菩薩ノート
見間違い
友人のSとの話。
脚色などは一切無しで記す。
シルバーウイークの連休にSと15年ぶりに会うことになった。
筆者は風邪をひいてしまい、体調を崩した状態でミナミで待ち合わせた。
ビックカメラの前で会い、知人の中国人が経営する中華料理店へと向かう。
店内は薄暗く、ウエイターは日本語が通じない店だ。
味は美味いのだが、舌が馬鹿になっているせいか味は分からなかった。
「海老やんな、俺と何年振りに会うやろ」
「15年くらいやろな」
Sとは、成人式以来会っていない。
実家に届いた彼からの手紙で連絡が取れた。
携帯電話で昔話を少しして、それから会おうということになった。
Sはすっかりオッサンになっているものと思っていたが、驚くほど若々しい見た目である。
「ちょお、聞いてほしいねん。中学の時な、一緒に池で釣りしてたよな。バス釣り流行ってて、一緒にやったよな。そんなお前が釣れへんいうてエロ本捜しはじめて、なんやいっぱい捨てられたん見つけて、北とクロとかで読んだよな。夏くらいや」
「ああ、あった気ィするな。せやけど、中学のころなんかそんなんばっかりやったやん」
「せやな。あのな、俺ン家でストⅡやってたよな、スーファミで」
「ああ、よおやったよな」
「うん、お前は、妹のこと覚えてるか?」
Sに兄妹はいただろうか。少し考えたが、よく思い出せない。頭痛で頭がきしむ。
麻婆豆腐を食べる。
中国人は日本の麻婆豆腐は違うと言う。甘い麻婆は麻婆とは呼ばない。
「ええと、いたような気いするなあ」
「せやな。あんな、ちょお見てや」
Sは鞄からノートを取り出した。
古めかしい、筆者が小学生のころの女子の遣っていたような可愛らしいノートだ。今の子供は喜ばないレトロなデザインである。
「なんやそれ」
とても嫌な予感がした。
「妹のノートや。見てくれ」
内容については伏す。
一種の予言書のようなものだ。
当時の少女向け漫画雑誌の付録であろうシールが張られている。不吉な予言の隣で微笑む古いキャラクターの笑顔。
「みんな、俺に妹なんかおらん言うねん」
絞り出すようにSは言う。
「なんや、嫌な話やな」
「あのな、このページどうおもう?」
内容については伏す。
世界をゆるがすほどではないが、とても嫌なことが書かれている。
店員がこちらを見て怒鳴り声を上げているが、言葉の意味は分からない。
顔見知りの店員がやってきて、紹興酒をサービスで置いていった。
「まあ、飲もうや」
「おお、そやな。あのな、妹の名前な、お前、覚えてるか?」
「今は飲めや」
厨房の前に置かれている生簀の中で鯉が泳いでいる。
ぐいゆぅ、ぐいゆぅ、と中国語で料理人が怒号を発していた。
ノートの話になるのかな、とぼんやりと思った。
ひどく頭が痛むが、このままではいけないように思う。
強い酒を立て続けに飲んで、Sの話を聞き流す。
ウエイターの劉が笑顔でテーブルにやって来た。
「イマ、皆でオマイリ? してマス。きて、コッチ」
筆者とSは劉に強引につれられて、店の入り口にある中国の武将が剣を持っているハリボテの前に連れてこられた。
その昔、筆者が小学生のころにあったキョンシーブームの時によく見た、黄色いお札を燃やしてみんなでハリボテに祈る。
店内に日本人は少ないためか、客のほとんどが同じようにオマイリをしていた。
筆者とSも彼らの作法を真似て同じようにした。
時間にして五分ほどだろうか。
気が付くと劉が横にいて、Sの妹のものだというノートを持ってニコニコと笑っていた。
「ぐいゆうデス、コレ。ええと、この神様はカンウです。こうします」
お札を燃していた皿に、劉はノートを投げ込んだ。
小さな火だというのに、ノートに瞬く間に火が燃え移った。
「おい、なにすんねん」
Sが叫ぶと、中国人の屈強な料理人に羽交い絞めにされた。
この店に日本人はほとんどいない。こういう時、彼らに逆らうと不味いことになる。この店は雑居ビルの八階だ。逃げ場は無い。
「いいでスか。カンウとても偉い。ぐいゆうでもKOです」
ノートは脂っぽい匂いと共に、炎に溶けた。
Sは気が抜けたようにテーブルに戻り、筆者も同じように席に座った。
「ノートなくなってしもた」
と、Sは放心している。
「あんなもん、なくてええやろ」
思ったことを言っておいた。
その後、北京ダックを食べて放心しているSをホテルに放り込んで家路についた。
帰り道、野良猫がいたので見ると、少女の顔をしていた。
「あっ」
と、声を上げるとそれは走り去った。
見間違いであると思う。
後日、その中華料理店を紹介してくれた楊さんに『ぐいゆう』の意味を教えてもらった。
日本でいうところの妖怪のようなものだと言う。
くだん、というものだったのかもしれない。
見間違いであることに間違いは無い。
そう思う。
見間違い




