トンネル
Vtuber茸谷きの子様のお題から着想を得た創作です
筆者が江藤氏から伺った奇妙な話である。
これが怪談に類するのか、それとも狂気的な妄想であるかは不明だ。あまりにも荒唐無稽なため、先に名言しておくこととする。
江藤氏は筆者と同年代のホームレスだ。
どうしてそうなったかは憚りがあって書けない部分もあるが、端的に言うと彼は放浪癖があった。
生活や物事が上手くいっているのに、気が付いたら会社に行かずに車で旅に出る。
そんなことを繰り返している内に中年になり、助けてくれた人物もいなくなりY川に小屋を作って住むようになった。
筆者と知り合ったのは、趣味の世界のである。
悪趣味と呼ばれるかもしれないが、野生の生物を食う野食と呼ばれる娯楽に興味を持ち、スッポンやカミツキガメの捕獲をしていたことがあり、そんなことをしている内に知り合った。
Y川原住民と化した江藤氏は、野生動物の捕獲を得意としており釣りもプロ級である。教えを請うために酒を差し入れたりしていると、なんとなく仲良くなった。
その日は鯉釣りと亀の捕獲をしていた。秋口のころだったと記憶している。
鯉を釣り上げて一段落した後に、持ち寄った酒を片手に彼の小屋で鯉をさばいていた。筆者は魚のさばきが下手で、いつも江藤氏にやってもらっている。
鯉の生食はためらわれたため遠慮したが、江藤氏は実に美味そうに食べていた。
「そうえば海老やん。幽霊の話好きや言うてたな」
「それが本道やな。たまらんくらい好きやで」
そんな会話から始まった。聞いた後に後悔するというのはよくあるが、これは巻き込まれたらあかんやつやな、と先に感じたのはこの話が初めてである。
江藤氏がY川の支流に果実の木が幾つか生えているポイントに向かったある夏の日のことだ。
人の入らないような雑草が生い茂る場所にオニクルミの木や、野生のイチジクが生えている場所がある。
季節になるとそこへ取りに行く。
その日はイチジクが目当てだった。
近くに橋げたもあり、そこで釣りをすることもあった。橋げたの近くには、大きな配管に鉄柵がかけられた下水道への入り口らしきものがる。
雨水の放水用だと思しきトンネルだが、その日は柵が開いていたという。
江藤氏がどうしてそんなことをしたのか分からないが、リュックに懐中電灯があることもあり探検に向かった。
大人はかがみながらでしか進めないような大きさのトンネルだ。懐中電灯で照らしながら、饐えた匂いの暗闇を奥へと進んでいく。
虫や蝙蝠といったものに驚き。足元には墓石のようなブロックがあり、それらに足をとられる。
引き返そうかと思った時、奥から歌声が聞こえた。
古い歌謡曲のようだったという。どこかで聞いたことのある、1960年代の曲だろうか。親世代が口ずさんでいたような気がするメロディーだ。
人がいれば逃げるのが正しいが、あまりに楽しそうに歌っている声に惹きつけられて、江藤氏は奥に進んだ。
闇が濃くなって、天井が広くなった。
歌声の方に懐中電灯を向けると、白い人がいた。
真っ白な人だ。
肌が真っ白で、髪は黒い。服は薄汚れた作業服のようなものを着た女である。
「あ、すいません」
江藤氏はあっけにとられながら、そう言った。怖いというよりは、なんだか混乱していてよく分からない。ただ、悪いことをしたと思った。
「ここは私たちの家ですよ」
女の声だった。ライトを顔に向けると眩しそうにしていた。真っ黒な目だ。白目がほとんど無い。
ライトを下げると、薄汚れた作業服の胸元のふくらみに目がいく。
「あ、いや。歌が聞こえたので。すいません」
ぺこぺこと頭を下げて、謝り続けた。なんだか本当に悪いことをした気がして、平身低頭で謝った。不審者を見るような目で江藤氏は見られていたが、しばらく謝っていると女の気配が和らいだ。
「外からよく来ましたね」
「あ、いやあ、ははは。いちじくを取りにきたんですけど、なんだかここが気になって」
いちじくと言った時、女が反応するのが分かった。
江藤氏にはよく分かることだが、こんな生活で腹を減らしているとそういうものに敏感になる。惨めな気持ちもよく分かった。
「あ、よかったらどうぞ」
リュックに入れていたいちじくを差し出すと大いに喜ばれた。
女は友好的になり、そのまま別れることになった。
また来てくださいね。
そんなことがあり、その日は家路についた。
Y川沿いの小屋に戻り、食料が無いことに気づく。空き缶集めで得ていた金が多少あり、近所の店で胡乱な目を向けられながらも弁当と酒を買えた。
