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残酷な描写が入ります。苦手な方はお気をつけください。
殿下が馬をおりられたのを確認して、私もジョゼフィーナからおりた。殿下とアイリス様が見上げる先には、フィジーライル城。……帰ってきたんだ、故郷に。ラカントが帰る場所になったとは言え、故郷が懐かしいものは懐かしい。そんな風に、思っていると。
「アイリス。」
よく通る声で、アルメリア様が言った。
城の中を案内して欲しいと言ったアルメリア様は、アイリス様の手をとって、城の中へと歩き出した。ついて行けば良いのか迷ったけれど、殿下が歩き出したので、私もついて行った。
アルメリア様とアイリス様が門をくぐり、警護をしている兵士たちの間を抜け、扉に手をかけた時だった。
「な…っ、何のつもりだ…!」
殿下が、声をあげた。フィジーライル兵が私たちの行く手を阻んでいた。前を歩くアルメリア様とアイリス様は通したのに。誰か知っている人がいたら通してくれるよう言おうと思ったけれど、近くの兵を見ても、知っている顔はなかった。たまたま、私が話したことのない人がここにいるだけ? それとも私がラカントに行ってから、新しく入った人たちなのかしら? うーん……
「グレンさ…っ、……え…?」
驚いた顔をしたアイリス様と対照的に、アルメリア様は冷たい笑みを浮かべておられた。
「アルメリア様、どういうつもりですか!」
「見てのとおりじゃ。この者たちはフィジーライルの兵士ではない。フィジーライル兵の服を着たセルディルム兵じゃ。」
道理で、見覚えのない顔だらけだったんだ。違和感の正体が分かってスッキリはしたけれど、事態は最悪だ。
「話が…っ、話が違うではないですか…!」
声を荒げた殿下を見て、アルメリア様は目を細めた。
「なにがじゃ? ……そなたはフィジーライルまでついて来ると言うた。もうフィジーライルに着いたろう。」
「な、にを…っ」
「城の中へは妾とアイリス二人で行く。それだけのことじゃ。」
アルメリア様は妖艶な笑みを浮かべると、踵を返して扉を開けた。
「行くぞ、アイリス。」
「まっ、待って…! 待って下さいアルメリア様! どういうことですか?!」
アルメリア様は足をとめることはなかった。アイリス様は、引きずられるようにして連れられて行く。
「…っ、アイリス…っ!!」
「グレン様っ!!」
殿下が手を伸ばしたけれど、セルディルム兵に遮られて、アイリス様には届かなかった。それを見て思わず体が動いたけれど、誰かに腕を掴まれた。振り返ると、それはギルバートさんで。
「ギルバートさん、どうして…!」
振り払おうとしたけれど、ギルバートさんの力は強かった。
「すみません。でも、行っては危険です。」
「でも、アイリス様が!」
「アイリス!!」
私が言ったのと、殿下が叫んだのはほぼ同時だった。顔を前に向けると、もう扉が閉まっていた。
「アイリス様……」
私がついて行ったからといって、なにが出来るわけでもない。私がいたら、アイリス様お一人を助け出すより大変になってしまうのも頭では分かっている。……私、冷静な判断が出来なくなってたわ。
「カーネラさん……」
心配そうなギルバートさんの声が聞こえたから、謝ろうと思って顔を上げた。
「……ギルバート。」
でも、私より先にギルバートさんを呼ぶ声がした。低い低い、殿下の声。
「お前はカーネラを見ていろ。」
「……え?」
「カーネラになにかあったらアイリスが悲しむ。」
「は、はい。」
ギルバートさんの声が、いつもより力強かった。
「いいか、俺が指示を出すまで動くな。」
大きくて、鋭い声。その殿下の声に応える兵士たちの声も、大きかった。……なにが、起ころうとしているの…?
