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四章 鈴子の恋和歌とあたしの真実

「ごめんなさい!」

 あぐりが我が家を訪れて、門から中に入りもせずに、あたしに謝ってきた。

 恋和歌を茂伸様の代書をした恋和歌を、あぐりに渡した二日。

 早朝。昨日降った雪がまだ、うっすらと残っている。

 背後ではあぐりの乳母が、同じようにしょんぼりと控えている。

「いきなりどうしたの?」

 (あさ)()もまだの時間に、謝りに来るとはただごとではない。あたしの問いに、あぐりは柔らかな茶色い髪の下を、ぶるぶると震わせた。

「私が余計なお願いをしたから……。鈴子が……」

「鈴子が、鈴子がどうしたの!?」

 思わずあぐりの肩を強くつかむ、あぐりは震えながらあたしに言った。

「すごく怒ってるの……。私により、白乃に」

「あたしに?」

「昨日、鈴子が恋和歌を茂伸お兄様に渡しに行った時間が、ちょうど、茂伸お兄様が白乃に代書してもらった恋和歌を突っ返されたのとはち合わせしちゃって。茂伸お兄様、いつもならあんなひどい言い方しないのに、代書してもらった恋和歌を鈴子に見せて、言ったの」

 君程度の恋和歌が、代書すら読んでもらえない僕にふさわしいって言いに来たのかい。

「鈴子、それを聞いて、白乃の恋和歌と、自分の恋和歌とをひっつかんで、走って帰っちゃって。今朝、様子を見に行ったら、「白乃をつれて来なきゃ会わない」って。それで……それで私……」

 あの穏やかな茂伸お兄様が、そんなひどい……。

 (がく)(ぜん)としながらも、あたしは悟った。

 全部、あたしのせいだ。

「あたし、鈴子に会いに行く!」

「待って白乃、あたしも」

「あぐりはお屋敷で待ってて!」

 あたしは、雪が残る道を走り出した。

 ※※※

 走って走って途中で走れなくなって、(さん)(じよう)の花井家にたどり着いたときには、もう太陽が真上に昇っていた。

 昼になっても雪は溶けきらず、板塀でなく()(がき)で囲まれた花井のお屋敷に、てんてんと白く残っている。

 御花指南役の花井家だけあって、庭は冬でも楽しめる、青い松や赤い(なん)(てん)で彩られていた。

「すみま……せん!」

 門で呼ばわるあたしを見て、花井家の()(にん)が驚いて飛び出してきた。

「どうなすったんです。春日野家の姫様が供も連れずに」

 あたしは息が整わないまま、下人に伝える。

「り、鈴子、に会わせて、くだ、さ」

「うちの姫様に? まあ落ち着いて、水を一杯おあがりください。姫様は、当分誰にもお会いにならないと仰せでして」

 下人がそこまで言った時、トストス、と妙に静かな足音がした。

「いいわ。部屋にあがってよ」

 鈴子だ。こんなに冷たい言い方、あたしに対してしたことないのに。

 いや、それだけじゃない。

 鈴子の意志の強そうな顔立ちは、今は目が血走っていて。

 なんか――普通じゃなかった。

「あがってよ」

 鈴子はもう一度言った。あたしは鈴子にしたがって、彼女の部屋に向かった。

※※※

 鈴子の部屋は、ひどかった。

 何度も訪れた彼女の部屋は、いつもならば花を生ける()()があり、花器が一番映()えるように、調和されて片づいているのに。

 今日の彼女の部屋は一面に和紙がまき散らされ、花器は部屋の隅で倒れていた。

 中心に、踏みにじられた、あたしが代書した茂伸様の恋和歌がある。

「鈴子、あの……」

 言いかけてあたしは口をつぐむ。大丈夫? って聞こうとしたけど、どう見ても大丈夫じゃないし。おかしいよ、って言うのは、ストレートに言い過ぎてる気がした。

 (らん)(ざつ)に散らかった床から、鈴子は筆を拾い上げた。まだ墨に入れたことのない、真っ白な筆だ。

「白乃」

 鈴子のくちびるが妙に赤く、いびつに口角をつり上げた。

「見せてあげる」

 何を、とあたしが問い返す前に、鈴子は白い筆を、空中にすべらせた。

大海(おおうみ)の』

 筆先から海水が噴き出し、乱雑に散らかった床が、海になる。ひたした足に、冷たさを感じた。

 これは……恋和歌だ。

 鈴子は筆を空中に走らせ続ける。

(いそ)もとどろに よする(なみ)

