第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その八百八十六
―――こうして、祭祀呪術に対する資料はシドニア・ジャンパーの手に落ちる。
マクスウェル・クレートンに届かなかったそれが、果たしてどんな内容だったのか。
ソルジェも興味はあるようだけれど、それよりも気になることがあるらしい。
クロウ・ガートと戦い、倒した男としてはね……。
「さて。内容を確認させてもらおう」
「君のクライアントに、渡すのではないのか」
「最終的には、そうなるよ。しかし、良き部下というものは勤勉であり、組織が不測の事態にさらされることに自主的な警戒を持つものだろう」
「主が、複数いる。その種の組織は、きっと長続きはしないよ」
「有意義なアドバイスをありがとう。さて、お茶でも入れてくれるかな。そうすれば、情報をいくつか貴方に教えるかもしれない。学問の徒からすれば、魅力的な提案になるのではないかと考えているのだが」
「傲慢なお客人だ。しかし、礼儀には従うよ。私の知的好奇心のためではなく、この大学の品位のためだ」
「どちらでもいいさ。私は細かいところは気にしない。動機の源泉が、どこにあるかなんてね」
「……あの呪いは、もう。大丈夫なんだね。学生をしばらく近づけさせるつもりはないが」
「完璧など、保証してやれない。しかし、全力は尽くしている。心配し過ぎるな、チーフ殿」
―――巨人族のチーフが納得し尽くしてはいない顔で、部屋から出ていった。
シドニア・ジャンパーはその書類に目を通す、速読をしているね。
ソルジェは知力コンプレックスをくすぐられる、北方野蛮人はアホだから。
あんな勢いで知的な専門情報を読み解いていくなんて、逆立ちしても不可能さ……。
―――だが、視力だけならいいんだよ。
至近距離で放たれた矢を素手で捕まえられる程度には、超人的だった。
しかも、魔眼という反則技まであるわけだからね。
ソルジェはノヴァークの視野を共有しつつ、読解を試みてはいる……。
―――そして、ノヴァーク自身も好奇心を強めていたんだ。
愛しのシドニア・ジャンパーが、つい先ほど口にしたように。
上司のために不測の事態に備えるのが、自分の役目だと信じているらしい。
たとえ彼女がそれを望まなくても、自主的な行動が必要なのではないかと……。
―――シドニア・ジャンパーの背後へと、足音と気配を隠しながら進む。
彼女は見破ったよ、しかしお咎めはなしだった。
可愛らしいとでも思っていたら、普通の女性だろう。
だけど、彼女みたいな人物は他人を道具としてみなしがちだ……。
―――自分の理想の成長をしてくれるなら、どんな無礼だって許そうとしている。
ただそれだけの感情であるように、ボクとソルジェは理解した。
正しかろうが、間違っていようが。
ボクもソルジェもどちらでもいい、肝心なのは情報収集の量が増えたところだね……。
―――資料が読みやすくなった、これが過去の光景ということは。
ノヴァークの記憶能力に、多くの情報が依存している。
それと同時に、おそらく本人の認識以上に多くの記憶があることの証でもあった。
ノヴァーク自身は思い出せないだろう、そこまでの天才ではないからね……。
―――だが、十分に強力な知性を宿してはいるんだ。
もったいないことだね、詐欺師なんかに利用されることになるとは。
運命はときどき酷いことをしてくるから、あきらめるのも大切か。
ノヴァークの視界を、今は盗むことにソルジェは集中する……。
―――『祭祀呪術について、どれだけその力が残存しているのか』。
『千年の時代が過ぎるにつれ、大半は風化しているというのが通説ではある』。
『しかし、私の発掘と諸地域の伝承や、実際に集めた観測実験の結果』。
『祭祀呪術のルーツは通説よりも多様であり、他地域にも『遺産』がある』……。
―――『君の知見を借りたくはあるが、レフォード大学の学長としては』。
