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海老怪談  作者: 海老
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狐の女房

実話2 脚色と創作8

苦手な人は避けて下さい。

責任は取れません。

 怪談に凝っていると飲み屋で言うと、大抵の質問というのは女幽霊とセックスできるかというものだ。

 筆者が好きな飲み屋は鰻の寝床のようなバーだ。

 客層は色々である。それでも、男の質問など大抵は似たものだ。

 ミナミの美園ビルにある、酩酊倶楽部というバーで居合わせた弁護士の内川氏から聞き及び、数年前に起きた出来事である。

 筆者もこの怪談の実地調査に立ち会った。





 仮に、ダイスケくんとしておく。


 内川氏の後輩であり、関西の農村で農業を営む若者である。

 ダイスケくんは農村の期待の若手であるが、若いというだけで厄介な仕事を押し付けられることがあった。

 山の手入れもその一つで、共同で管理している場所の世話を押し付けられることが多々ある。

 間伐や共同施設の手入れであるらしいが、詳細なことは知れなかったため、具体的な作業については分からない。

 普段は入らない山で仕事を済ませた後に、今は使われていない道に入ってみたそうだ。

 ダイスケくんがそこに吸い寄せられた原因として、何かがあったのは確実なのだが、その部分だけは頑として口を閉ざすため聞き出せなかった。


 夏の盛りのことであった。


 草木の生い茂る細い道を行くと、古い家屋があった。

 草木に浸食されてはいるものの、朽ちるにはまだ時間のかかるであろう立派な家である。

 人が住んでいないであろうことは、すぐに分かった。電気もなければ、ガスがあったという痕跡も無い。

 生まれ育った農村の範囲内に、こんな家があるというのはついぞ知らなかった。

 狭い村のことだ。

 どの場所に誰それの家がかつてあったという話なども聞き及ぶはずだ。知らない場所があったということに、新鮮な驚きを覚えた。

 廃屋に足を踏み入れたのも、好奇心であったという。

 古い造りかと思ったが、中はそうでもない。

 かまどのあった場所に電気を引いた痕跡や、プロパンガスを使っていた痕跡があった。全て撤去されていたが、残留物でそれと分かる。


 ダイスケくんから聞いた話は、どうにも上手く小説にできない。


 異様に筆が進まず、何度も書き直した。しかし、全てが小説としても成立せず、伝聞としても破綻してしまうため、ここから何があったか簡素に説明をさせて頂くこととする。



 中に、和装の女がいた。

 狐を思わせる容貌である。年のころなら十代半ばから二十代半ばの女だ。

 廃屋にいるというのに、清潔で華美な和装であったそうだ。

 手招きをするので近づくと、手を握られて奥へと連れて行かれた。

 薄暗い廃屋の隙間からきれぎれの光が差し込む中を進み、広い仏間まで案内される。

 見たことも無いほどの大きさの、立派な布団が敷かれていた。

 当然のように女は服を脱ぎはじめる。戸惑ったダイスケくんだが、白い裸身に魅せられて同じく服を脱ぎ捨てて行為に及んだという。

 獣のように交合した後、家を出た。

 泊まっていこうかと思ったが、翌日はどうしても外せない用がある。手を引く女をなんとか宥めて、暗い山道を帰途についた。



 このような顛末だが、それから女と二度と会えなかったという話ではない。



 ダイスケくんは廃屋に通うようになった。

 ひと月もすると、女が愛おしく結婚を考えるようになった。

 何がしかの事情があって廃屋に住んでいるのだろうが、金のことならなんとかしようと真剣に考えるほどであったという。

 そういうことで、ダイスケくんは弁護士である内川氏に相談をした。

 最初の連絡は電話だった。

 内川氏は電話を取った時のことを鮮明に覚えていた。

 やけに音が響き通話自体が難しいほどで、高速道路を走行中のハンズフリー通話かと思ったそうだ。


「なんとなく、厭な感じやったね。最初、電話取らんほうがええと思ったんよ。勘やで、うん、そんなアホなって話やけど」