 ざっと、海水が巻き上がり、大波となってあたしに襲いかかってくる。潮の臭いをさせて、波があたしを飲み込もうとする。

「鈴子! 助けて!」

 鈴子はあたしの声にかまわず、荒れる海の中で筆を空中に走らせる。

『われて(くだ)けて ()けて()るかも』

 あたしを飲み込もうとした波が、一瞬で弾け、さらさらと床にしずくとなって、落ちていく。

 鈴子は術者たる歌人の名を、空中に書く。

(みなもとの)(さね)(とも)

 白い紙に、荒れる大海が収束され、一枚の恋和歌が完成した。

 この……恋和歌の和歌書は……『金槐』!

 術の難易度が最上級の和歌書。その中でも、(もっと)も扱いが難しい、恋の歌でない和歌だ!

 扱えた鈴子は、恋和歌の達人!

 何より、恋の歌でないのに、失恋に荒れ狂い、引き裂かれそうな鈴子の心が、痛いほど伝わってくる。

「鈴子……いつの間に、こんなすごい術を……」

 あたしの問いに、鈴子のゆがんだ笑みが増す。

「いつの間に? いつの間にって言った? ずっとに決まってるじゃない。ずっとできるように訓練して、特訓して、練り上げてきたに決まってるじゃない」

 鈴子の手のひらが、ぐっとあたしの(えり)(くび)をつかんだ。こわい。あたしの体がびくびくと震える。

 鈴子が顔をぐうっと近づける。鈴子の袿にしみこんだ、墨の臭いが鼻に突き刺さる。

「アンタが代書屋なんて得意になってるから、かわいそうで言ってなかったのよ。

『小倉百人』って入門書じゃない。入門書から先に進めないヤツが、極めたみたいに(いき)がってて、アンタ言い出せる?

