第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その八百九十
―――ソルジェはニヤついていたらしい、スケベな北方野蛮人だからね。
ノヴァークが抱きしめるなりして、スケベな行為にならないかと期待する。
それと同時に、ノヴァークの視界の端にある資料もにらみつけてもいた。
器用なものさ、さすがは我らの猟兵団長……。
―――ノヴァークが恋心に基づく感情的な行為をするよりも先に、呪いが動く。
封筒だけじゃなくて、資料のなかそのものにも呪術を仕込んでいたのさ。
クロウ・ガートの本質は残忍であり、何よりも慎重な呪術師だった。
シドニア・ジャンパーの呪術師としての才能を、老獪なヤツは上回る……。
「あ、危ない!!」
―――ノヴァークの視界のなかで、資料の周りに黒くて深い影が生まれていた。
その影から黒い影の槍が飛び出すように伸び、シドニア・ジャンパーを狙う。
少年は抱き着いていたよ、愛しい悪女を守るためにね。
槍が彼の体をかすめて、上質で分厚い生地の服をあっさりとえぐる……。
「『クロウ・ガートの呪術は、凶暴だぞ。隠すのがやたらと上手いんだ。オレも苦心させられた。アーレスのくれた魔眼がなければ、どうにもならなかったかもしれねえ。だが、お前はよくやったぞ、ノヴァーク。クズの詐欺師ではあるが、今の行動に関しては賞賛してやれる。男として正しい。詐欺師だが、愛しい女のためには体を張った』」
―――ソルジェは女性を大切にしているタイプだ、実姉に殺されるかけるほどね。
ストラウスの竜騎士に脈々と受け継がれてきた、紳士性というか騎士道のせいさ。
ノヴァークは商人の息子で詐欺師だが、この瞬間だけは立派な騎士道の体現者だ。
傷つき激痛に苦しんでいるはずだが、危険な影から悪女を遠ざけるため動く……。
「に、逃げよう。少尉!!あれから、離れなくちゃ!!」
「ああ。そっちが、離れろ。私の背に」
「嫌だね。それ、ダサすぎるだろ」
「やれやれ。不良少年らしく、オトナの言うことを聞かないんだね。安心しろ。私は、呪術師であり、軍人なんだぞ」
―――シドニア・ジャンパーも強引だ、嫌がるノヴァークの首根っこをつかみ。
無理やり引きずり倒すようにして、彼の前へと躍り出た。
盾になるためであり、倒すためでもある。
彼女は二刀流だ、左右の小さな手にナイフを逆手と順手に握りしめていた……。
―――ソルジェは武術の達人なので、この悪女の武術の起源についても探り当てる。
ハイランド系の武術だ、フーレン族の『虎』たちの動きに似ていた。
シアン・ヴァティが見れば、もっと詳細な武術キャリアを見抜けたかもね。
『虎』ではないソルジェでも、彼女の能力を追跡は可能だ……。
「『ああ、シドニア・ジャンパー。彼女はハイランド王国に縁があるのかもしれないな。『呪法大虎』たち須弥山の者たちが管理している武術と……呪術。そのどちらとも、妙な関わりがあるようだ』」
「ほう。須弥山の呪術。管理されており、秘伝も多いとは聞きますが……」
「『武術を望む者には、解放されてはいる場所だからな。そこで、盗み出したのかもしれない。正攻法だけを使う女じゃないのは、とっくの昔に判明済みだからな』」
「詐欺師らしく、盗んだ。武術の最高峰の寺院から……なかなか、厄介そうな女性だ」
―――双刀でなくナイフなのは、シドニア・ジャンパーの筋力の問題だろう。
大きな鋼を制御し切るほど、『虎』たちに競り合うほどの筋力は彼女にないからだ。
そして左を逆手にしているのは、より防御的な運用を求めてのこと。
圧倒的な攻撃力と、死にもひるまない『虎』の勇敢な武術はそこにない……。
―――哲学の面では大きな違いがあるのさ、だがそれを差し引いてもなお。
彼女と須弥山武術には、大きな否定しがたい一致がある。
シアンの十分の一の強さもないだろうが、それでもかなりの戦士でもあった。
呪いの影から撃ち出される、鋭い槍のような影の触手たち……。
―――それらをシドニア・ジャンパーは、左右のナイフでしのいだ。
立ち回りを意識したステップワークで、回るように動きつつだったけれどね。
叩き伏せるほどの力もなければ、その意志さえもないってわけだった。
賢くはあるし、そもそもどこか観測的な動きでもあったんだ……。
―――呪術師としての同業者らしく、ソルジェは見抜いたよ。
彼女の動きの真意は、なかなか残酷な判断のもとにある。
呪いの狙いを探っていたのさ、自分なのかそれとも『ノヴァークでもいいのか』。
もしも後者の呪いであれば、どうしていたのだろうか……。
―――真に追い詰められるほどの呪術であれば、ノヴァークを犠牲にした。
ソルジェは内心、そんな評価をしていたよ。
武術の動きは、とくに危機的状況においてのそれらはね。
あまりにも素直に心の内側を、ちょっと語り過ぎてしまうものさ……。
―――そうだと言うのに、キラキラとした憧れの視線と。
心配と恋慕と、弱い自分に対しての葛藤を抱えた動きで。
ノヴァーク少年は、シドニア・ジャンパーを見つめてもいるのさ。
残酷なものだ、恋愛というものはいつも加害者と被害者を産むものだったよ……。




