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06

 デートから帰って来たアイリス様は、ご自分の殿下へのお気持ちに気付いたようで、日に日に綺麗になっている。内側から輝いているっていうか、そういう感じ。アイリス様が幸せそうでなにより。


 そう思う反面、少し寂しい。私にはアイリス様しかいないけれど、アイリス様の一番はもう、殿下だから。


 もし、殿下がアイリス様のお気持ちを受け入れて下さったら? もし、お二人が相思相愛になったら?


 それがアイリス様の幸せだって分かっているのに、そうなることを願っていない私も居る。……私、こんなに醜い心の持ち主だったのかしら。


「……はぁ。」


 短く息を吐くと、少し寒気がした。暖かい季節だけど、さすがに夜はこんなに長く外にいないほうがいいかもしれない。みんなもう寝たかな。私もそろそろ戻ろうか、なんて思い始めた時だった。


「カーネラさん…? どうしたんですか、風邪ひきますよ?」


 ギルバートさんの声がしたと思ったら、背中が暖かくなった。見ると、ギルバートさんの上着がかけられていた。


「あ、えっと…、その、少し、考え事を……」


「こんな時間にですか?」


「考えていたら、なかなか寝付けなくて……。お庭にベンチがあったなと思って、部屋を抜けて来たんです。」


 来る時にも泊まった宿だから、立派なお庭があって、ベンチがあるのも把握してた。ここなら、一人になれるかなって思って。


「そうですか。今日は月も出ていて明るいですし、ここなら心が落ち着きますね。」


 ギルバートさんが「隣、いいですか?」って言いながら、小首を傾げた。断る理由もないから、こくりと頷く。


「あの、ギルバートさんはどうしてこちらに…?」


「さっきまで、殿下が処理なさった書類を、提出する部署ごとに整理していたんです。寝る前に食堂に水を飲みに行こうと部屋を出て歩いていたら、カーネラさんがいるのが見えたんです。」


「あ、そうだったんですね。」


「こんな時間にどうしたのかと思って、つい声を掛けてしまいました。……もしかして迷惑でしたか…?」


「いえ! そ、そんなことは、ない、です。」


 私が言うと、ギルバートさんは安堵したように微笑んだ。


「まだ、考えている途中でしたか?」


「……ええ。でも、どんどん思考が暗いほうへ流れていってしまうので、考えるのをやめようかと思っていました。」


「そうですか。……夜は、周りも暗いですからね。確かに、だんだんと自分を追い込んでしまうような考えに至ってしまいますよね。」


「ギルバートさんにも、そういうことがおありですか?」


「はい。最近は忙しくて、あまり考え込む時間がないのですが、小さい頃はしょっちゅうでした。」


「そうなんですか?」


「そうなんです。自分はなんて心が狭くて、嫌な奴なんだろうって。確かに、そう思い詰めてしまうのは、夜が多かったですね。」


 公爵家の方だから、貴族の家の方だからって、順風満帆な人生を歩んでこられたんだと、勝手に思い込んでた。そんな先入観で人を見ていたんだって気付いて、余計に自分が嫌になった。


「あ、すみません。聞いていて面白くないですよね、余計なことを話しすぎました。」


「い、いえ、違うんです。自分の醜さを、再確認していたと言うか……」


「醜い? カーネラさんが?」


「えっと、あの、」


「カーネラさんは綺麗な方だと思いますよ? 外見だけでなくて、内面も。こんなに遠い異国の地に来られたのに、弱音一つ吐かずに毎日頑張ってらっしゃるんですから。しっかりとした自分の信念を持って前に進んでいるので、澄んだ、真っ直ぐな心の持ち主なんだと……ってカーネラさん?! ど、どうしたんですか?!」


