第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その八百九十一
―――恋愛が持つ非対称性を、なんとも気まずく思いながらも。
ソルジェの好奇心の大半が、この戦いに対して注がれていく。
戦闘狂の一員として、あらゆる戦闘行為を基本的に愛してやまないからだし。
『虎』の系譜の技巧を使うとなれば、探る機会になるからでもあった……。
「『思い出せよ、マリウスあるいはノヴァーク。この戦闘はかなり大事なところだ。お前がしっかりと記憶力の隅々まで思い出してくれれば、オレがとても助かるんだよ。シドニア・ジャンパー対策になるから。ああ、それはきっと。お前にとっても有意義なことだ。オレはケチってわけじゃない。情報をくれたなら、優しくしてやれるぞ。お前にはもちろん、状況次第ではシドニア・ジャンパーに対してさえもだ』」
―――ソルジェは嘘をついてはいない、協力無比な女詐欺師を。
自分たちの目的のために利用できれば、邪悪さに対しても目をつぶる気でいた。
この女狐が集めてしまった『莫大な資金』で、経済攻撃をかけられるより。
仲間にしてやった方が、ずっとマシなのだから……。
―――影が放つ槍の触手の連続攻撃を、シドニア・ジャンパーはナイフで受ける。
シアンの動きが100ならば、彼女の動きは15ぐらいか。
十分な強さではあるよ、クロウ・ガートの呪いに対して負けはしないだろう。
特筆すべきは、彼女の動きが徐々に改善されていくところだった……。
「『戦闘訓練そのものは、怠ってはいなかったわけだ。いつでも抜けば、使える程度には保っていた。幼少時から、それなり以上の鍛錬をしていたわけだが……ここ数年は詐欺師仕事に必死だったのかもしれんな。部下を雇い、率いることに徹してきた。あるいは、教育に対して集中していたのか。どうあれ、キャリアが分かって来たぞ。須弥山暮らしは、かなりの長さというわけだ』」
―――須弥山なんかで武術を学べば、魂の深いところにまで刻まれるものだよ。
武術から離れ過ぎることを、望めない。
マフィアに堕ちていた『虎』たちも、そこらの兵士の数倍の強さは保っていた。
シドニア・ジャンパーも同じ、彼女はフーレン族ではないけれどね……。
―――ああ、大丈夫だよ。
シドニア・ジャンパーがフーレン族の『尻尾』を切って、人間族に化けている。
なんていうトリックについては、ありえないからね。
ノヴァークの記憶にも腰回りに尻尾の痕跡がないことは、確認済みだった……。
―――そもそも動き方と筋肉の付き方が、フーレン族のそれではない。
『虎』に対しての模造的な動きに終わっているのは、技巧の足りなさと種族特性だ。
解剖学的に言えば、フーレン族の広背筋と尻尾とつながる背骨の動き。
あれがなければ『虎』の動きの完全再現はなく、女狐にはそれはなかったんだ……。
―――筋肉は『履歴』を教えてくれるものさ、高度な達人の領域に達するとね。
どんな鍛え方をして、どんな武術を叩き込んでしまったのか。
必死になるほど思い出してしまう、記憶の底から今この瞬間を支配してくる。
暗殺系トラップである呪いの影と戦うこの時、彼女の過去は露出していた……。
「『呪法大虎たちの集団鍛錬と、似たものがある。須弥山に潜り込み、あちらの呪術体系と触れ合ったらしいな。ハイランドは帝国と、事実上の中立関係をかつては保っていた。クソみたいな宰相が、あの気高い武術王国を支配したまま。須弥山も動かなかった。そういう経験をしてしまうと、ヒトは忠誠心というものが揺らいでしまうのかもしれん。『虎姫』や義賊ヴァティの一族の一員にはなれず、お前は、ハイランドを離れたのか』」
―――それでも十分な武術が、シドニア・ジャンパーには宿っている。
どんどん技巧の切れと、幅が強化されていくのが手に取るように分かった。
どんな攻めも、すべてナイフとステップワークでどうにかしのいでいく。
本人はその過程で、安心を得ようとしているようだったし……。
―――もちろん、ソルジェと同様に呪術を分析しようともしていた。
あるいは、ソルジェ以上にかもしれない。
この呪術は暗殺をするための力は十分にある恐ろしいものだが、同時に限界もある。
クロウ・ガートは『暴発』を恐れてはいて、学長を殺したくはないからだ……。
―――不測の事態が起きて、学長以外にこの書類が渡ったとしても。
例えば学長の秘書あたりが、読んでしまう可能性だってありはする。
クロウ・ガートの危険性を、学長は正しく認識していない可能性はあるからだ。
人体実験で殺人までいとわないと知れば、もっと早く拒絶していただろうから……。
―――誤解に基づく事故のリスクを、クロウ・ガートは除去し切れなかった。
あまりにもクロウ・ガートらしくない、脇の甘さと言えるだろう。
もっと強い呪術をいくらでも仕込めたはずなのに、このありさまなのだから。
影の放つ槍に、刃を砕くほどの殺意が込められてはいないなんてね……。
「『友情かな。あるいは、友情不足なのか。もっと相手を知っていれば、調整が叶ったのだろう。クロウ・ガート、お前の弱点ではあるが、おかげで彼女らは死なずに済んだ』」