「基礎なんかできて当然」って」

 言えない。鈴子はずっと言えなかったんだ。

 自分はもっとできるって。自分はもっとすごいって。あたしを傷つけないために、言えなかった。

 そんなの、あたしは、ただ――。

「あたしは……、入門しかできないけど。でも、恋する人の役に立ちたくて」

 あっはっはっは。

 あたしの言葉に、鈴子の高笑いが響き渡った。

「役に立つ? 役に立ってるつもりだったの? アンタの代書が? 役に立ってる?」

 鈴子の笑いに凄惨なものを感じ、あたしはびくりと後ずさる。

「だって、みんな、喜んでくれて……」

「喜んでた? 白乃、アンタってほんっと、うぬぼれやねえ」

 鈴子は高笑いしながら、あたしに残酷な現実を告げる。

「いい? アンタはただの言い訳なの。たかが『小倉百人』を、しかも代書までしてもらったから、だから思いが届かなかった。

 自分の気持ちをなだめる言い訳。くっだらない言い訳なのよ!」

「言い……訳……?」

 激しい胸の痛みに、息が詰まって言葉が出ない。はくはくと酸素を求めて、いや、あたし自身を慰める言い訳を求めて。

 でも。

 お姉様は、あたしの代書した恋和歌を、受け取っていない。

 あたしを慰める、都合のいい、甘ったるい言い訳なんか、ない。

「アンタができる程度のこと、誰でもできて当然なのよ。

 本気でやりたきゃ、基礎より先を目指すわよ。

 本気で好きなら、アンタ自身が恋和歌を渡すじゃない。

 自分ができるヤツだって思いたいから、代書屋なんて得意がって」

 鈴子の高笑いがピタリとやむ。真っ正面から、あたしに真実を告げる。

「つまんない人間ね、アンタ」

 あたしは叫んだ。

「わかってるよッ!」

 床でしわくちゃになった、代書した恋和歌をひっつかみ、あたしは鈴子から走って逃げ出す。

 走って、走って、走って。

 鈴子に言われた真実が、頭の中でぐわんぐわん鳴り響く。

 つまんない人間。

 花井家を飛び出し、めちゃくちゃに走る。

 涙がボロボロこぼれて、鼻水もたれて、ぐっちゃぐちゃの顔になって。

 つまんない人間。

 特別になりたかった。だってお姉様が隣でいつも「特別な存在」だったから。

 お姉様の陰に隠れて、パッとしないあたしだったから。

 みんなの役に立つような、特別な人間になりたかった。

 みんなに喜んでほしかった。

 ううん。本当は。

「みんなに喜ばれる特別な人間」になりたかっただけ。

 だから、『小倉百人(にゅうもんしよ)』がちょっとっできるようになっただけで、練習をやめてしまった。

 だって、それで充分、みんなが喜んでくれていると思ったから。

 自分は特別な人間だと感じたから。

 満足して、なんにもしなくなっちゃった……。

 それでなんにもしないでいたら、お姉様がいなくなっちゃうのが決まって。

 今まで目をそむけていた、うっすら感じていた現実を見なくちゃいけなくなくなって。

 現実って、それは、それは、「お姉様が特別だから」あたしがパッとしなかったんじゃなくて。

 お姉様なんて関係なく、「あたしがつまんない人間だから」パッとしなかっただけだって、現実。

 そんな現実見たくなくて。

 ずっとあたしは「恋和歌の代書で、みんなに喜ばれる特別な人間」でいたくて。

 でも、茂伸様にお姉様が巫女になるって伝えて、茂伸様が巫女になるなら無理ってあっさりあきらめたら。

 それで鈴子の恋和歌を受け取って、あっさり鈴子に乗り換えたら。

 あたしは、「恋和歌の代書で、みんなに喜ばれる特別な人間」でもなんでもないって、思い知らされちゃうから。

 思い知るのが、こわくて。

 恋を応援とか言い訳して。

 そんな最低な逃げ方をしたせいで、鈴子をズタズタに傷つけた。

 こわくて、こわくて、こわいよ!

 ()()()(ちゅう)で鈴子の前から逃げ出す。花井家からも逃げ出す。

 逃げて、逃げて、走って。

 走って、走って、走って。

 周りも見ないで、何も見ないで、走って逃げた。

 息が上がって、心臓が痛くなって、どれだけ走ったかもわからないけれど。

 足がガクンと崩れて、あたしは(おう)(らい)で立ち止まった。

「あたし、なんて、つまんないヤツなんだろ」

 曇った空に向かって、一人、ポツリとつぶやく。

 いつの間にか、みぞれが降り始めていた。

 足の冷たさで、(ぞう)()を花井家に忘れてきたのに気づく。

 っていうか、ここ、どこだろ……。

 周囲を見渡すと、見覚えのない町並みで、いつも見慣れたお屋敷街とちがって、小さくてボロボロのあばら屋ばかりだ。

 道を行く人も、供を連れている人はおらず、供として貴族と歩く下人のような格好の人ばっかり。

 ぺたん、と、あたしはぬかるんだ地面に座りこんだ。

 今度は口に出してしまう。

「どこだろここ……」

 泥まみれの衣を見たら、いや、何よりあたしが帰ってこない時点で、お父様もお母様も心配しているだろう。乳母たち使用人も。

「琴子お姉様も」

 代書した恋和歌なんて、渡してごめんなさいって、謝りたい。

 あたし、もう帰れないのかな。

 泥道に座りこんでうつむくあたしに、頭上から声がした。

「何をしているんだ」

 元興お兄様が、しかめっ面であたしを見下ろしていた。

特別な人間になりたかった白乃、「本物」に実力をわからされるの回です。続きは明日! お楽しみに!

毎日20時ごろ更新。ブクマ評価などありがとうございます!今回もよろしくお願いいたします。

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