「カーネラさん。」
耳元で、ギルバートさんに呼ばれた。振り返ろうとしたら思ったより顔が近かったから、恥ずかしくなって慌てて前を向いた。
「怖かったら、目を瞑っていてください。耳もふさいで。貴女はなにも見なくていい。聞かなくていいです。」
「え……」
ギルバートさんは私の前に立つと、剣に手をかけた。どうして、って聞きたかったけれど、声をかけられる雰囲気ではなくて。
剣を抜く音がして前を見ると、殺気立った殿下がいらっしゃった。
「……命が惜しければ、今すぐ道を開けろ。」
殿下の殺気に怯んでいるようには見えたけれど、セルディルム兵が道を開けることはなかった。しばらく、皆動かなかった。私は、ここまで張り詰めた空気は初めてで、息をするのも苦しかった。戦闘が始まるんだと思うと、心臓がうるさかった。
先に動いたのは、セルディルム兵だった。
剣がぶつかる音、人が倒れる音、うめき声。私は目を瞑るのも、耳をふさぐのも忘れて、呆然と目の前の光景を見ていた。後で考えてみれば、逃げるなり隠れるなりすればよかったのに、そんなことも考えられなかった。
ギルバートさんは、私の近くで戦っていらっしゃった。あまり強い印象はなかったけれど、そんなことはなかった。よく分からないけれど、動きが早いし、ギルバートさんが傷付けられている様子もないし……。きっと、とてもお強いんだわ。そんなことを思って見ていると、ギルバートさんと目が合った。私も驚いたけれど、ギルバートさんはとても驚いた様子で……どうされたのかしら、と、思っていると。
「カーネラさん!!!」
いつの間にか目の前にいたギルバートさんと、私のすぐ後ろで聞こえた嫌な音。そのすぐ後に、人が倒れる音もした。なにがあったのかと思ってギルバートさんを見ると、彼が引き抜いた剣からは、真っ赤な血が滴り落ちていた。
「あ…、あ……」
「振り向かないで!」
もしかして、もしかしなくても、私、後ろから狙われた…? そう思って後ろを確認しようとしたら、ギルバートさんに叫ばれた。目の端に、人の足が見えたけれど、見なかったことにした。顔をあげて、ギルバートさんを見ると、どうしてか、泣きそうな顔をしておられた。
「カーネラさん、落ち着いてください。深呼吸をして。大丈夫だから……すぐに、終わらせますから。だから、なにも見なくていい。聞かなくていいんです。」
「ギルバートさん……」
私はギルバートさんに促されるまま、目を閉じた。耳もふさぐ。
「レオン! フェリオ! カーネラさんに誰も近づけないで!」
ギルバートさんの声が微かに聞こえて、私は耳をふさぐ手にぎゅっと力を込めた。
それから、どれくらい経ったんだろうか。とんとん、と肩を叩かれた。私は恐る恐る目を開けて、顔をあげた。
「お疲れ様でした、カーネラさん。……全部、終わりました。」
目の前にいたのがギルバートさんで、ほっとした。周りを見ると、セルディルム兵が縄で縛られていた。ラカントの兵士たちは、お互い怪我の手当をしていたり、落ちている武器を回収していたりして……
「ギルバートさん、あの、殿下は…?」
「数人を引き連れて、奥方を探しに城の中へ行かれました。……大丈夫です、きっと奥方を連れて帰って来てくださいます。」
「そうですね……ええ、きっと。」
緊張の糸が切れて、足に力が入らなくなった。倒れそうになったところをギルバートさんが支えてくださって、そのままゆっくり地面に座らされた。……抱きとめてもらえるかもしれないだなんて、考えてしまったのが恥ずかしくなった。でも、ギルバートさんの体温に安心したから、手を握っていてもらうくらい大丈夫よね、と思っていたら、何故かギルバートさんは離れていこうとしたから、慌ててその手をとった。
「! えっと、カーネラさん…? 僕、返り血を浴びているので……嫌でしょう? 離れていますから、その、手を……」
「嫌だなんて、そんなこと……」
私を守って、浴びたものなのに。それに、ギルバートさんだったら、どんな姿だって気にしないのに。戦いながら、ずっと私のことも気にしてくださっていた。それが、どんなに心強かったか。……ああ、私ギルバートさんのことが好きなんだわ。ストンと自分の気持ちを受け入れながら、私はギルバートさんに手を伸ばした。
「えっ、カーネラさ……?!」
ギルバートさんが戸惑われているのはわかったけれど、私はそのまま抱きついた。
「こわ、かった……」
言ってはいけないと思って、ずっと我慢していた。皆が戦っているのに、私が怖いと言い出したり、泣いたりしたら、それこそ足手まといでしかないと思って。
「カーネラさん……怖い思いをさせて、申し訳ありませんでした。もう、大丈夫ですから。」
「はい。……はい。」
答えながら涙が出てきた。ギルバートさんの服を濡らしたらいけないと思うけれど、ギルバートさんから離れるのも嫌で。どうすればいいか迷っていたけれど、ギルバートさんの手が、私の背中にまわった。とんとんと優しく、あやすように叩かれたのに甘えて、そのままでいさせてもらうことにした。……ギルバートさんが居てくださって、良かった。




