第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その九百二
「笑えよ、ノヴァーク。私は実に滑稽だと」
「さすがに笑えない。オレは、そんなイジワルなヤツじゃないと思っているよ。とくに、アンタに対してはさ。その意味、分かってるんだろ。オレ以上に、たぶん。オレは、やっぱりガキだから」
「どうすべきだったのか。私は」
「すべきことはしていたよ。警告もした。姫様だって、分かっていただろう。レヴェータ殿下は、とてつもなく危険なヤツだったと」
「そうだ。その通り。それなのに。どうしてだろう。愛情が、判断を狂わせたのか?同情めいた、愛情が……」
「……アンタがそんな言葉を吐きたくなっているなら。そうなのかもしれない」
「後悔は、本当に。まったくもって。不愉快なものだ」
「ぶん殴りたいヤツ募集中なら、殴られてもいいよ」
―――シドニア・ジャンパーみたいな人物に、冗談は通じない。
まあ、冗談でもなかったんだ。
押し倒されて、ぶん殴られていく。
血まみれになるほど、殺されかけているほどの激しさで……。
―――ノヴァークからすれば、無力な自分の使い方のひとつ。
愛しい運命の悪女さまに、殴られるのだって狂った幸せに内包されるんだ。
殴られて口の中が切れて、血の味が広がっていく。
彼はいくらでも耐えられるんだ、祭祀呪術の実験の方が痛みはあったから……。
―――祭祀呪術は『取り出されている』、シドニア・ジャンパーの研究の結果。
レヴェータとリヒトホーフェン伯爵のやり取りの一部を、掠め取りながらね。
リヒトホーフェン伯爵も、『ルファード』にいたボーゾッド対策が必要だった。
『西』から『ルファード』を探れる彼女は、強力相手として悪くなかったのさ……。
―――医療情報の共有と祭祀呪術の知識は、クロウ・ガートからレヴェータに。
レヴェータからライザ・ソナーズの仲介を経て、リヒトホーフェン伯爵に。
リヒトホーフェン伯爵から、シドニア・ジャンパーへ。
長い旅と、その中間経路での情報漏洩を伴いながら女狐の手のひらのなか……。
―――レヴェータ並みとは言い難いが、十分に大きな力を得ている。
レヴェータに気づかれないように行えたのは、彼女には幸いだった。
あの狂気の人物に気づかれていたら、とっくの昔に八つ裂きだったろう。
生贄にされて、バケモノに変えられていたかもしれない……。
「はあ、はあ。すまないな、ノヴァーク……っ。こんなことしても、意味などないのに。意味など」
「意味なんて、なくてもいいさ。そういうの、必要だから、ヒトには備わっているんだろ。矛盾してて、バカなこと。悲しいときは、そういうのを使ってもいい」
「大人みたいな言葉を、口にするんだな」
「アンタの部下をやっている。呪術の実験台にもされたし、詐欺師として、かなり大活躍しているだろ。アンタの好きな数字を、勝たせているのは、弱点だっけ。べつに、いいだろ。気づかれちゃいないさ。みんな、帝国軍の戦争が、常に勝利すると思い込んでるせいで、慎重さが消え失せている」
―――シドニア・ジャンパーの懸念は、すべて実現化していった。
学生たちの自警団が、巨大な組織として立ち上がる。
ソルジェに率いられ、レヴェータの呪術と第九師団を倒していくとは。
さすがに思っていなかったし、それが極めて短期間で行われるなんてね……。
―――メイウェイの驚異的な進軍が、世界一の記録であるのならば。
ソルジェと学生たちの蜂起成功も、世界一の記録のひとつ。
若い兵力が、あれだけの偉大な勝利をもたらしたことは稀有なものさ。
強さに欠くはずの若い兵力だけで、十大師団を倒してしまうとは……。
―――まあ、半分ぐらいはレヴェータが大きな混乱を与えた結果でもある。
殺されても亡霊のように、おぞましい怪物に化けて生き延びる。
仲間など、ヤツにはいなかったから。
グラム・シェアとも、我々からすれば無意味にもめてくれたのだ……。
―――極めて濃密な戦いの時間、その裏側でシドニア・ジャンパーは暗躍する。
そのときの行動方針が、いかなるものであるべきなのか。
彼女自身にも、まったくもって分からなかった。
熱病のように感情は思考力をぶっ壊し、自分自身の心さえ見えなくさせる……。
―――復讐すべき相手は、レヴェータであるはずだが。
それもまたソルジェに奪われている、『死貴族』たちがうらやましかった。
彼らのように死後も気高く、ライザ・ソナーズのためだけに戦えれば。
ソルジェの竜太刀に斬られても、きっと幸福でさえあっただろうに……。
―――忠誠心の行方は、どうあるべきだったのか。
哲学めいた深さの自問自答が必要となり、現実は容赦なく進んでいく。
ソルジェの勝利が、腹立たしくて仕方がなくもあった。
レヴェータの完全な消滅は、大いに喜ばしくもある……。
―――赤い竜とアリーチェを見た、それは救いではある。
ライザ・ソナーズの幻影も、伴われていたものだからだ。
そのときシドニア・ジャンパーは、自分も死んでいるべきだとまで考える。
忠誠心あふれる騎士団のように、死ねば良かったのだと……。
―――だが、シドニア・ジャンパーの本質がそれを拒んでもいる。
忠誠心あふれる戦士であれば、君主に命を捧げるように自決したのかも。
詩的で残酷な自己表現は、美しい終わり方ではあるからね。
たとえ間違っていたとしても、愛はやっぱり美しいものだから……。
―――でもね、ぶっ壊れるほどに極限を強いられると。
自分というものの本質が、現れてしまうものだよ。
シドニア・ジャンパーは生き延びてしたいし、祭祀呪術の収集者だった。
何をすべきかなど見えないまま、それでも『利益』のために動いている……。
―――詐欺師というのが、けっきょくのところ彼女の本質なのだよ。
しかも歴史上最大級の、大いなる詐欺師ではある。
詐欺師はやはり自分本位の悪党であって、自ら死ぬような真似はしない。
被害者ぶっている自分に気づいただろう、それを恥じれもしない自分にも……。
「私の本質だな。誰かのせいにして、得をしたいんだ」
「それで、いいと思うよ。そういう言葉、言って欲しくて。ぶん殴られたようなものだからね。いい部下だろ?アンタには、たぶん必要な部下だよ。いかつい傭兵部隊たちと、同じか」
「それ以上に、だよ」
「……嘘かもしれないけれど、今は嬉しいよ」
「私のような女の言葉を、信じてもいけない。疑う意味もない。詐欺師とは、信頼の逆説的利用者だ」
「信頼があるから、詐欺師も存在してしまう。アンタは誰の信頼のために生きる?死ぬのなら……道連れにしてくれても……ああ、違うな。そうじゃない」
「大きな仕事がある。大きな金もある。『西』で稼ぐ。資金と、準備があるのだ。祭祀呪術を使う。憎きレヴェータが、見せた。死んだぐらいで、終わりじゃないと」
「ああ。ほんとうに、アンタってさ。怖いよね。でも、今のクレバーな表情こそが、我らが詐欺師。信頼の逆説的利用者、シドニア・ジャンパーだ。びっくりするほど、冷たくて、熱い」