江藤氏は元々は東大阪のゴム成型職人だった。機械化の波を自ら拒否したゴム成型業界であれば、江藤氏にも働き口はある。しかし、それが上手くいくはずがないことは、自身が一番よく知っていた。
それから、しばらく雨が続いた。
夏の雨で体を冷やしたのか、咳が出るようになり、熱っぽい。
小屋で布団にくるまり、迫りくる死を感じていた。このまま風邪が治っても「こんな感じで死んでいくんやなあ」と思った。
ずるずると風邪が身体を壊していく。
強い雨の降った日の夜、小屋を叩く音がした。
悪ガキか警察なら、この雨の中外に引きずり出される。
「もし、こないだはァ、うちの娘ェ世話ァなりましたァ」
男の声だ。少し声が高いが、中年かそれ以上の年嵩の男のものと分かる。
「あ、ええと」
言葉を続けようとして、咳き込んだ。ひどい咳の後に、白いものの混じる真っ赤な痰が飛び出した。
扁桃腺が化膿した時に出る痰だが、江藤氏はこんなものを吐き出したのは初めてで怖くなって訳が分からなくなったという。
「お礼に薬ィ、持ってきましたァ。飲んでェ、身体ァ治して下さい」
返事をする前に、小屋の外の気配と足音は遠ざかっていく。雨音に紛れてそれもすぐに聞こえなくなった。
戸を開けると、雨に濡れたお菓子や菓子パンと一緒に、元は梅干しのものだったらしい壺型のプラケースに入った乳白色の液体。
くしゃくしゃのチラシの裏に書かれた手紙もあった。
手紙はところどころが濡れていて読めなかったが、小さな子供が書いたような字で、いちじくのお礼が書かれていた。古い表現や見たことない漢字も使われているが、ひらがな部分でそう読み取れる。
漢字は綺麗な字なのに、ひらがなは幼児の書いたもののように歪んでいる。
梅干しのケースに入った液体には「くすり」と歪んだひらがなで書かれていた。
江藤氏は乳白色の饐えた匂いのする液体を飲んだ。それが薬であることはすんなりと腑に落ちていて、疑いなど一片も持たなかった。
甘酒を薄めて脂っぽくしたような味。
半分ほど飲み干して、布団に戻って眠った。
雨音が、あの歌に聞こえた。古い、戦後世代が聞いていたようなメロディ。
菓子パンやお菓子の包装は薄汚れていて、白い花びらが張り付いていた。
風邪は二日ほどで治った。
賞味期限の過ぎた菓子パンは焼いてから食べて、あの薬を飲んでいると二日ほどで体はすっかりよくなった。
礼をしないといけないと思い立ち、江藤氏はまたいちじくを取りに出かけて、トンネルへ向かった。
その日もトンネルの前の鉄柵は開いていて、いちじくをリュックに詰め込んで奥へ行くと、あの広い空間に出た。
目が慣れたのか、以前よりよく見える。
あの女と、その父親らしき男がいた。
父親らしき男は、頭の毛がところどころ抜けており、皮膚もがさがさと蛇腹のようになっていて、白い肌は皮膚病に蝕まれているようだった。
いちじくを渡すと、今回も喜ばれた。
「この前は薬、ありがとうございました。助かりました」
「えェんですよ。江藤さんにィ頂いたァお礼です」
父親は不思議なイントネーションだが、女は神戸の訛りだった。
「いつも悪いわぁ。今度、またお礼持っていかんと」
「ああ、ええんです。気いつかわんとって下さい。ほんまこないだは助かりましたんで」
「助けェ合いですからァ」
父親らしき男の訛りは不思議なものだった。外国人がやる日本語のようでもある。
暗闇の中で世間話をした。女との距離が近い。向こうから近寄ったのだと分かる。暗闇の中でも、女の匂いがした。
「それじゃあまた。お礼とかは別にええんで」
不思議なご近所さんに別れを告げて、家路につく。
夏の間、そんなことが続いた。
何度目かの訪問の際、父親らしき男がおらず、女だけの時があった。
どちらからともなく、身体を寄せ合い、自然と情交していた。
江藤氏が言うには、あんなに良いセックスは今までなかったとか。暗闇の中で、白い肌がぼんやりと光る。
そんなことがあってから、数日おきに夜になると女が小屋を訪ねてくる。
いつもノックをしてから入っていいか尋ねる。いじらしい。勝手に入ってくるような図々しい女ではない。
江藤氏はすっかり女に参ってしまった。
「江藤さん江藤さん、入れてもろてええ?」
灯りを消すと、ぼんやりと真っ白な肌が暗闇に浮かぶ。黒髪は闇の中でも艶がある。
こんな幸せがあっていいのだろうか。
幸せな夏が過ぎていく。
閑話休題ではないが、江藤氏は仕事ができる男だ。無関係なことと思われるかも知れないが、そうではない。
話術は巧みとまではいかないが、ホームレス特有の捨て鉢さや粗暴さを感じさせない。そして、日曜大工のような工作も非常に丁寧で職人的な仕事をしていたというのにも頷ける。
