第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その八百八十三
―――誰もが正確な歴史なんて、分からないものだよ。
君は四十七日前の朝ごはんを覚えているかな、ボクは日記に頼れば思い出せる。
でも、調味料がどんなものだったのか。
あの卵焼きを見つめながら、クラリスにどんな進言をしたのかまでは分からない……。
―――いくらかルード王国や、現在進行形の対帝国戦争について。
歴史を紐解く上で、微妙に重要な言葉を述べたハズのなのに。
戦士たちの死傷者数や、ルード王国の国庫に対して。
なかなか無視しにくいレベルの言葉を、告げているのだけれど……。
―――外交会議っていうスケジュールがあったから、書き忘れている。
議事録に全てを残せるほど、歴史ってものは小さくはない。
この詐欺師の女狐の言う通り、歴史に嘘はつきものだった。
正確さの風化は早く、重要事項はくるくると変わっていくものだからね……。
―――ボクらは正しさをうつろわせながら、適当なつじつま合わせをする。
書き換えられた議事録だって、詰めば歴史の山よりも高くなりそうだ。
ノヴァークは古びた歴史の残存物を見下ろしながら、目を細める。
これらを使った詐欺には、どんなものがあるかさえ考えていたのさ……。
「歴史って、文脈だもんね。そういうの、ヒトは過大に評価しちゃう。つながりたいから。帰属意識っていう本能が持つ、卑しい部分だ。『あなた方は古王朝時代の名家の末裔であり、この骨董品に刻まれている家紋から、推定した家系図に関わりがあるようです』。それだけでも、何人か『プレイレス』の金持ちたちは、騙せるだろうか。レフォード大学の教授と、その教え子という肩書きでもあれば」
「私と君で、『プレイレス』の街を回るわけか」
「うん。かなり、稼げるんじゃないかな。帝国軍に抑圧されている状況だ。この土地の人たちも、大きな負け犬コンプレックスに囚われていると思う。ちょっとでも、自分がマシな存在だと思いたくて、嘘だと分かりつつも喰いついてくれるかもしれない」
「まあ、悪くはないシナリオだ。詐欺師は、シナリオが書けなくちゃやれない。欲望と不安につけ込むような物語は、切れ味がいいものだ」
―――歴史を探求する学問の場の一角で、詐欺師たちは不穏な会話を楽しむ。
冷静なシドニア・ジャンパーも、邪悪な理論を話すときは口角が上がった。
ソルジェはノヴァークの視線を借りて、それを見ている。
ノヴァークは分かりやすい少年だ、好きな女を喜ばせたくてしょうがない……。
「君たちが、クロウ・ガート教授の言っていた……」
「来たよ。有力なパトロンの部下に対して、取るべき態度か?待たせ過ぎだよ」
「授業が、あったのだ。学生たちとの議論も大切なのだよ」
「そうかい。でも、発掘のための活動資金だって、学生との議論と同じぐらい大切なんじゃないの?」
―――発掘チームにチーフは、若者からすればベテランで。
賢者からすれば青臭い、そんな年齢の男だったよ。
二十代後半あたりで、春でも日に焼けた額を持つ男だ。
赤土を掘り返す喜びを持つ、巨人族の研究者だった……。
「挑発的な態度だな、若者らしい。まだ、大学に入る年齢に、わずかばかり達していないように見受けられる」
「どうだっていいだろ。オレは、羽振りのいいクロウ・ガートの関係者だ。あんたの態度を上に報告すれば、それなりの裁きを下せる」
「法律家気取りかね。なかなか、君の部下は元気そうだ」
「乱世だ。多少の暴力性も、許容してもらえる時代だろう、チーフ」
「……そうだろうね。大学半島には干渉しないという名目は、君たちの堂々とした訪問で破られつつある。学長が不在の日で、良かった。亜人種と帝国兵がもめるなんて事態になれば、不測の事態を招いたかもしれない」
「安心してくれて構わないよ。私はそれを望まない。ライザ・ソナーズ中佐も、この土地の不可侵さを保つことには苦心しておられる」
「……奴隷売買の、女王か」
「そうだ。それでいて、世の中の複雑さゆえに。亜人種の庇護者でもある」
「亜人種の庇護者か。どうにも、議論したくなるが……」
「帝国軍人と、その種の議論をする意味をチーフ殿は見つけられないだろう。平行線のままの議論だ。私の認識と、貴方の認識が、交わる可能性はゼロだ」
「大学に属する者として、議論の放棄などしたくはない。しかし、今は……優先したいものだ。何の用かな?祭祀呪術に関する発掘品は、提供しているぞ。契約の通り」
「把握している。貴方には学術的興味を満たす機会と、少しばかりの医療的な提供が必要だ」
「……うちの子供の病気まで、知っているのか。脅すつもりなら」
「脅すつもりなら、もっと言葉を濁らせるよ。私の脅迫は、恐怖を主軸にデザインされているものだから。想像力を駆使させるために、あえて、欠落させる。とくに、考えるという行いに長けているターゲットにはね。安心するといい」
「安心など、とっくの昔に……出来なくなっているさ。学生たちは血気盛んだ。自警団が大きくなれば、君らが大学半島を侵略する口実を与えてしまいかねない。この場所の、奇跡みたいな時間が、終わってしまうかも。学生たちは、そのリスクが、まだ骨身に染みちゃいない」
「イルカルラの隊商の生き残りが、先代学長に拾われた。奴隷にされそうだった貴方は、そうして学問の道に。知っているよ。物語について詳しくなるのが……私の。会計将校の業務を、やりやすくするのだから。すべての人に、固有の事情があるのだからね」
―――何でも知っている女狐を、詐欺師らしく演出している。
ソルジェは詐欺師の手法を学びながら、気に食わないが有効策だと認識した。
チーフの動き、巨人族の落ち着いた知識人の所作さえも。
シドニア・ジャンパーは女狐の視線で、『鑑定』しているんだ……。
「『いい目だぜ。呪術師の目つきってのは、だいたい暗く荒んでいるものだが。お前の師匠は、詐欺師のおかげかな。静かで、吸い込むような観察者でもある。巨人族にカードゲームで勝てそうだよ。オレも、ちょっとは参考に使いたい。芸風には、合わんかもしれないがね』」




