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第四章 闇に佇む者たち

「ここですね。カルホハン帝国の最後の痕跡が残る場所……」


 秋の冷たい雨が私たちを打ちつける中、荒れ果てた城跡を見上げていた。

 ソニルと出会ってから一ヶ月が経ち、私たちは様々な手がかりを追って、とうとうここにたどり着いた。


「何も残っていないかもしれないわね」


 ソニルが不安そうに呟く。

 彼女が私たちと行動するようになってから、少しずつ本来の性格を取り戻しつつあった。

 時々見せる明るさと機転の良さは、きっと彼女の本当の姿なのだろう。


「いや、何かあるはずだ」


 ケアドは決然とした表情で言った。

 彼の双眸には、妹を救いたいという強い思いが灯っている。


「行きましょう」


 三人で城跡へと足を踏み入れる。

 かつての栄華を誇ったカルホハン帝国の中枢部。

 今はただの廃墟と化し、瓦礫と雑草が生い茂っていた。


「研究施設はどこにあったのでしょう?」


 私は雨に濡れた髪を払いながら言った。

 記憶を辿ってみるが、皇女として育った私でも、秘密の研究施設の場所までは知らなかった。


「地下じゃないかな」


 ソニルが提案した。

 彼女も実験台にされた一人だが、その時の記憶は曖昧だという。


 私たちは瓦礫の中を探索した。

 崩れた柱、壊れた壁画、朽ちた調度品。

 すべてが時の流れに飲み込まれていた。


「ここだ」


 ケアドが大広間の床に古びた扉を見つけた。

 それは見事に隠されており、普通なら気づかないだろう。


「開けましょう」


 三人で力を合わせ、錆びついた扉を開く。

 中は暗く、湿った空気が漂っていた。


「光が必要ですね」


 私は右手を軽く握り、小さな炎を灯した。

 その光で、階段が下へと続いているのが見えた。


「気をつけて」


 ケアドが先頭に立ち、私たちは階段を降りていった。

 冷たく湿った空気が肌を刺す。

 壁には奇妙な模様が刻まれており、それは下へ行くほど複雑になっていった。


「これは……呪文ね」


 ソニルが壁に手を触れる。


「元素を植え付けるための魔法陣の一部かもしれない」


 最後の階段を降りると、そこには広い実験室が広がっていた。

 埃と蜘蛛の巣に覆われてはいるが、様々な実験器具や書物がまだ残されている。


「ここが……」


 私の声が震える。ここで多くの命が犠牲になったのだ。

 ここで私は呪いを受けた。


「探しましょう。何か手がかりが——」


 その時、不意に足音が聞こえた。

 私たちは反射的に身を隠した。


「誰かいるわ」


 ソニルが小声で言う。

 私たちは息を潜め、音の方向を見つめた。


 闇の中から、一人の老人が現れた。

 彼は松明を手に持ち、ゆっくりと実験室を歩いていた。


「ダエトン……」


 思わず声が漏れる。

 その老人は、私に呪いをかけた張本人、カルホハン帝国の主席研究者ダエトンだった。


「あなたが……」


 ソニルも彼を認識したようだ。

 彼女の手が小刻みに震え始める。


「落ち着け」


 ケアドが二人を抑える。


 ダエトンは何かを探しているようだった。

 彼は古い書棚の前で立ち止まり、埃まみれの本を取り出した。


「やはりあったか……原初の記録が」


 老人がつぶやく声が聞こえた。


「何をしているんだ?」


 ケアドが低い声で言う。


「きっと、新たな実験のための資料を」


 私が答えようとした時、突然、ソニルが立ち上がった。


「許さない!」


 彼女の右手から風の力が解放され、ダエトンに向かって放たれた。

 老人は驚いて振り返り、咄嗟に身をかわした。


「誰だ!?」


「忘れたの? あなたが壊した命よ!」


 ソニルが前に出る。

 私とケアドも隠れ場所から出た。


「おや、これは……」


 ダエトンは私たちを見て、不気味に笑った。