 よくよく聞けば、妙な女に引っかかったということだけが分かった。

 内川氏は弁護士という仕事柄、そういう危険の伴いそうな話というものを扱うことがある。

 訳アリの女のワケなどというのは、素人が触れてもロクなことにならない。

 厭な感じはあったが、それが怪談めいたものであるとは思っていなかった。


 ダイスケくんに会いにいくと、すっかり様子が変わっていた。

 まず、痩せている。

 病人のような痩せ方をしていた。そして、いやに獣臭があった。

 犬でも飼い始めたのかと思っていたが、そうではない。

 異様なものを感じた内川氏は、同居するダイスケくんの両親と話をすることにした。しかし、両親の話は要領を得ない。


「なんだか話してることが、バラバラみたいになってしもて。ダイスケのこと聞いても、高校生のころのこと返してきたりで、変なんや。話は通じてる部分もあるんやけどね。認知症になるにしても、まだ若いご両親二人揃ってなんてこと無いやろ」


 長閑のどかな村だというのに、薄ら寒いものを感じた。

 内川氏は家に充満する獣臭に耐え切れず、日を改めるということにして帰途についた。

 帰り道、いやに道に迷う。

 なんとか大阪にたどり着くが、羽曳野市で車が止まってしまった。エンジントラブルとは無縁だったというのに、信号待ちをしていた車は、うんともすんとも言わなくなってしまった。

 ジャフに電話するが、どうしてか会員登録されていないと言われてしまう。行くことはできるが数時間は軽くかかるそうだ。

 仕方なく、近くにあった店に修理を依頼する。幸いなことに、快く引き受けてくれた。

 安心他のも束の間、点検をしても原因が分からず、今日はどうにもならないという話になった。

 真夏のことだ。

 異常な暑さの中で汗みずくになり、不運が重なる。

 嫌気がさした内川氏は、車は業者に預けてタクシーで近くの駅まで行き電車で帰ることにした。車は修理が終われば引き取りに行くという手はずである。

 タクシーを呼ぶと、すぐにやって来た。

 運転手の男は、内川氏に動物の臭いがすると率直に言った。

 動物を飼っている家にさっきまでいたと伝えると、「そうですか」と素っ気ない返事である。

 タクシーは道を何度も間違えた。

 三度ほど道に迷った後に、運転手はカーナビの電源を切って路肩に停車した。


「お客さん、狐ですわ。ちょっと、一回降りて下さい」


 細い山道のような場所だった。

 降りろと促されて、何かされるのではないかと思ったものの、運転手は困ったように笑っていて暴力的な気配はしない。

 外に出て、何をするのか見ていると、運転手は煙草を取り出して火を点け。くわえ煙草のまま、道端に立小便を始めた。


「お客さんも、おしっこして下さい。煙草、どうですか?」


「いや、煙草は、前に辞めたんやけど」


「じゃあ、そこでおしっこして下さい」


 言われて気づいたが、膀胱がパンパンだ。言われるままに立小便をする。

 奇妙な連れションはいやに長く続いた。

 運転手が美味そうに煙草をふかす。銘柄はハイライトだった。


「あ、一本貰ってええかな」


「どうぞ」


 手を洗っていない運転手から差し出された煙草だが、気にせず口にした。弁護士になってからは一本も吸っていない、十年以上の禁煙記録がここで敗れた。

 美味い。

 吸い切ったところで、気分がすっきりした。それに、なんだか頭まですっきりしている。


「お客さん、煙草のことバレたらクビなんで、内緒にしててくれますか」


「ああ、うん。言わへんよ」


 車に戻って再度走り出す。

 ナビは正しい道を案内し、迷うことなく大阪市内へと進んでいく。


「お客さん、狐に化かされましたね。わたし、この仕事しててこれが二回目ですわ。前は往生して、思い切って方向と逆の道に戻ってみたら、元に戻れました」


「狐に化かされるってあるんやなあ」


「いやあ、タクシー運転手でもこんなんあるん、ほんま珍しいですよ。せやけど、なんか、お客さんの臭いも取れてますし、どっかで拾いはったんちゃいますか?」


 ダイスケに違いない。

 こんなこと信じていなかったが、すんなりと腑に落ちた。


 運転手には少し多めの金額を出して釣りはいらないと言って、市内で別れた。

 

