第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その八百九十四
―――ソルジェは『虎』たちを思い出す、彼らの特徴的な入れ墨たち。
そこに込められている呪術的な解釈は、力の保存と自身の変化だ。
『真なる虎』の模造品、シアンが到達した境地には遠く及びはしないものの。
憧れと信仰心を現すのには、実に適しているものだった……。
―――『虎姫』シアン・ヴァティが、故国で一種の信仰心を集めているのも。
そのあたりの文化的な背景ってものが大きいのだろうね、力の信奉者たちだから。
須弥山における呪術の、どの程度の『深さ』に依存するのかまでは不明だけど。
そこで修行していたシドニア・ジャンパーは、呪術を部下に閉じ込め始める……。
「呪術を刻むからね。君の肌と血肉に、縫い付けるように。タトゥーを入れるのだよ」
「それは、痛そうだけど。悪くない。タトゥーか。何ていうか、それっぽくっていい」
「いかにも、不良少年みたいなものだ。君らしいかもしれないぞ。家出したまま、実家に顔を出さなくなった」
「親不孝をするのも、社会と一族に失望した少年らしさだ。そういうガキをさ、オモチャにするの。少尉は好きそうな気がするよ」
「オモチャではない。宝物だよ」
「そう言われると、根性見せたくなっちゃうね」
「根性は見せるものだ。秘めていてくれては、気づいてやれる自信がないからね」
「覚えておくよ。そして、今後はあんたのための努力と献身は、今まで以上に伝えておきたい。もっと、見ててほしいね」
「それに見合う男に、お前がなればいいだけだ。私のノヴァーク」
―――運命の悪女に囚われて、不良少年は破滅の道を歩むものかもしれない。
ノヴァークは喜んでいる、体の痛みが少なければ。
抱き着いていたかもしれないね、拒絶されたかたしなめられたかもしれないが。
愛情は危険な行為をも受け入れさせるから、犯罪の現場には利用されがちだ……。
―――シドニア・ジャンパーが取り出したのは、ナイフに塗りたくるための漆黒。
呪術をたっぷりと融かした、ソルジェが予測するところの魔銀主体の化合物だ。
魔銀の顔料を混ぜたものであり、下手すれば毒性が強いものかも。
『虎』のそれよりも色味にオレンジがかっているように見え、おそらくは別物だった……。
―――危険な毒があったとしても、シドニア・ジャンパーは困らないだろう。
ノヴァークに『永続的に呪術を保存したい』とは、思っていないから。
まだその呪術をどう使うかまで、その瞬間は考えていなかったかもしれない。
複数の選択肢は思い浮かべていてだろうが、選び切れてはいなかった……。
―――ノヴァークも、自分の存在価値をどこまで信じていたのかは分からない。
自己肯定感はそこそこ高いものの、『狭間』であり詐欺師だった。
社会の落伍者じみた自分が、どこまでこの女狐の関心を保てているのか。
マトモなオトナであれば、不安になってしまう状況だった……。
―――若さが与えてくれる向こう見ずさには、まぶしいものがあったよ。
その輝きのなかで、すべての不安は消え失せるのか。
成長すればいい、そんな考えを少年は抱いている。
悪女にあきられるまでに、もっと大きな価値を提示すればいいのだと……。
―――愛を燃料にした詐欺は、とてつもなく加速度的なものがある。
詩のようにあいまいで、詩のように力そのもので。
少年は毒々しいオレンジ色混じりの炭を、ナイフで脇腹に刻まれる。
かなりの痛みのはずだが、悲鳴を上げなかったのは見事なことさ……。
「女を抱いてるときにしか、見せられない場所にタトゥーが入っていくよ。見せたい女性は限定的だから、別にいいんだけどね」
「傷口やタトゥーに興奮する女もいるぞ。もっと、身を張りたくなっただろうか」
「そうかも、ね。かなり……くそ痛いね。ほんと、容赦なく。ザクザク、ザクザク。犯されてるみたいって、苦情を出してみたいよ」
「出しているじゃないか。男でも、ちゃんと犯されるってことは、履修済みだと思っていたがね。凌辱は、君たち男子諸君の特権とは限らない」
「そいつは、じつに。少尉らしい哲学だよ。なんで、あんたはそんなに。カッコいいんだい?」
「さあね。人生哲学を宿した魂は、目的意識にまい進しているときに輝くものさ。その輝きを信じられるから、何もかも信じられなくても事が足りる」
「孤高という概念に対しての、説明みたいに思えるよ」
「それで間違ってはいない。私はたった一人になっても、理想を遂行するよ。姫様の夢見たものに、形を与えるために……世の中に抗う。ユアンダート陛下にも」
「夢見がちになれるんだね。そこまでして。世の中の、機能不全なところが許しがたいんだね。制限だらけで、あまりにも……弱々しくて……バカっぽい。ちくしょう。痛い。もっと、やさしくしてよ、少尉」
「もうすぐ終わる。あと、二分程度だ」
「それで、呪いを閉じ込められちゃうと、オレはどうなるんだろ」
「死にはしないさ。そうなるまでに、研究し尽くして。用済みになる」
「確認しておくよ。そいつは、オレじゃなくて、呪いの方だよね」
「ああ、もちろん。私はそんなに残酷でもないし、非効率的な真似はしないよ」
「詐欺師の言葉を、鵜呑みしておくよ。そっちの方が、精神衛生上いいから。肉体的には、今、かなりの、ろくでもないコンディションだからね。ほんとうに、ああ、ちくしょうっ。手ぐらい握りながら、ナイフを刺してよ。シドニア・ジャンパー少尉」
「ああ、もちろんだよ。そうしてやろう。いい子だぞ、ザクっと深く、貫くから。暴れないでおけ、私のノヴァーク」
―――むつみ合う男女にも似た距離感で、何かとっても嘘くさい。
恋愛現場と詐欺現場の、ない交ぜがここにはあったんだ。
何とも、当事者たちは楽しそうだったね。
だがソルジェの集中力は刺々しい観察をしている、この呪術の使用方法について……。
「どう、使うつもりかな」
「大きなことさ。とても大きなことに使う。君も、いつか、誇りに思うさ。この痛みを」