「カルホハン第一皇女、そして失敗作。さらに、見知らぬ若者まで。思いがけない再会だな」


「第二皇女よ」


 私は彼の言葉を訂正した。


「いいや、姉上が死んだ時点で、お前は第一皇女だ」


 彼の言葉に、胸が痛む。

 姉の死を思い出させる言葉に、憎しみが込み上げる。


「あなたたちがやったこと、許されるはずがない」


「許される? 科学に倫理など不要だ。我々は力の探究者。その過程で犠牲が出るのは当然だろう」


 ダエトンの言葉に怒りが沸く。


「人の命を実験台にして!」


「人間も自然の一部。研究材料としては申し分ない」


 冷酷な言葉に、ソニルが再び風の力を放った。

 しかし、ダエトンは何かの魔法を使い、風を別方向へ逸らした。


「無駄だ。お前らの力など、私が作り出したもの。対策は知り尽くしている」


「それはどうかな」


 ケアドが二本の短剣を抜き、ダエトンに襲いかかった。

 老人とは思えない素早さで、ダエトンは避ける。


「邪魔するな、小僧」


 ダエトンが何かの粉を投げつけた。

 それがケアドの周りで爆発し、煙が立ち込める。


「ケアド!」


 咳き込みながら後退するケアド。

 彼に大きな怪我はないようだったが、動きが鈍っている。


「さて、久しぶりの再会を祝って、特別なものを見せてやろう」


 ダエトンがポケットから小さな瓶を取り出した。

 それを開くと、黒い煙のようなものが漂い出る。


「これは新たな実験の成果だ。元素の力を物質化し、自在に操る技術」


 黒い煙は床に降り立ち、ゆっくりと人の形に変化し始めた。


「まさか……」


 形作られた姿は、私が最も愛した人——姉のリルルだった。


「姉さま……」


 信じられない思いで、私はその姿を見つめた。

 長い黒髪、優しい微笑み、すべてが記憶通りのリルルだ。


「アリアちゃん。メズテーリちゃんの言うこと、ちゃんと聞かないとぉ~。じゃないと、殺しちゃうから、ね?」


 その声は姉のものだが、言葉の内容は違う。

 リルルはそんなことを言う人ではない。


「偽物……」


「偽物? 彼女の記憶と外見を完全に再現したのだぞ。ただ、少し私の意思を吹き込んだだけだ」


「許さない……カルホハン帝国……あんなのは滅びるべきです」


 怒りで視界が赤く染まる。

 右手から炎が暴走しそうになるのを、必死に抑える。


「リルル」と呼ばれる存在が、不気味な笑みを浮かべながら近づいてくる。


「アリアちゃんをここまで追い込んだのは私の仕業。あなたがここまでやってくれるのは期待通りだったわ~」


「違う! 姉さまはそんなことを言わない!」


「あらあら、私の言うことが聞けないだなんて……お姉さんは寂しいわぁ。なら、お仕置きしなくちゃ、ね?」


 偽りのリルルが私に襲いかかる。

 その動きは人間離れしていた。


「くっ!」


 咄嗟に炎の壁を作り出し、防御する。

 しかし、リルルの姿はまるで煙のように壁をすり抜け、私の胸を掴んだ。


「がっ……!」


 息ができない。

 彼女の手は実体があるのに、防御を無視する。


「アリア!」


 ソニルが風の刃を放ち、リルルの腕を切り裂いた。

 しかし、切断された腕はすぐに黒い煙となって元に戻る。


「無駄無駄」


 ダエトンが高笑いした。


「この存在は不死身だ。元素の力の具現化なのだから」


 リルルは私を投げ飛ばした。

 壁に激突し、痛みで意識が朦朧とする。


「どうしたの~アリアちゃん。本気で来ないと、お姉さん、間違ってあなたを殺しちゃうわ?」


 立ち上がろうとするが、体が言うことを聞かない。


 ケアドとソニルがリルルに立ち向かうが、彼女は二人の攻撃をすべて回避するか、受けても再生してしまう。


「こんなの、どうやって倒せばいいの?」


 ソニルが叫ぶ。


 私は痛みに耐えながら考えた。

 リルルの姿をした元素の具現化。

 それを操っているのはダエトン。なら——。


「ダエトンを倒せば……」


 私はつぶやきながら、再び立ち上がった。