全てを台無しにしているのは、放浪癖だ。
順風満帆な日々こそが、その悪癖を誘発させる。
今度の幸せは、中年ホームレスに女ができるという二度と起きない奇跡だ。幸せの息苦しさから、彼は小屋を飛び出した。
生活用具はそのままに、リュックに必要なものだけを入れて、街を往く。
N区まで歩いて、日雇いの仕事を見つけた。持ち前の優秀さで、十日もすれば労働者として街に溶け込んだ。
安い宿だが風呂のある生活。危ないところもあるが、川沿いのホームレス生活よりも幾分か楽な危険だ。
女に悪いことをしたと思いながらも、戻れなかった。
N区の仕事場で働いている内、友人ができた。
事情があるのはお互い様の街だが、昔は鉄道の工事などを請け負う会社でバリバリ働いていたという男だ。
酒を奢ってもらった時に、女の話になり、川沿いに住んでいた際に女が出来たという話をすることになった。
下水のトンネルに住んでいたということを言うと、男の顔色が変わった。
「なあ、江藤さんよ。そいつら、肌が白いヤツちゃうか」
「ああ、きれいな白い肌しとったで。ええ女やったのに、ひどいことしてしもた」
「アホ言うなや。そいつらな、×××××っていうてなんかお化けみたいなもんや。地下鉄のとこにも住んどるけど、関わったら死んでまうで。頭がおかしくなったんもいたし、どっか消えてしもたんもおる。あれに関わったらあかんで」
男は逞しい腕をさするようにして、真剣な顔をして言った。
江藤氏はその時になって、あれはおかしいことだと気づいた。
あんなところに、人が住めるはずがない。それに、あの女の目はなんであんなに黒かったのか。
急に恐ろしいものだと分かって酔いが覚めた。
男の方も気まずい様子で黙りこんでしまった。
そのまま別れて、今日の宿へ行く。関西最大のドヤ街は一泊800円から泊まれる。
借りている四畳の部屋に戻ると、いやに生暖かい気配がある。
厭な感じで布団の準備をしていると、あの饐えた匂いがした。安宿のドヤに漂うものともまた違う、あのトンネルの匂いだ。
ふと、気配を感じた。
部屋の入口のドアの下。
真っ白なネズミがいる。
頭はあの女のものだ。小さな白い子ネズミを連れていて、江藤氏を見つめた後に部屋の隅に走り込んで消えた。
後を追ったが、ねずみの姿はなかった。
布団の中に入り込んで「俺が悪かった、許してぇな」と謝罪の言葉を口にしながら、朝まで震え続けた。
厭な話を聞いてしまった。
筆者としては不意打ちの気分だ。なんだか分からないが、ひどく厭な話だと感じる。
鯉を包丁で解体し終えた江藤氏は、今度は亀の甲羅を外している。
「江藤さん、めちゃくちゃ怖い話やないですか」
「意味分からん言うヤツもおるけど、海老やんは怖い話言うんやなァ」
「昔、小説かなんかやった気がしますけど、地下鉄の白い地底人みたいな話で×××××って聞いたことあるし、めちゃくちゃよう出来てて怖いですわ」
「そうかあ。ほんまに悪いことしたと思ったから、この小屋に戻ったんや。たまに来てくれてるみたいやねんけど、もう見えへん。たまに、髪の毛が落ちとるから、多分、来てくれてるんやけど」
「え」
「きれいな黒髪がな。落ちてるねん。見つけたら拾って、そこに置いてる。気配だけする気がするから、来てくれてるんやろけど、見えんようなったんやろな。あのトンネルも鍵かかってて入られへんし」
亀をさばいている江藤氏は心ここにあらずという有様だった。
なんとも言えない表情をしていた。
眠たいような顔でもないし、惚けているという訳でもない。ぼんやりという感じでもないが、目元が独特の無気力な感じになっている。
今まで何度か見たことがある、憑依された人間の顔だ。いや、単に一時的に頭がイカレた時にこういう顔になるのかもしれない。筆者の表現力ではこのようにしか書けない独特の顔である。
「すんません、用があるから帰りますわ。このお酒、お礼に置いていきます」
「ん、ああそう。じゃあ、また」
包丁を持っているヤバい人から逃げる。
車を取りにいって運転席に座ってから、ようやく息をつけた。
発車させる時に、前を小さな影が横切った。
夕暮れを横切ったのは、白いネズミではなかろうか。
気のせいだと思う。
昨年の秋口の話である。
先日、彼の小屋を訪れてみたが、荒れ果てていた。長く誰も住んでいないことが分かる有様だった。
黒髪を捜そうとは思わない。
もう江藤氏とは会えないだろう。
××××とは、地底人の名前である。
この名前を書くとあまり良くないことが起きるという話もあるため、今回は伏字のままとしている。
茸谷きの子様に御礼申し上げます。