 気付いたら、ボロボロ涙が零れていた。どうしよう、止まらない。


「カーネラさん、大丈夫ですか? 僕、なにか気に障るようなこと言ってしまいましたか?」


 背中をさすりながらそう言って下さるギルバートさんの優しさが、すごく辛かった。


「わ、たし…っ、綺麗、なんかじゃ…っ」


 本当の私は、ギルバートさんが思って下さっているような、綺麗な心の持ち主なんかじゃないのに。こんなに、醜いのに。



 どうして貴方はそんなに優しいの。



「どうしてそんなこと言うんですか? カーネラさんは綺麗です。」


「私は全然、綺麗なんかじゃないんです…!」


 ギルバートさんのほうを向いたけれど、涙で滲んで、彼がどんな表情をしているのか分からない。


「アイリス様の思いが通じるのが、アイリス様の幸せだって分かってるのに…! アイリス様がどんどん先に行ってしまうみたいで、一人取り残されるのが嫌で…っ」


 こんなこと、誰にも言うつもりなかったのに。言葉が、溢れて止まらない。


「私は主人の幸せを願えない、駄目な侍女なんです…っ、お二人が仲睦まじいお姿を見ると、心が真っ黒になって…っ、こんなにも、こんなにも私の心は醜いの…!」


 言い終わると、どっと涙が溢れた。言葉にすると、余計に自分が嫌になった。

 ぐちゃぐちゃな思いをどうすることもできないまま、私は次から次へと溢れてくる涙を手で拭った。


「……カーネラさん、そんな乱暴に拭っちゃ駄目ですよ。跡が残ってしまいます。」


 優しい声とは裏腹に、しっかりと腕を握られて、涙を拭う手をとめられた。


「……っ、」


 こんな不安定な状態を、晒してしまった。


「す、すみません、こんなみっともないところを……」


「カーネラさん、寂しかったんですね。」


 そう言って下さったギルバートさんの表情は、今までにないくらい優しかった。


「みんな、貴女のことを褒めていたんです。主人であるアイリス様のことを一番に考えていて、仕事も早くて、受け答えも作法も立派で、芯もしっかりしていて。よくできた侍女だって。」


「そ、れは……」


「でも、やっぱりどこか、無理していたんですよね。どんなにしっかりしているって言っても、カーネラさんはまだ、16なんですから。」


 涙が一筋、頬を伝ったのが分かった。


「見ず知らずの土地に来て、自分だって右も左も分からないのに、奥方を支えるために、弱音を吐くわけにはいかなくて。頼ろうにも、周りは知らない人だらけですし。……不安がないはずがないですよね。」


 ギルバートさんが、指で涙を拭ってくれた。


「それでも頑張ってこれたのは、奥方がいるから。……その奥方が遠くにいってしまいそうで、寂しくなったんですね。」


 気付いたら、素直に頷いていた。顔は全然見れなかったけれど、ギルバートさんが笑った気がした。


「カーネラさん。やっぱり、貴女の心は醜くなんてないですよ。」


「そ、そんなこと…っ」


「だって、ヤキモチですよ?」


「やき、もち…?」


「はい。」


 ギルバートさんはにこにこしていた。


「ヤキモチを焼くってことは、それだけ、奥方を大切に思ってるってことの現れだと思います。だから、全然恥じる必要なんてないですよ。」


 黒くて醜い気持ちだと思っていたけれど、それに「ヤキモチ」と名前を付けてみたら、なんだか可愛いもののように思えてきた。


「それに、心配しなくても、奥方は離れていったりしないと思います。奥方に大切な人が一人増えたって、カーネラさんが奥方にとってかけがえのない人だっていうことは、変わらないんですから。」


「そう、でしょうか。」


「考えてみてください。仮に、カーネラさんが誰か良い人とめぐり逢って、結婚することになったとします。そうしたら、奥方のことは大切じゃなくなりますか?」


「そんなわけありません!」


「でしょう? きっと、奥方だって同じです。」


「あ……」


 ほんとだ。あの優しくて温かいアイリス様が、人のことを蔑ろにするはずがない。

 さっきまで思い悩んでたのが、嘘みたい。私、悲観的になりすぎてたのかもしれない。


「すっきりした表情になりましたね。」


「あ…、ありがとう、ございました。」


「いえ。カーネラさんの本音を聞くことができて良かったです。あんまり、溜め込みすぎないで下さいね? いつでも頼って下さってかまいませんから。」


「は、はい。」


「僕じゃ頼りないかもしれないですけど、一人で抱え込むよりはいいと思います。」


「頼りないなんてことないです…!」


「本当ですか? ありがとうございます。」


 ギルバートさんの笑顔が、とても眩しかった。


 私きっと、ギルバートさんに惹かれてる。好きになるのは、時間の問題かもしれない。

 そんな風に思っていたけど、もうこの時には、ギルバートさんのことが好きになっていたんだと思う。


「結構話し込んでしまいましたね。そろそろ戻りましょうか。」


「あ、はい。」


「部屋まで送ります。」


「あ、ありがとうございます。」


 この日からしばらくの間、温かい笑顔も、涙を拭ってくれた手の温かさも、ギルバートさんの声も、なかなか頭から離れてくれなかった。

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