 

 そういうことが先日あって、今でも信じられないという話だった。

 飲み屋で偶然に隣り合った奇妙な男。

 内川氏にとってそんな巡りあわせである筆者には、奇妙な内容でも話しやすかったのだろうと思う。

 内川氏はこれからどうしようか悩んでいる。


「狐とかそういうもんなんですかね。その女って」


 内川氏はウイスキーをやりながら言う。

 筆者はハイライトを吸っていた。

 一本薦めると、内川氏は「それじゃあ遠慮なく」と言って受け取った。 筆者のジッポーが懐かしいと笑顔を見せて火を点ける。

 狭いバーに二人分の煙が舞った。

 それに釣られたのか、カウンターの弓子ママも煙草に火を点けて一服し、口を挟んだ。


「海老やん、そういうん詳しいんやからなんか紹介したりよ」


 そういうことになり、マニアの間では有名な京都の神社を紹介した。

 筆者も行ったことはあるが、別に神主さんと知り合いという訳ではないので、事前に相談してみたら、という紹介とも呼べないものである。

 個人的にツテのある霊能者もいるが、覚せい剤中毒者か詐欺師の可能性もあり、そういう連中の名前は出したくなかった。

 内川氏とはこの時に連絡先を交換した。




 いい話を聞けたな、どこかでネタにしようと思ってそのままにしていた時、連絡があった。

 神社に連れて行き、お祓いをしたら正気に戻ったということである。

 お礼を言われたが、筆者は何もしていない。

 また会おうという話から、そこで詳しい話と廃屋の実地調査をするということになった。



 神社でのお祓いでは特に変事は無かったものの、終わるとご両親はなんでこんなことになっていたんだと正気に返って驚いており、当のダイスケくんは「え、お化け、え、え」という混乱の極みにあったという。

