第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その九百二十
「なんだよ、それ。何?……恋人か何か?」
「犬でありますよ。ぼうや」
「……ははは。はあ、ほんと。なんで、こんな怖い女ばかりなんだろうな、戦場っていうのは」
「キュレネイは、犬じゃないよ。ジャンじゃないし」
「え、ええ!?い、犬じゃない……です。ぼ、ボク。お、『狼男』のはずなんですけれど!?」
「正直、犬と狼の違いって学術的にあるのかな?」
「せいぜい大きさでしょう。交配も可能なわけですし」
『じゃんは、いぬおとこ……ふふふっ』
「や、やめて。め、メルカの賢い人たちに、そんなコトを言われると、自分を信じられなくなるからっ」
「まあ、いいであります。どっちでも」
「ど、どっちでもいいなら。せ、せめて。お、『狼男』にしておいてください。ぼ、ボクの血筋の……ご、ご先祖様たちの沽券にもかかわるような気がするのでっ」
「ジャン、そういう意見を持つのは、すごくカッコいいと思うの!!」
「そ、そうだよねっ。だ、だって。ボクも……ひとりじゃないんですから。お、『狼男』のご先祖様たちがいたんだ。し、幸せな人生を……そ、その、盗賊もやったりしながらも、最後のあたりはちゃんと幸せだったし、人助けもしたような『狼男』だって、いたんだから」
―――歴史とのつながりを持つのは、ヒトを強くしてくれるものだよ。
ジャンはアルトーを『祖父』なのだと信じ込むことを選んだ、事実がどうあれね。
『狼男』の家系が、それほど多くあるとも思えない。
正しいと信じるのは、悪くない賭けになるだろうさ……。
「『呪われた血』も、いるってのがな」
「『吸血鬼』もいるんだよ。すごいでしょ!お兄ちゃんの奥さんのひとりだから、私の義理のお姉ちゃんは『吸血鬼』だ!!……なんか、カッコいい!!」
「いい情報だな。聞いておくぜ」
「好きにするといいであります。お前は、他の誰かに話す可能性について、検討する必要があるのは忘れずに」
―――キュレネイはソルジェよりもずっと賢いから、脅迫のセンスも十分だ。
拷問や交渉術の達人としての素養も、十分にある。
ガルーナ王国の『未来』で、暗部を守る『狐』を作るとすれば。
そのリーダー候補に挙げられるのは、間違いなくキュレネイだろう……。
―――『アルステイム/長い舌の猫』や、『メルカ・コルン』も統率する人材。
それには何人も候補はいるけれど、最終的に組織の初期完成期のリーダーは。
おそらく、『ソルジェのための残酷』。
我らが『鏡の乙女』、キュレネイ・ザトーになるだろう……。
―――冷静沈着なキュレネイは、赤い瞳で地上を見下ろした。
火災は十分に拡大していたし、無駄な矢もかなり撃たせた。
頃合いだった、ミアに合図を送る。
ミアはうなずくと、ゼファーの首筋に脚を伸ばしてブーツの内側でくすぐった……。
『りだつ、だー!!』
「りゅ、竜が、ようやく去ってくれたか……」
「被害を確認するんだ。かなり、やられちまっているぞ」
「くそ。火を、火を消すんだ!!」
「もう無理だ!!あきらめろ……消すんじゃなくて、せめて、少しでも物資を運び出すようにしよう!!」
―――食料を焼かれたことで、帝国軍がメイウェイ軍に反撃を仕掛ける余力が減った。
すべての余力を消し去っているわけではないが、おそらくコントロールは利く。
シドニア・ジャンパーの悪評や、競馬のインチキの事実も広まっているからね。
キュレネイは素晴らしい指揮を執ったというわけさ、これで若い戦士は一息つける……。
「あちこちで、火の手が……ぜんぶ」
「私たちが、やったんだよね」
『そーだ。ぼくたちが、もやしたんだぞー』
「……ちくしょうめ。こんな機動力は、反則だろう」
「圧倒的に多い敵を倒すためには、それもまた必要であります」
「ソルジェ兄さんの『パンジャール猟兵団』は、圧倒的に速いし、早いんだ」
「お前たち帝国軍を、効果的に機能不全に追い込められる。あきらめればいい」
「オレは、だから、帝国軍じゃない」
「は、ハーフ・エルフですもんね」
「なんだ、どいつもこいつもオレの出自を知ってやがるんだ」
「お兄ちゃんの呪術で、聞き出しているの。さっきも言ったよね?」
「くそ。くそ。くそ……マジで、お前ら、気に入らねえよ」
「ハーフ・エルフなら、『自由同盟』に賛同すると思うんだけど」
「どうして、わざわざ帝国軍なんかに所属しているのかしら」
「……うるせえ。教えるか」
「し、シドニア・ジャンパーさんへの、愛情ですよね」
「……カンタンに、愛とかいう言葉を使うなよ」
「あ、ああ。ごめんなさい。た、たしかに。軽々しく口にすべきじゃ、ないかもね」
「そうだ。そうだけど……でも、そうだな。それも、ある。オレは確かに……」
「素直になるといいであります。そのほうが、お前自身のため。そして、おそらくシドニア・ジャンパーのためでもある」




