第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その八百五十六
―――ソルジェの言葉に感心したのは、ジャンだけじゃなかったよ。
ソルジェのとなりにいるプレイガスト、呪術師でもある彼の感動は大きい。
『狼男』という存在と、感覚器官を使った呪術たちの存在。
それらは彼の知的好奇心を、はげしく揺さぶるものだった……。
「そのような呪術を、使いこなしておられるとは……ッ。その、若さで」
「ベテラン戦士の年齢だよ。もう、26年も生きている」
「呪術の熟達は、魔術のそれよりもずっと難しいものです。一生涯をかけて、磨くようなものですから」
「その観点からすれば、たしかにオレやジャンなど、若造だろう」
―――ソルジェは気になっている、呪術師としての先輩の知識がね。
あえて聞かせてもいたのさ、猟兵の戦術についてなど部外者には秘すべきことだが。
プレイガストという呪術師であり、しかも数学者であり教師でもあった男なら。
何か自分たちに適したアドバイスをくれるかもと、期待してもいる……。
「その表情は、実に分かりやすいものだね」
「メイウェイ。そうだ。プレイガストに言ってやれ。オレは、呪術師としてのアドバイスを求めている。オレにとっても、ジャンにとっても、有益そうだからな」
「自分で言っているじゃないか。プレイガスト殿、そのようだよ」
「感覚器を用いる呪術もあれば、私の呪術は『行動』にまつわる呪術。一定の行為をしなければ、何かを損なうように強いる術が多いのです」
「魔眼や、『狼男』の嗅覚呪術について、強化する方法は?」
「呪術を戦闘に使うとなれば、作戦や戦闘の技巧との組み合わせが肝要でしょうな。その点は、すでにストラウス卿が見出しておられる。私にやれそうなアドバイスとしては……呪術の『つながる性質』を、逆流してはどうかと」
「……逆流という言葉に、私はピンと来ないのだが?ストラウス卿ならば、呪術師として何か伝わるものがあるのだろうか?」
「ああ。あるぜ。逆流、そいつには覚えがある」
「ありましたか。呪術師という者は、およそ、その種の経験をしているものですから。そして、その種の経験の少なからずが、悲劇です」
「悲劇……悲劇が、呪術師の動機になるのかい?」
「私の呪術が強くなったきっかけは、妻子を殺された恨みからです。ストラウス卿の場合は……」
「オレは、焼かれて死んでいく妹の叫び声を聞いた。あれが、『逆流』だな」
「……ストラウス卿、悲しい経験をしておられる」
「よくあることだ。気にしなくていい。慰めは、妻たちからもらっている」
「そうか。誰しも、苦しみを背負う時代ではある……若者たちを、多く死なせてしまっているな」
「それで、『逆流』について教えてくれ」
「ストラウス卿、お辛くはありませんかな?」
「死んだ妹に出会える。辛い経験などではない」
「なんとも、心の強いお方だ」
「ストラウスの剣鬼として、竜と共に在る。そんな男が、弱いはずもない。強さをくれ」
「御意に。『逆流』とは、私が知る限り、多くの呪術師が経験するものです。おそらくは、脳内の微小な魔力の動きを把握、連動、共鳴するような行いでしょう」
「心に、『入り込む』という意味かな?」
「同調する、あるいは……『真似る』のかも。殺された愛しき者たちの亡霊や、他者の強い記憶を、呪術師は読み解くこともある。ストラウス卿の場合は、亡くなられた妹様の苦痛を体験された。魂のような……死してなお残る、微小な魔力。それが強い感情で刻み付けられて残る、『自然発生の呪術』を、読み解いているのでしょう」
「……呪術師は、とても辛い経験をしそうだな」
「素晴らしい経験だぞ。死者たちと、語り合えるときがある」
「私には、耐えられないかもしれない」
「まあ、メイウェイ殿ならば、おそらく耐えるでしょう。どれだけ失っても、貴方は戦士でいようとする。軍人でいたいのです」
「それならば、いいのだが……」
「それで、プレイガストよ。『逆流』の『使い方』は?」
「降霊術などの、伝統的な行いもありますな」
「あんな胡散臭い……いや、失礼した」
「いいえ。メイウェイ殿のおっしゃる通り。およその降霊術は、ただの詐欺や手品のたぐいでしょうから」
「そう、なのか。何度か、貴族社会で行われている催しを見聞きしたが……いずれも」
「詐欺でしょう。死者の霊を見るなど、そうそう再現性のある行いではない」
「では、技巧としての再現は難しいのでは?」
「戦場では、事情が異なるものです。残留する思念は多い。およその戦死者が、強い恨みや憎しみを抱きながら死ぬのですから。それらは、土地に遺ってしまう。あるいは、死者が大切していた道具などに……」
「それは、少しだけ想像がつくね。呪術師ではない、私にも」
「『逆流』は情報収集に向く呪術。死者の怨恨や、強い感情や信念の込められた道具に積層された記憶情報を、引き出すか、同調する行い」
「何度か、やったことがある。妹の叫びもそうだが、他人の記憶や、視界を覗くような力。ゼファーに至っては、ゼファーの視覚や聴覚と、同調している……ああ、つまり、これも『逆流』か。逆流し合っているから、ゼファーとオレはつながり合っている?」
「そのように思われます。おそらく、竜の縁が、呪術の基盤となっているのでしょうが。これを、『まったくの他人』に対しても、試みられるといいのでは?」
「そんなものが、やれるのか?」
「おそらく。すでに、部分的にやられている能力の、拡張をしてみるだけ、とも言えますので」
「……ドワーフたちが、鋼と語り合うというのも?」
「メイウェイ殿、まさに、それも『逆流』という呪術の側面です。種族によっては、呪術的な感覚が、特定の分野に発達しているようなのですよ。ドワーフならば、鉱石や鋼の類に積層した情報と、語り合える……人間族でもある我々にも、多少はある力です。呪術で、強化するように磨けば、我々も数十年、修行すればドワーフと同じ行いがやれるかもしれません」
「数十年かかるなら、ドワーフに頼むとしよう。とりあえず、今は」
「ええ。『逆流』のコツ、ですね。ちょうどいい、実験台がいます」
―――メイウェイは、一瞬ぎょっとしていたけれど。
彼にとって幸いなことに、メイウェイが実験台ではなかった。
プレイガストだって、常識人とは言い難いところがあるかもしれないが。
王国貴族や皇帝にまで、教育者として知識を与えるような男だから……。
「エリート階級の方々を、実験台になど。もちろん、そのような無礼はしません」
「なるほど、助かったと言っておこう」
「ちょうどいい実験台とは、ほかならぬ私の『友人』……レビン大尉のことです」
「ああ。彼か。なるほど、心を探ってみたい相手でもある。どこまでも情報を素直に吐いてくれているとは、限らないからね」
「彼も悪気があるわけじゃない。彼は、とても単純な男です。与えられた環境に応じて、努力し、挫折し、野心よりも欲望を満たそうと必死なだけの、等身大の男……さて。このナイフを見てください」
「……帝国軍兵士に支給される、軍用ナイフだね。レビン大尉の、私物?」
「いいや、違うさ。これは、レビン大尉のものじゃない」
「分かるのかい、ストラウス卿?」
「ああ。ちょっとな。魔眼に、映っちまうんだよ。レビン大尉じゃないヤツの顔が。持ち主は、死んでいるような気がする……」
「さすがは、ストラウス卿。正解です。これは、私と契約を交わした、死者の遺物」
「……降霊術でも、始まった気がするね」
「まあ、間違いでもありません。真の『逆流』の呪術には、降霊術もあるので」




