第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その八百五十七
―――『逆流』の呪術という概念を、ソルジェは把握しつつある。
とっくに自身が経験していたことだし、的確な指導者がいるからね。
呪術の指導を受けるのは、なかなかに稀有な機会だった。
だが、目の前にはちょうど良い人材が立っていたのさ……。
「これはレビン大尉に呪術をかけるために使ったナイフです。レビン大尉の部下でもあった兵士、私を拷問したり監視したりする役目を、そこそこ楽し気に行っていた人物だ」
「それは、あまり友好的な関係性じゃなさそうだね」
「上品過ぎる言い方だな。自分を拷問するようなヤツを、戦士は許さねえもんだ」
「ストラウス卿も、経験があるようだ」
「あるさ。ガルフ・コルテス。前団長の義理の息子。拾った子だ。そいつに、捕まっちまったことがある。ガルフがヤツを見限っていた。オレを選んだ。オレの方が顔はともかく、性格的にいいヤツだったし、猟兵として勝っていたからだ」
「嫉妬されて、痛めつけられた」
「独特な感性の持ち主でね。オレに……自分の恋人を、娼婦として派遣してくる……どういう気持ちだったのか」
「それは、何とも気持ちが悪い相手だ」
「決着をつけられて、心から嬉しいよ。相容れない相手ってのもいる。とにかく!拷問されるってのは、なかなかの屈辱だ」
「ストラウス卿は、苦痛をガマンしたでしょうな。そういう性格をしておられそうだ」
「ああ。お前も似たようなものだろう。少なくとも、復讐のための怒りは取っていた」
「ええ。その通り。拷問してきた兵士を利用し、レビン大尉や脱出のための作戦を実行させた。操るのは、そこそこ得意なのです」
「プレイガスト、その記念すべきナイフを貸してくれるか?お前とレビン大尉の脱走が、メイウェイにここまで暴れさせたわけだ」
「そういう視点から評価していただけるのは、幸いですね」
「事実だからな。さあ、そいつを」
「もちろんです。ストラウス卿、どうぞ」
「おう。ありがとうよ」
「……何を、するんだい?」
「もちろん、『逆流』の練習だよ。レビン大尉に対して、プレイガストがかけている呪術を経由し……覗き見る」
「竜に対して、ストラウス卿がしている呪術を……」
「そうさ。魔眼は、かなり器用な呪術。プレイガストの呪術を、追いかけるようにすれば、おそらく……」
「呪術とは、そこまで便利なものなのか?」
「ストラウス卿は特別。竜の力の一部を、その身に宿している呪術師など、聞いたこともない」
―――ソルジェは『ナイフの真の持ち主』を、想像した。
プレイガストに殺された死者は、居心地悪そうにしている。
じっとプレイガストを見つめる黒い影も、竜の金色の魔眼ににらまれると。
何かをあきらめたかのように、その場から消え去っていく……。
―――消え去ったあとにも、残滓が残った。
それは夕暮れ時に木から伸びるような影で、そのくせ蛇みたいにうねっている。
ソルジェは自分の思惑通りの呪術を、構成できたのだと喜んだ。
動く影は速度を上げて、少し離れたテントでレビン大尉に追いついた……。
「……オレは、傭兵になったんだ。裏切り者でもある」
「分かっていますよ、レビン大尉。護衛は、しっかりとついていますから。安心してください。そもそも、ここは『自由同盟』側の勢力なので」
「ロック。お前は、よく今までろくに関わっていない勢力に、そこまで葛藤なく合流できるよな?」
「葛藤ぐらい、ありますよ。人生が変わってしまったんですから。でも、少し。ワクワクもしています」
「ワクワクだと?こんな、戦争の最中にかよ」
「プレイガスト先生の秘書として、亜人種が隠れ住まずに済むような世界の実現に、貢献できそうなので。そういうの、ワクワクしません?歴史が変わる瞬間に、立ち合えているような?」
「そんな気持ちには、なれねえ。情報戦なんて、不慣れな行為をしまくる。裏切り者だ」
「報酬は、約束されていますよね」
「ロック、お前は意外と大物だな。金が、命の代わりになるのは……一定の範囲までだぜ」
「そう言える大尉ならば、問題なさそうなのですが」
「……明るく見えるか?今の、オレが?」
「そこまでは。怯えているのも、怖がっているのも分かります」
「なめんなよ。生き死にの覚悟ぐらいは、やっている」
「では、この状況はそれよりも大きいと。仕事からつながる、歴史的な重要性に、貴方は委縮しているのですか?」
「……知らん。だが、心細い。娼館に三日ぐらい、閉じこもりたいほどだ」
「正直ですね。娼館はありませんが、護衛は十分かと」
「……シドニア・ジャンパーは、どうやら……死ぬほど怪しいらしい」
「そのようですね。架空競馬で、帝国兵の給与をかすめ盗った」
「嘘なら、いいのに。オレは……なんて、間抜けな……命懸けで、勝ち得た金を。ふ、不正までして貯めた金を……奪われていた」
「気づけただけでも、幸いなのでは?」
「自分の、間抜けさが、悲しくなる。もっと、上等な……少なくとも、勝ち組じゃあったはずなんだ。エリートではなくとも。オレだって、命懸けで戦い、勝利をして来たんだ。十大師団以外だって、ちゃんと帝国軍なんだぞ」
「築かれたキャリアを、全て失うわけじゃありません。大尉にしかやれない情報戦を、しておられる最中です」
「ロック、お前。いいヤツだな。エルフのくせに」
「その種の発言は、あまり口に出さない方がいいものですよ」
「分かっている。オレは、もう……この道しかねえんだから」
「プレイガスト、『この呪術』、解いてやった方がいい。レビン大尉は、骨の髄まで追い詰められている」
「そうですね。保険は多くあった方がいいと、思っていましたが」
「いつでも、彼を殺せたんだな」
「……正解です。我が身を無条件に預けられるほど、レビン大尉は信用しがたい男でしたから。傲慢で、視野狭窄を起こした……追い詰められた不正軍人」
「心臓を、いつでも壊せたか。心臓の表面を取り囲むみたいに、呪術が刻まれているぞ」
「なかなか、恐ろしい真似だね」
「緊急事態でしたから。ストラウス卿、解き方が分かりますかな?」
「このナイフをバキッと折れば、良さそうだ」
「正解です。さすがは、ストラウス卿。最高の呪術師にも、なれそうです」




