第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その八百五十八
―――ソルジェは呪術の発端となっているナイフを、握力ひとつでへし折った。
右の親指を使い、てこの原理の支点としていたけれどね。
それでひとつの呪術は終わる、呪術の終焉も魔眼はつぶさに観察していた。
どのように『逆流』の呪術が、途切れて散っていくのかさえも……。
―――それはソルジェの魔眼という、アーレスのくれた力がなければ。
おそらく不可能だった観察だよ、アーレスは死後もソルジェを救ってくれている。
『逆流』の解体まで見られたからこそ、ソルジェは新たな知見を得られた。
壊れることで、世界は何かしらの課題を見せつけてくれるものだからね……。
―――壊れた呪術の破片からも、飛び散って消えていく呪術の欠片からも。
もしもそれが『見れたなら』、大いなる教訓と成長を手にするわけさ。
ソルジェのような武術の天才は、理論よりも感覚的な模倣を好みやすい。
さらに『逆流』を探求するために、プレイガストを頼る……。
「この『逆流』という力で、探ってみたい敵がお前にもいたはずだな」
「ええ。筆頭は、もちろん。おそらく、ストラウス卿と同じ対象かもしれません」
「オレはユアンダートを覗きたいわけじゃないな。戦士とは、そういう厄介なものだ」
「私は数学者であり呪術師なので。ユアンダートを呪いで殺せるなら、それで良かったのですがね。ヤツは呪術対策に余念がないのです」
「皇帝は、呪術を嫌っていたはずだが……それは、つまり」
「私のようなヤツに恨みをもつ呪術師は、相当数いるでしょうからね。軍隊を使って、ヤツを倒すのは難しいものだが。しかし、呪いであれば、無防備な王を屠ることは容易い。少なくとも、大戦争をいくつも起こすよりは、はるかに平和的な解決策だった」
「暗殺を評価するのは、軍人としての私に宿った本能が拒絶したい。むろん、被害が暗殺の方が少ないのは分かるが……私も、軍人なのだな」
―――戦士であるソルジェは、ユアンダートを呪いで殺すことなど望めない。
軍人であるメイウェイも、戦争をどこか賛美しているところがある。
価値観というものは、なかなか曲げられるものじゃないのさ。
数学者であるプレイガストも、その種の文系学者が定義しそうな訴えは分かる……。
「私も、一途ですからな。分かりますよ。信念というものは、けっきょくのところ。死ぬまで、心を捕らえてくれる。それゆえに、人はアイデンティティを持てるのです」
「縛られて、ようやく自分が何かになれる」
「所属という本能が、ヒトにはあると。この土地の学者は、古くから説いたものです。我々は、それぞれの職業が持つ理想像に縛られてもいる。健全な傾向ですよ」
「そうだろうな。心地よさがある。職業に、縛られる。職業倫理に、理想。まあ、オレの理想なんてものはどうでもいい。今、知りたいのは呪術について」
「『逆流』を完成させたい。ストラウス卿は、ユアンダートではなく対象を……シドニア・ジャンパー少尉に定めたがっている」
「ああ。彼女だ。彼女じゃなくても、彼女が残した痕跡でもいい。追い詰めるよりも、呪術で終えたら、楽だからな。とりあえず、『逆流』について、語ってくれ。何か思いつけるような気がしている」
「『逆流』は、呪術の文脈を読み解く行為とも言われています」
「呪術の文脈か。『世界の文脈』という、『プレイレス』の呪術概念もあった」
「体得されましたかな、魔眼や英雄には向いている概念ですが」
「ああ。完璧かは分からんが、掴んでいると思う。世界や、人々が持つ……つながりだ」
「……素晴らしい。ならば、やれるかもしれません。『逆流』の完成を」
「空間さえも文脈を持つ。それに、半分ぐらいは……あるいは、それ以上、ヒトは支配されているような感覚だ」
―――ソルジェは古代の建築家たちと、同じ言葉を言い放っていたよ。
それにプレイガストあたりの知識人は、膝が震えるほど感動したはずだ。
ソルジェは賢くはないが、何かの天才ではある。
空間に与えられた『様式』が、『建築』は人々の行動を大きく支配するものさ……。
―――狂暴な戦士が道を譲るとき、必ず背中を壁に向けるとか。
玉座の背後には、必ず壁が設置されているものだとか。
建築論は、恐ろしいまでに人の心理的本能を読解してはいる。
ソルジェは学問ではなく、経験値と勘でそれを言い当てたのさ……。
―――芸術との遭遇は、大きなものだよね。
ソルジェにさえも、新しい視点をいくつも与えてくれるのだから。
武術だけでなく、建築も絵画も舞踏も彫刻も。
ソルジェに新たな分析用の『様式』を、与えてくれている……。
「空間の文脈が、『世界の文脈』というものであれば。呪術の文脈とは、言い換えれば『様式』の把握」
「ふむ。『様式』か」
「何かに当てはめる、みたいな言葉の意味だとは思うが」
「メイウェイ殿は正しい。『一定の法則性を与える』とも、似ております」
「呪術か、敵の行動の『様式』……パターンに、集中すべきと」
「ええ。それゆえ、かなりの知識量。あるいは、感覚による比較が重要になって来ます」
「……お前が、あの兵士を生贄にしてレビン大尉と結び付けていた呪術。あれを、砕いたとき。いろんな欠片が方々に飛び散った……あれは、おそらく……『様式』の、欠片」
「私の目には見えておりませんので、「確実に」とは申し上げられませんが、おそらく正しいのかと」
「対話を続けるべきだ。アイデアというのは、やり取りから見つかるものだ。ストラウス卿、気づきを、プレイガスト殿に。それが一番、いい方法だと思う」
「ああ。そう、だな……あれは、筆跡みたいにも見えたんだ。つまり、それぞれの癖があるというか」
「文法じみたもの、筆跡じみた癖。そういったものでしょう」
「そうだ。そんなカンジだ。プレイガスト、自分と異なる言語を読解するために必要なことは?」
「シャドーイング、辞書勉強、推察に……文化に触れることです」
「数字に詳しい女だよな、シドニア・ジャンパーは」
「ええ。おそらくは。調べるほどに、彼女は一種の数学的天才ではある。詐欺師ですが」
「数学という文化を、シドニア・ジャンパーは使っている。彼女の文化である数学を読み解けば、追えるかもしれない」
「なかなか、面白い試みですな。呪術は、執着するモノを呪術の中心と据え置くことがある」
「彼女なら、何だろう?競馬、ギャンブル、金……」
「金だろうな。そんな気がする」
「思い込みは危険ではありますが、実用性を発揮するときもある。それらの線で、『逆流』を組み立てていくのも、良いかもしれません」




