第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その八百六十二
―――ソルジェの呪術師としての腕前は、さらなる高みに到達したらしい。
呪術師であり数学者、プレイガストがそばにいてくれたおかげだろう。
『7』という数字に、どんな感情が秘められているかなんて。
さすがにソルジェだけでは、見つけ出せるはずもなかったのだから……。
―――数学にも感情的な部分は多々あるものさ、とくに現実と混ざったとき。
複雑な心理が絡み合って、純粋さはどこかに消え去っていた。
シドニア・ジャンパーという女狐が、混沌とした人生で愛した数字。
『7』からつながっていった視界の先で、やはり『彼』はその数字を描く……。
―――メイウェイ軍が大暴れし、事実上『西』の帝国軍が戦争状態に突入しても。
『彼』はむしろ必死になって、偽りの競馬新聞の執筆に勤しんでいる。
筆の速さはなかなかのもので、速筆と謳われるボクにも近しいようだ。
ボクの『恋愛小説』の愛読者であるソルジェも、そう評価していた……。
「早書きのくせに、我が友シャーロン・ドーチェよりもキレイな文字を書く。芸術性は、おそらく欠いているがね」
「つまり、それほどの教養はない」
「手厳しいな、プレイガストよ。だが、『彼』はそうらしい。文字の美しさに、気品や地位を込めろと強いられる類の教育までは、受けさせてもらえていないようだ。だが、それでも。十分な教育は受けた」
「実家が金持ちなのだろうね。『狭間』……ハーフ・エルフだとしても、耳が伸びないように呪術や薬品のサポートを受けられるのは、かなりの金持ちだけだろうから」
―――メイウェイの指摘は、的を射る。
『逆流』の呪術は完成度を高め、『彼』の視界を奪う範囲が広がった。
部屋の片隅が見えて、そこには厚みのある上質な革のブーツが見える。
牛二頭と引き換えに出来そうだと、ソルジェは値踏みした……。
―――使い古されかけているが、明らかに高級なそれ。
レビン大尉でも、おそらくは持ってはないだろうよ。
クリームを使った手入れが必要なものであり、その仕方も大尉は知らないから。
帝国軍の支給品とは、明らかに違う……。
「商人の子か。『西』の土地の、諸都市の商人の子」
「旅をする商人は、現地で異種族の異性と恋に落ちることもある」
「お前のロマンスを知れたな。ステキなものだ」
「ふむ。亡き妻も、喜んでくれるだろう。とても、ロマンチストな女性だったから」
―――商人の人間族の父親、そしてエルフの母親から生まれた青年。
いや、青年と呼ぶには若さが目立つ。
アーベル・レイオーンと似たような年齢で、生意気そうだった。
怒りを込めたような執筆速度と、不正な計算のための資料表……。
―――鼻先に汗を垂らしながらも、『彼』はつぶやいた。
「大尉、大尉」。
飢えたような恋慕が、そのかすれた若い声にあるようだ。
少年時代に年上の女性に抱く、ひた隠しにすべき行き場のない愛情がある……。
「オレも、記憶にあるよ。ガキの頃、知的で世話を焼いてくれる女性に対して、みょうな性欲を抱く。ああ、すまん。恋愛感情を。メイウェイ、お前も分かるだろ?」
「……まあ、否定はしがたい。たしかに、その種の恋愛を、男はしがちだ。少年というものは、自己実現の仕方も知らないからね」
「さまよえる若い衝動でしょう。少年、思春期のそれなりの学習環境を与えられた、商人の息子。なるほど、反発心から、シドニア・ジャンパーに魅入られたか。反抗期の恋を、女狐は巧みに操ったと」
「そんなところだろう。ガキが所属した組織を裏切るには、悪くない理由だ。青臭い恋愛感情と、人生への不満から来る反発心。女狐とはいいコンビかもな」
―――美人なんだろうな、とソルジェは想像したし。
実際、それは正しいだろうね。
『彼』は彼女のために恐ろしく必死に作業をし、軍隊さえ敵に回している。
女狐の利益のための嘘で飾った競馬新聞は完成し、『彼』は机から立ち上がる……。
―――背伸びをしながら、肘を反対側の手でつかんだ。
背骨も首もバキバキと音を立てて、我々のような知的労働者らしいため息を吐く。
『彼』の場合は恍惚を帯びていて、女狐のために戦った気分に浸っている。
部屋の隅に置かれた女性用の鏡台に向かい、『彼』は自分の顔を見た……。
「金髪碧眼の美形野郎。一見すると、女みたいだな。十代後半。18、17……16かもしれない」
「洗脳するには、いい年齢です」
「教育者として、あまり善き言葉ではないのではないかな、プレイガスト殿」
「ああ、たしかに。『恋に溺れる年齢』、『親を裏切りたくて仕方がない年齢』というのはどうでしょうか?」
「事実、そうだろうからね。否定は、しないよ」
「悪いハナシじゃねえさ。敵軍に関与して故郷を裏切ってもいるのは事実かもしれないが、帝国軍にも復讐をしている最中だ」
「善き少年とは、言い難いのではないだろうか……見つかれば、どちらの勢力からも、リンチで八つ裂きにされる」
「若いヤツは、とくに男は。基本バカだからな。こいつも、『運命の女』に出会っちまったタイプだ」
「ファムファタルは、少年を破滅に導きがちですからね」
「悪い女が魅力的に見える時期だ。ガキめ。まったく、こいつ……とんでもない数の詐欺文書を書き上げちまっているぞ。軍郵便の封筒らしきものが、ベッドにも束だ。封が切られている。中身を奪ったらしい」
「兵士の命がけの、仕送りを……ッ」
「感情はしばらく抑えておけ。どうせ、遠からず会える。窓を開けて、涼もうとしていやがるが……見える山脈のかたちが、ゼファーの見たそれと同じだ。それほど遠くない場所に、こいつはいやがる」