 血が頬を伝い落ちているのを感じる。


「ケアド、ソニル! ダエトンを狙って!」


 二人は私の声に反応し、ダエトンに向かった。

 しかし、リルルが彼らの前に立ちはだかる。


「お邪魔はさせないわ」


 リルルがケアドの首を掴み、持ち上げた。

 彼は苦しそうにもがく。


「ケアド!」


 私は全力で炎を放った。

 しかし、リルルは動じない。


「そんな炎、私には効かないわ」


 彼女は笑う。

 確かに、炎はリルルの体を通り抜けるだけだ。


「でも、彼なら効くでしょう?」


 私は炎の方向を変え、リルルの後ろにいるダエトンを直撃させた。


「ぐわっ!」


 予想外の攻撃に、ダエトンは悲鳴を上げる。

 彼の服が燃え上がる。


 リルルの動きが一瞬止まった。

 その隙に、ケアドは彼女の掴みから逃れ、ダエトンに向かって短剣を投げた。


 刃がダエトンの肩に刺さる。

 老人は痛みで膝をつく。


「くそっ……」


 リルルの姿が揺らぎ始めた。


「急いで!」


 私は全力でダエトンに向かって走った。

 リルルが再び動き出す前に、彼を倒さなければ。


「アリア姫、私も!」


 ソニルが風の力で私を後押しする。

 その風に乗り、私の速度は増した。


「はぁっ!」


 右手から最大の炎を放つ。

 ダエトンの周りを炎が包み込む。


「ぐあああっ!」


 彼の悲鳴が響く。

 リルルの姿が完全に崩れ始め、黒い煙となって消えていく。


 炎が収まると、ダエトンは重傷を負って倒れていた。

 彼は息絶え絶えの状態で、それでもなお不敵な笑みを浮かべている。


「お前たちが……何をしようと……カルホハン帝国は復活する……」


「嘘よ。帝国は滅んだわ」


 私は冷たく言った。


「帝国は滅びぬ……メズテーリ様が……」


「妹が? 彼女は死んだはず」


「死んだと……思ったか? 皇女は……生きている……そして……今、帝国再興の準備を……」


 驚きで目を見開く。

 メズテーリは生きている? そんなはずはない。

 レジスタンスに処刑されたと聞いていたのに。


「どこにいるの?」


「教えぬ……」


 ダエトンは血を吐きながら笑った。


「だが……一つだけ教えてやろう……お前の呪いを解く方法はない。永遠に……その力と共に生きるのだ……」


 絶望の言葉。

 しかし、私は動じなかった。


「そうかもしれない。でも、この力と共に生きる道を見つけるわ。そして、あなたたちの残忍な実験を二度と繰り返させない」


 ダエトンの目が徐々に力を失っていく。


「お前は……永遠に呪われる……」


 それが彼の最後の言葉だった。

 命を失い、彼の体は動かなくなる。


「終わったのね……」


 ソニルがつぶやいた。


「いいえ、まだよ」


 私は彼が持っていた古い書物を手に取った。


「メズテーリが生きているなら、彼女を見つけなければ」


 ケアドは黙って頷いた。

 彼の目には、まだ妹を救う決意が燃えている。


「さあ、この本を調べましょう。そして、メズテーリの居場所を突き止めるのよ」


 三人で実験室を後にする前に、私は最後に振り返った。

 もう二度と戻りたくない場所。

 しかし、ここで過去と向き合ったことで、次に進む力を得た気がする。


「カルホハン帝国……あんなのは滅びるべきです」


 私のつぶやきは、誓いの言葉だった。


 ***


 ダエトンから奪った古書を解読するのは、予想以上に困難だった。

 難解な暗号と古い言語で書かれており、私たちは小さな宿で数日かけて取り組んだ。


「ここに何か書いてある」


 ケアドが一つのページを指さした。

 そこには地図と、ある場所の描写があった。


「これは……北の山岳地帯?」


「そう見える。そして、ここに『再興の礎』と書かれている」


 私たちは顔を見合わせた。


「メズテーリがいる場所かもしれない」


「行きましょう」


 荷物をまとめ、私たちは北へと向かった。