『古王朝の呪術に対しての警戒、当然ながら存在しておられると思う』。
『期待はしてはいない。君の立場からすれば、倫理的な判断が優先されるか』。
『研究の追い求めるよりも、今は大学の維持存続に集中するだろう』……。
―――『帝国軍による『プレイレス』地方全域の占領は、大きなリスクだ』。
『大学半島の自由と安全さえも、絶対とは言い難いものがある』。
『君は、エルフ族だからね。学生たちも亜人種が多くいる』。
『帝国が掲げた政治的なポリシーは、君らの生存に否定的なんだ』……。
―――『しかし、この危機的な状況であるからこそ』。
『帝国軍や帝国政治中枢に働きかける者との間に、パイプを作るべきでは?』。
『私はそのために動くことはないが、君はどうだろうか』。
『大学半島は、亜人種学者にとっても聖域になっている』……。
―――『学者というものは、歴史を紐解けば』。
『ああ、歴史の専門家である君に講釈するなんて不必要だった』。
『帝国軍は嫌っているよ、学者は軍事力に対して理論武装が可能だからね』。
『若く優秀な人材たちに、君らが本気で対帝国軍の技術と知識を叩き込む』……。
―――『大学半島が武装蜂起するリスクは、常に帝国軍が警戒しているよ』。
『しかし、それでいていまだに帝国軍による影響が限定的なのは』。
『私のパトロンのひとり、ライザ・ソナーズ中佐のおかげでもある』。
『排他的なアンチ亜人種派閥に、彼女だけが釘を刺せる存在だ』……。
―――『大学半島そのものの貴重性を、皇帝に説くことでね』。
『奴隷貿易の女王ではあるが、彼女は君らの事実上の最後の砦でもある』。
『学問の場にいれば、よくよく遭遇するものさ』。
『矛盾した状況、精密で複雑な評価を行えば遭遇しがちの現実と言えよう』……。
―――シドニア・ジャンパーは、ライザ・ソナーズが大好きらしい。
その部分を読み解くのに、それほど時間がかかるはずもないのに。
じっくりと時間をかけて、ライザ・ソナーズへの賞賛を楽しんでいる。
そのおかげで、我々もライザ・ソナーズへの認識を進化させられてはいる……。
―――『ライザ・ソナーズ中佐自身は、祭祀呪術への警戒論を持っておられる』。
『当然かもしれないね、私自身も自覚はあるよ』。
『呪術について、世間の反応というものは厳しいものがある』。
『だが、彼女も我が弟子でもある『高貴な人物』には逆らえない』……。
―――言うまでもなく、レヴェータのことだ。
しかし、レヴェータの正体についてまで教えたくはなかったのか。
レヴェータ自身に口止めされていたのかもしれないし、自主的な判断かも。
この報告書は、間違いなく学長の協力を得るための脅迫の一種だったから……。
―――『祭祀呪術の研究のために、知識を提供して欲しいのだ』。
『さすれば、私も多くの協力を行うだろう』。
『大学半島を恒久的に、帝国軍の脅威から守るためには』。
『帝国内の強力な政治的統率者を、仲間に引き込むほかにない』……。
―――『それは帝国の主流に対して、とくに皇帝に対しての反乱でもある』。
『ユアンダートは亜人種の存在を、この世から抹消したがっているが』。
『ライザ・ソナーズ中佐たちは、そこまでは考えちゃいない』。
『彼女自身も呪術を嫌っているものの、可能性を知っているからだ』……。
―――『彼女のロビイストとしての力は、素晴らしく優秀ではある』。
『そして、皇帝が警戒する理由でもあるだろうが』。
『実際のところ、強力な古い時代の呪術に対してのファンは多いのだ』。
『エールマン・リヒトホーフェンの名前を、君も聞いているだろう』……。
―――蛇の道は蛇だろうか、祭祀呪術の信奉者側の人物であり。
そして、中海の奴隷貿易の中心人物の一人だった男。
ライザ・ソナーズと、つながりがあった人物だ。
ソルジェの好奇心は、当然ながら強くなっていたよ……。




