三章 お姉様が斎宮の巫女になっちゃう!
翌日の夕餉になっても、まだあたしとお姉様は口を利かず、あたしはむくれっつらでごはんをもぐもぐして、お姉様はつんとすまして品良く食事を済ました。
お姉様への怒りは、もちろん続いている。
鬼の襲撃や、お兄様の勇姿、何より、鈴子への謎めいた忠告で頭がいっぱいで、お姉様への怒りを引っ込める余裕がなくなったのだ。
でも、今回は本当にお姉様が悪いんだから!
夕餉を食べ終わってお姉様が自室に戻り、あたしもぷんとしながらも自室に戻ろうとすると、お父様に呼び止められた。
「白乃」
ひげをたっぷりたくわえて、たっぷり太ったお父様の隣に、小太りのお母様もいる。なんだかちょっと言いづらそうに、あたしに声をかけたカンジ。
「どうなさったの?」
お母様が、座るようにうながしたので、あたしはもう一回座り直した。
お父様とお母様はお互いに目配せをしあって、結局お父様が口を開く。
「白乃や。琴子とけんかしているのかね?」
なあんだ、そんなの、あらたまった雰囲気で聞くような話じゃないじゃん。
「ちょっと……」
でも、恋和歌のことはお父様とお母様には言えないから、あたしは言葉を濁して答える。
「たいしたことじゃないんだけど、カチンときたのよ。それで――」
「白乃、琴子に謝りなさい」
「またそれ!」
お姉様とけんかすると、お父様もお母様も、話も聞かずにあたしが悪いと決めつける。
そりゃ、たいていはあたしが悪いわ。でも、今回だけは悪くないのに。
「お父様、言っておきますけど、いつもあたしが悪いってわけじゃ」
「待ちなさい。今回は、よい悪いの話ではないのだよ」
お父様が続きを言いにくそうにしているので、お母様が話の後を継いだ。
「琴子は斎宮の巫女になるのですよ」
「え……」
斎宮の巫女。
京から遠く離れた富勢の大神宮で、一生国神アマテラスに仕え続ける巫女だ。
その身は生涯大神宮から出ることはなく、神職以外とは、家族とも自由に会えない。
そして生涯、男性と会えない。
富勢に下るのは毎年、桜咲き誇る中行く習わしだ。
桜が咲いたら、後、一か月でお姉様と会えなくなる。
「白乃、今回はどちらが悪いのでなく――」
「わかってるわよ!」
あたしは悲鳴みたいに叫んで、お姉様の部屋に走った。
「お姉様!」
几帳を倒さんばかりに、お姉様の部屋に飛び込んで、文机に向かっていたお姉様の膝にすがりついた。
「お姉様! 斎宮の巫女なんて、斎宮の巫女なんて、なんで相談してくれなかったのよ!」
涙がボロボロ出てくる。お別れなんて考えもしていなかったから、いつもけんかできたのに。
つんとしていたお姉様がやわらかくなって、泣きじゃくるあたしの背をやさしくなでた。
「お姉様は薄情よ。二人っきりの姉妹じゃないの。なんでこんなギリギリになるまで教えてくれられなかったの。決める前に相談してくれなかったの。なんで、なんでよ」
背中をやさしくなでながら、お姉様は声までやさしく言う。
「まだ、あなたにはわからないから」
やさしく言っているくせに、なんで言うことは冷たいの!
「ひどいひどい、お姉様ひどい。斎宮の巫女になるなんて、絶対に許さないんだから!」
あたしに巫女になるかならないかの決定権なんて、ないのはわかってる。
わかっていても、あたしは泣いて繰り返す。
「許さない、許さない、絶対に富勢なんて行かせない!」
※※※
お姉様と寝るなんていつぶりだろう。十歳になる前はよく怖い夢を見て、乳母じゃやだ、お姉様がいいって泣いて、無理矢理袂に潜りこんだっけ。
今日みたいに。
板張りの床に広がる、お姉様と私の黒い垂髪。床に私とお姉様、二人身を横たえて、お姉様の単の中にもぐりこんでいるあたし。
小さい頃と違うのは、お姉様が先に眠ってしまって、あたしがまだ眠れてないってところ。
お姉様の肌からは、清らかな香の匂いがする。そっとはだけた、お姉様の乳房に触れる。
真っ白で、月明かりに陶器みたいに輝いていて、陶器と違ってやわらかい。
あたしは乳房から手を引っ込める。
お姉様の体は『女』で、あたしは『女の子』の平たい体だ。
こんなに美しければ、どんな男の人だってお姉様に恋をするよ。なんで、斎宮の巫女なんかになっちゃうの。
なんで、あたしを置いていくの。
お姉様とけんかをしたら、悪いのはいつもあたしだった。
今回は、違うけど、今までは。
悪いのはいつもあたしなのに、お姉様が許してくれなかったためしはなくて。
つんと取り澄ましたあの態度で、「もういいわよ」って、いつも言ってくれた。
京の男はどんな人でも、お姉様に恋をする。
特別な存在。
特別な存在のお姉様。
特別じゃないあたしを置いて、どっかに行ったりしないでよ。
