気づく。
「この都市の偽りの神話はボクが書いたものだ」
「シャムシール族の住民達に与えているのは洗脳でしかない、現実的に救われない分の人々には苦しみのない死を選ぶ権利が与えられている。素晴らしき平等世界の安楽死だ、この楽園は歪みきっている」
苦々しそうな顔をしながらエドワルドはそういった。
窓から入り込んできた光に紛れ込むように小さなレイスが部屋に入りエドワルドの原稿に引き寄せられ消えていく。ウィルにはそれが何を意味している現象なのか理解できなかったがあることを思いつく。
「この都市の人たちに聖書の教義外の価値観を持ってもらえばいいんじゃないか」
そんな事できるはずが、そう口にしようとしたエドワルドだったがウィルの目を見て考えが変わる。
「シャムシールには魔法としか言いようのない力を使うものがいたっていうけれど、君にもできるのか?」
「この羽ペンを使えば人の夢に物語を伝えられる」
ウィルはデミィの悪夢を退けたのと同じことができるんじゃないかと考えていた。あの時アンジェラと一緒にやったのと同じ事ができれば、この都市の住民の中に救える人達もいるはずだ。
「やってみよう」
ウィルのその言葉を聞いてエドワルドは胸が締め付けられる思いがした。彼にはウィルのその言葉に自分を助けたいという気持ちがこめられているように思えたから。やれることがあるならやるだけだ、ウィルの覚悟にエドワルド少年の心は知らず動かされていた。




