第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その九百二十二
―――哲学は難しいもので、それを理解するには人生の経験値が要るものだ。
キュレネイの人生は過酷なものだから、ちょっとノヴァークごときじゃ分からない。
本物の忠誠心の化身なんてものは、家出少年の延長みたいな彼とは違い過ぎる。
それでも怖さと愛はあるものだ、理解できた法則性はひとつ……。
―――キュレネイ・ザトーは、ソルジェのためなら何でもするだろう。
どんな残酷な行いでもすると、分からされてしまっていた。
燃やされていたのはノヴァークがいた拠点だけじゃなく、あちこちだからね。
帝国兵を丸ごと焼いた川近くの林なんて、猛烈な火災になっていた……。
―――空を焦がす黒い煙を見つめつつ、ノヴァークは目を細める。
見たくない現実がある、察したくない底なしの恐怖がある。
猟兵たちはとてつもなく恐ろしいものだ、敵からすれば死神の群れよりも怖い。
そんな我らに怯えたせいでもあるが、その行動には感心してやれた……。
―――動く、隠し持っていたナイフを使いながら。
自分を拘束しているロープを切って、身投げしようとしたのさ。
矢も届かない安全圏である今この高さから落ちれば、もちろん死ぬ。
彼はシドニア・ジャンパーのために、発作的に死のうとしたんだよ……。
―――もちろん、そんな真似を猟兵は許すはずもない。
死を強いられる者は、生だって強いられる。
自殺しようとしたノヴァークのナイフを、ミアの指が抜き去っていた。
キュレネイは追加のロープで、ノヴァークをさらに縛り上げている……。
「死んだりしたら、ダメだよ。あなたは、お兄ちゃんの捕虜なんだから」
「イエス。死ぬ権利など、とっくにお前からは奪われているであります」
「くそ、くそ!」
「だが、死をもってまでシドニア・ジャンパーを守ろうとしたことについては、褒めてやれる。それは、私が団長に抱いている忠誠心にも、とても近いものだ」
―――愛の告白も同然なのだけれど、当人はともかく周りの猟兵は気づかない。
ミアはまだお子様だし、双子たちも情緒が育っていないし。
ジャンも、まだ恋愛については洞察なんて働きやしない。
キュレネイの愛情は、とてつもなく深くて濃密過ぎるものでもあるからね……。
「し、死にたく……ねえ。でも、でも……」
「お前は依存を強いられているのだ。忠誠心でもあるが、同時に、それは自発的な衝動でもない。シドニア・ジャンパーに刻み付けられた行動でもあるのであります」
「うるせえ。決めつけるんじゃない」
「イエス。たしかに、決めつけるのは良くない。だが、死ぬことはあきらめるべきだ。洗いざらい話してくれるのなら、そして、状況が許すなら。お前もシドニア・ジャンパーも死なないであります」
「信じられるかよ。だが、それでも……」
「舌を噛んで死ぬのも、無理だからね」
「うるせえ。やらねえよ、そんな真似は」
「生きて自分とシドニア・ジャンパーのために、情報を吐くことであります。そうでなければ、お前たちどちらともが無事な結末から遠ざかる」
「……まるで、それがあり得るかのようだ」
「イエス。十分に、あり得る。ライザ・ソナーズの『真意』を尊び、帝国と戦う気なのであれば、我らが団長はお前たちを受け入れるであります」
「受け入れる、だと?」
「帝国を打倒するために必要な戦力として、お前らだって迎え入れるのだ」
「……そうでもしなければ、勝てないからか?」
「勝つために、すべてを使い尽くすのみ。帝国は巨大でありますが、お前たちの忠義は、帝国そのものにあるわけではない。妥協点があると、団長は考えておられる」
「……オレたちを、どう使う気だよ?」
「莫大な資金と、呪術的な知識。そして、帝国軍への情報伝達の力。利用価値は、十分にあるであります。それに、動機も」
「あんたが、少尉を見つけ出せなければ。傷一つだって、少尉につけられないんだぞ」
「ノー。真実に由来するウワサが、すでに流れ始めているであります。シドニア・ジャンパーは、遠からず帝国軍内で孤立する。そして、そうなったとき、最も恐ろしい彼女にとっての殺人者は、何も私たちである必要もないのであります」
「……少尉の、傭兵部隊が暴走するとでも?」
「イエス。軍隊内部で孤立したとき、大金を隠し持っているかもしれない者の末路は、いつだって悲惨なものであったであります」
―――キュレネイの言葉には、真実ばかりしかいないわけじゃないけれど。
今回のそれについては、実に正しい予測だっただろう。
シドニア・ジャンパーが自分のために用意した、強大な傭兵たち。
傭兵たちの多くが、くせ者ぞろいだった……。
―――唇を噛む少年がいた、ノヴァークは恐怖し懸念している。
自分と同じほど、シドニア・ジャンパーを守ろうとする者なんていない。
裏切り者の背負った罪は、決して許されるわけでもない。
『殺してもいい理由』を傭兵が手に入れたとき、どんな真似をすのか……。
「分からないわけ、ないであります。お前は、たくさんの死を見て来たはずだ。その死の山に、お前とお前の愛しいシドニア・ジャンパーを捧げることになっても、いいと思うのならば。沈黙を貫くがいい」
「……ソルジェ・ストラウスになら、直接会えるなら、話してやってもいい」
「イエス。団長は、喜ぶだろう」
「くそ。魔王と、交渉かよ……とんでもない日だ」