 旅の道中、私はダエトンの言葉を思い返していた。


「呪いを解く方法はない」


 本当にそうなのだろうか。

 永遠にこの力と共に生きる運命なのか。


「考え込んでどうしたの?」


 ソニルが心配そうに声をかけてきた。


「ただ、呪いのことを」


「そっか……」


 彼女も同じ悩みを抱えている。

 ケアドも妹のことで心を痛めている。

 私たちは皆、カルホハン帝国の残忍な実験によって傷ついた者たち。


「でも、もう一人じゃないわ」


 私はソニルに微笑みかけた。


「そうね。もう独りぼっちじゃない」


 彼女も笑顔を返す。


「おーい、二人とも急いでくれ」


 先を行くケアドが声をかけてきた。

 彼は山の頂上を指さしている。


「あそこに何か見える」


 険しい山道を登り、頂上に近づくと、巨大な建造物が姿を現した。

 それは古い城塞のようで、しかし新しい部分も見える。

 改築されているのだ。


「カルホハン帝国の旧施設……」


 私は鮮明に覚えていた。

 子供の頃、夏の避暑地として訪れたことがある。


「ここが再興の礎……」


「忍び込みましょう」


 私たちは周囲を偵察し、警備の薄い場所から侵入することにした。

 城塞の中は予想外に活気があり、多くの人々が行き来していた。

 皆、カルホハン帝国の軍服に似た制服を着ている。


「本当に再興しようとしているのね」


 身を隠しながら、私たちは城塞の中心部へと向かった。

 そこで、大きな集会が開かれているようだった。


「あれを見て」


 ケアドが広間を指差した。

 そこには壇上に一人の女性が立っていた。

 長い黒髪に、威厳ある姿。見覚えのある顔——。


「メズテーリ……」


 私の妹だ。確かに彼女は生きていた。

 そして、今やカルホハン帝国の再興を図る指導者となっていた。


「今やカルホハン帝国は私が第一皇女となった! 今こそ再興の時!」


 彼女の演説に、集まった民衆が歓声を上げる。


「彼女が貴方の妹?」


 ソニルが小声で尋ねた。


「ええ。でも、彼女はもう家族じゃない」


 メズテーリの演説を聞いていると、彼女の計画が明らかになってきた。

 四大元素の力を持つ兵士を作り出し、失われた領土を取り戻すというのだ。


「彼女を止めなければ」


「でも、どうやって? あれだけの兵士に囲まれているわ」


 考えていると、突然近くで声がした。


「誰かいるぞ!」


 見つかってしまった。

 兵士たちが私たちに迫ってくる。


「逃げるわよ!」


 私たちは急いで逃げ出したが、出口は兵士たちに塞がれていた。


「捕まるわけにはいかない」


 私は右手の力を使い、炎の壁を作り出して兵士たちを足止めした。

 ケアドとソニルも全力で戦いながら、出口を目指す。


 しかし、兵士の数があまりに多く、次第に追い詰められていった。


「こっちだ!」


 ケアドが小さな脇道を見つけた。

 私たちはそこに逃げ込み、何とか追手を振り切った。


「はぁ……はぁ……」


 息を整えながら、私たちは森の中で一時的な隠れ家を見つけた。


「メズテーリは本気だわ。彼女は本当に帝国を再興するつもりよ」


「止めなければならないな」


「でも、あの人数では……」


 途方に暮れていると、ケアドが急に立ち上がった。


「一つ方法がある。俺の村に行こう」


「あなたの村?」


「ああ。そこには俺の妹がいるかもしれない。それに、かつてカルホハン帝国に反抗した人々もいる」


 新たな希望が見えてきた気がした。


「行きましょう」


 私たちは森を抜け、ケアドの村を目指すことにした。

 メズテーリを止めるために、そして新たな仲間を見つけるために。


 夜空を見上げると、星が明るく輝いていた。

 暗闇の中にも、光は存在する。

 私たちの旅もまた、闇の中の光を求める旅なのかもしれない。


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