 神主さんからは「もうその廃屋に行くのはやめなさい」という助言があったと。

 恐る恐る獣臭のある自宅に帰ってみたが、匂いも無くなりすっかり元通りで拍子抜けしたそうだ。


 ダイスケくんはそれでも納得ができなかった。

 どうしても真偽を確かめたいと言っている。

 そういうことで、内川氏は筆者に同行するよう連絡をしてきた。


 ここから先の実地調査であるが、一番盛り上がるところではあるのだが、何度か書き直してみたがどうしても破綻する。

 必要な言葉が出ない、書けない、保存は消えるという有様のため、あらすじに近い説明として記載させて頂くこととする。



 件の廃屋は、山深いという位置にはなかった。

 山道を逸れて十分も歩けばたどり着くという場所で、拍子抜けである。

 廃屋の様相も、完全に朽ちるまでは間がありそうな佇まいだが、怪しい気配というものは特に無い。

 内部の様子も前述しているが、昭和三十年から五十年代辺りのものであるように見えた。残留物として残っていた雑誌などからそう判断できる。

 仏間はそのまま残っており、見知らぬ遺影が埃を被って飾られていた。 ここで、顔だけが塗りつぶされてでもいたら面白いのだが、そういうこともなかった。

 怪我をしないように慎重に三人で進むと、確かに大きな布団はあった。

 実際には、腐った布団が三人分ほど敷かれているだけである。

 使用済みコンドームが幾つか落ちており、それは非常に嫌だった。

 ダイスケくんのものであるかは知らないし、特に知りたいとも思わない。

 いずれにせよ、人が住める環境ではない。

 特に大きな発見は無く、ダイスケくんは廃屋の変わりように呆然としたが、その後は筆者と内川氏に敵愾心をぶつけて悪態をついてくる。

 なんとか宥めながら外に出ると、元は小さな庭だったスペースがあったため、そこも見に行った。

 朽ちかけたお稲荷さんのやしろらしきものがあった。

 筆者と内川氏は顔を見合わせて、これなんだろうなと納得する。ダイスケくんは社の前でこうべを垂れて、そのまま何か念じていた。

 筆者と内川氏は少し待つことにした。

 十分以上はそうしていただろうか、ダイスケくんは涙目で念じるのをやめた。

 内川氏が口を開く。


「ダイスケな、とりあえずもう帰ろうや。今日はもうええやろ。狐や言うてたから、今日はお供えモン持ってきたし、これお供えして帰ろ、な」


 内川氏は持ってきていたお供え物として、油揚げと卵を供えた。

 皆で朽ちかけた社で手を合わせて、帰途についた。



 帰りは、筆者の車で内川氏を大阪市内へ送る。

 高速道路に入ったところで、煙草を薦めると内川氏は快く受け取った。二人分の煙が軽自動車に充満する。


「内川さん、お供えモンって、悪いヤツにはせんほうがええんちゃいますの? ダイスケくんあの調子で言える空気やないし黙ってましたけど」


「あれでええんですよ」


「神主さんから言われたんですか?」


「油揚げと卵を供えたでしょう。あれに、猫いらず入れたったんですわ。狐でも食うたら死ぬでしょ」


 猫いらず、というのはネズミを駆除するための毒餌だ。


 流石に言葉を失った。

 そんなことして、祟られるのではなかろうか。


「祟られたりしませんか?」


 筆者がそんなことを言うのが意外だったのか、内川氏は面白そうに笑った。


「畜生のすることですわ。なんかあったら、お祓い行きましょ」


 それから筆者と内川氏に変事は無い。


 ダイスケくんは少しおかしくなった。

 あの廃屋にお供え物をせっせとしているそうだが、女との再会は果たしていないそうだ。

 内川氏が心配して何度か夜の店に連れていったそうだが、効果は無かった。心は廃屋の女に奪われている。


 お化けの女房という話は昔からある。

 顛末は、気が抜けたようになるとか、うつけになるとか、魂が抜けたようになるとか。

 

 どこで見たのかは失念したが、ヨーロッパの民話にこんな話があった。


 若者に取り憑いた女怪がいる。乳を吸わせて虜にした。

 なんとか若者を引き離すことに成功したが、それから若者は呆けてしまって戻らなかった。


 そのような話は世界中にあるようだ。



 なんの確証も無いが、筆者も含めて皆が廃屋の女を「狐の妖怪」のようなものだと認識していた。しかし、本当にそうなのだろうか。もっと別なものの可能性もある。

 いずれにせよ、内川氏によるお供え物を利用した毒殺で、廃屋の女は消え去ったものと思われる。



 特に奇怪なことは起きなかった実地調査だが、不思議なこともあった。


 お稲荷さんのやしろらしきものは、素人の手作りだった。

 犬小屋に板切れで作った鳥居をつけたような、朽ちかけていてもそれと分かる粗雑なものである。


 あの時、三人が三人ともその点に違和感を持たなかった。

 これだけはどこか不気味に感じられる。


 件の社の画像を差し込みたかったが、画像が見つからなかった。古いスマートフォンのデータも探してみたのだが、抜け落ちていた。

 もしかしたら、筆者自身が消してしまったのかもしれない。


 撮影したことをはっきりと覚えているだけに、画像が見つからないことと、自分で消してしまった可能性があるということは、少し怖いように思える。


責任は取れません。

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[一言] 伊藤勢先生の漫画で鳥羽上皇が玉藻前を寵姫にしてやつれたのはエキノコックスのせいという説は面白かった。
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