第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その八百九十三
「の、ノヴァーク!?」
「あ、ぐう!?」
―――勇気は素晴らしいものであり、愛情と献身もまた素晴らしいものだ。
それでも、すべての美徳が何かを得られるわけじゃない。
呪術の化身が放った闇色の槍は、ノヴァークが掲げたイスを直撃している。
見事にノヴァークはその軌道を読み解いてはいたが、イスは脆さがあった……。
―――鋼であれば防げたかもしれないものの、いや彼の技量では大きさが足りない。
自分がどれだけ戦士としては弱いのかも、よく理解したうえでの計算だ。
怖かっただろうに、死ぬ可能性だって想像していたはずだろう。
それでも少年は、『運命の悪女』を庇ってしまったのさ……。
―――よどんで狂った関係から、詩的な美しさを持つまやかしが登り立つ。
そんな事態もあるものだ、不良少年が女詐欺師を庇うだなんて。
間違いだらけの関係なのに、どこか劇的なものだ。
ソルジェはもちろん、むしろボクのような詩人はこの献身に美を見つける……。
―――引き裂かれながら、ぶっ壊れてバラバラになってしまったイス。
槍が少年の肉体に突き刺さっていく、まだ厚みに欠く若すぎるそこに。
シドニア・ジャンパーが、弱体化をさせていなければ。
もう数秒でも術が長続きしていれば、彼も肉片になっていただろう……。
―――イスよりも、少年の体の方が当然のことながら脆いからね。
乾いた木はそれなりに硬い、およそヒトの骨よりも圧倒的に。
それを粉砕する威力が、ノヴァークの脇腹をかすめていた。
シドニア・ジャンパーを狙っていたから、角度が狂っている……。
―――幸運でもあるし、勇気の勝利でもあった。
踏み込んでいたから、軌道を変えるほどの衝突力が確かに生まれていたのさ。
二の足を踏めば、そんな力は生まれずに深々とえぐられていただろう。
危ない真似だが、ソルジェは戦士としてボクは詩人として褒めてやれる……。
「『よくやったぞ。それでいい。死にかけていたことは、見逃してやろう。女のために死ねば、それはそれで名誉ではある』」
「く、ぐううっ。痛い、よ……ッ」
「邪魔を、するからだ!!」
―――シドニア・ジャンパーは珍しく感情的で、それが少年には嬉しい。
不発に終わった呪術の暗殺者は、もう長くは動けないようだ。
残されていた力を、短期間の爆発に使用するタイプに変わっていたからね。
力は尽き果て、動きが遅くなり……。
「燃えろ!!この、バケモノめ!!」
―――『炎』の魔術で、呪術の影を焼き払う。
というより、圧力を使って押し返したようだ。
それで時間を稼げれば、それで良かった。
そうこうしているうちに、もはや呪術に殺傷能力はなくなっている……。
「ノヴァーク!!おい、ノヴァーク!!大丈夫か!?」
「う、うう」
―――名前を呼びながらも、呪いの残存を警戒しているのは彼女らしいかも。
ノヴァークを大切に思っていないわけじゃないが、最優先事項ではない。
もちろん、彼女自身に匹敵する存在ではなかった。
恋愛の残酷な非対称な序列は、たとえ命を賭けて守っても変わらない……。
―――運命の悪女をモノにするのは、とても困難なことだ。
古来、歌にされてきたように。
多くの男が弄ばれて、けっきょくは破滅の引力に囚われる。
そこの儚さに、詩人は何かしらの感性をかきむしられるんだ……。
「これ、は……」
「やばそう?オレ、死んじゃうのかな。死にたくは、ないんだけど」
―――軍人でもあるし、須弥山の修行の成果かもしれない。
応急処置は完璧だった、まあ致命傷じゃないと判断したときから。
すでに女狐の目は、狡猾な品定めをしていたけれどね。
大切な部下ではあるが、部下は彼女にとってはけっきょく道具なのさ……。
「安心しろ。死ぬことはない。派手に痛いのは、皮膚を多めに斬られたからだ。深い部分まで、突き刺さっちゃいない。こんな傷では、死ぬ方が難しいんだ」
「そう、かよ。くそ、ちょっと……ダサいな」
「いやいや。献身的な態度は、褒めてやれるぞ。それに……」
―――ノヴァークは自分を見下ろしてくるシドニア・ジャンパーの目に、身震いした。
ゾッとするほど美しくもあったからだが、それがそんなに美しい理由はただ一つ。
愛情なんてものじゃなくて、『利益だと判定したか』だ。
そんな視線を向けられても、若い心は間抜けまでに興奮している……。
「オレじゃ、ないよね。オレ自身じゃない。そうだ、その興味は、これ、かよ」
「ああ。呪術を、肉体に受けたな。これは、しつこい呪術だ。死にはしないし、ほとんど消えかけてはいるが、だからこそ、ノヴァーク。君の肉体そのものが『保存容器』として使えそうなんだよ」
―――自分の部下を、呪いの『保存容器』にするなんて。
とてつもなく邪悪な判断だよね、人徳ある者ならば怒るべき発言だ。
しかし、稀代の詐欺師が口走っていることを考えると。
ある意味、妥当だったのかもしれないのが悲しいね……。
「オレ、つまり。少尉の役に立てそうってことだよな?」
「ああ。役に立つとも。この呪術はね、かなりユニークだ。おそらく、クロウ・ガートのオリジナルであり、それはつまり」
「アンタがお熱の祭祀呪術、それに似ているというわけか」
「ああ。おそらくね。絶対とは言えないけれど、『生きた呪術』を回収できるのは素晴らしい学びになるものだ。若い肉体は、呪術を刻み保存するには適している」
―――ソルジェは思い出す、須弥山の呪術は『肉体を変異』させるものだ。
少女をおぞましい怪物に変えて、兵器として好きなように使役する。
そんな真似がやれてしまうのが、須弥山の呪術の特徴。
シアンだって『真なる虎』という、肉体変化に近しい強化の呪術を使えるわけで……。
―――『虎』が入れ墨をするのも、おそらくは。
『呪術を肉体に保存する』という考えが、発端にある文化だったのだろう。
シドニア・ジャンパーは、それを使おうとしているのさ。
愛おしくも愚かしい、勇敢な少年の肉体を自分の野心のために使うのだ……。