眠るまで何度も、斎宮の巫女になる理由を、あたしはお姉様に問いただした。教えてよってすがりついた。
お姉様はたった一言だけ、答えた。
「もう京にはいられない」
わかんないよ、お姉様。それだけじゃ、それだけじゃわかんないよ。
ぎゅっと握ったお姉様の袂の布に、あたしの爪が食い込んだ。
※※※
お姉様が斎宮の巫女になる話を聞いてから、七日が経った。
いきなり訪れた寒の戻りに、あたしは安堵の息を吐く。
昼が近づいてもこの寒さなら、桜はまだまだ咲かないわ。
あれから、お姉様とはろくに話せていない。
本当はお姉様の部屋に入りびたって、「邪魔よ」って言われても話しかけ続けて、「もう黙ってちょうだい」って言われてやっと、部屋の隅っこに行ってゴロゴロし始まったりしたいのに。
今、お姉様に話しかけたら、絶対また、「斎宮の巫女になんかならないで」って泣いてだだをこねちゃうから、話しかけられない。
あたしももう十四歳だ。だだをこねたって周りが困るだけで、わがままが通らないこともあるって知ってる。
斎宮の巫女になるのはもう決まってるのだから、お姉様もお父様もお母様も、みんな困るだけでどうしようもない。
「はあ……」
屋敷の門のところまで出て、あたしはため息を吐いた。特に用事があるわけじゃないんだけど、お客様でもないかぎり、火鉢は家に一個しか炭を入れないし、じゃあ、火鉢にお姉様が当たりにきちゃうかもしれないし……。
あたしはふるふると首を振った。
「風邪ひいちゃったら、元も子もないよね」
屋敷の中に戻ろうとしたところで、背後から声がかかった。
「白乃」
ぱっと振り返ると、あぐりが立っている。若草色の袿姿が、寒さに震えていた。
「どうしたの?」
隣に立っているあぐりの乳母が、あたしに向かって一礼した。あぐりは、たっとあたしに駆け寄る。
「あぐり、お願いがあるの……」
あぐりの白い頬が、寒さで真っ赤になっていて、あたしはあわててあぐりの手をとった。
「こんなに手を冷たくして……。とりあえず、上がりなさいよ」
※※※
あたしの部屋に火鉢を用意してもらい、あぐりと二人きりになる。あぐりの乳母は、うちの使用人とおしゃべりしている。
炭がパチパチと弾ける音と、灰の香りを感じながら、あたしたちは黙ってお汁粉をすすった。甘く煮た小豆を汁物にした、寒い日に染み渡るお菓子である。
「帝はお汁粉に、お餅を入れるのがお好きだそうよ。ゴージャスよね」
お汁粉でお腹から全身があったまって、あたしはあえてどうでもいい話をふった。
あぐりはしばらく黙っていたが、意を決して口を開いた。
「白乃、友だちと家族、どっちを優先するのが正しいと思う?」
あぐりのいきなりな質問に、あたしはうーんと考える。
「どういう意味?」
考えてもよくわからなかったので聞き返すと、あぐりはポツポツと意味を話した。
「茂伸お兄様がね、白乃にもう一度、恋和歌の代書を頼みたいって」
「ああ……」
琴子お姉様の返事を、あぐりに言伝を頼んだ五日前を思い出す。
茂伸様のがっかりする顔を想像して、あぐりは泣かんばかりだった。
「そう……。茂伸様、まだ、お姉様のことを……」
言ってしまうべきだろうか。お姉様が斎宮の巫女になるのを。
あたしが逡巡している間に、あぐりが次のセリフを口にした。
「でも、昨日鈴子に聞いたの。茂伸お兄様、恋和歌を送るって」
「えっ、鈴子が?」
あたしは思わず聞き返す。あぐりは黙ってうなずく。
「そう鈴子は、茂伸お兄様が好きなんですって」
あたしたちは二人、シーンと黙った。
鈴子のちょっと意地悪で、すっごく面倒見のいい女の子特有の、意志の強い眉が頭に浮かんだ。
鈴子は美人だ。でも、絶対に。
琴子お姉様には敵わない。
琴子お姉様は、特別だから。
でも、琴子お姉様は春が来たら、斎宮の巫女になってしまう。
お姉様が、「特別」なお姉様が、隣にいてくれるのは、あと少しだけ。
あたしは、わざと明るい声を出した。
「そんなの、どっちもわかんないじゃん」
あぐりは目を見開いて、きょとんと問い返してきた。
「だから、茂伸様がもう一度、お姉様に恋和歌を送ったところで、オーケーされるかわかんないし。鈴子が茂伸様に恋和歌を送ったら、茂伸様が心変わりするかもしれないじゃん? わかんないじゃん、どっちも」
途中から自分に言い聞かせる調子になったけど、あぐりは目を見開いたまま、こくこくとうなずいた。
「それもそうだわ。わからないわ。私があれこれ悩んでも、結果はまったくわからないわ」
「でしょ? あぐりはやさしいから、あれこれあれこれ悩んじゃうだろうけどさ」
あぐりは小さな声で、「そうだわ、そうよ」とつぶやいて、そしてあたしに頭を下げた。
「お願い、もう一度、茂伸お兄様に恋和歌を代書してあげて」
あたしはドンと胸を叩いた。
「代書屋白乃にまっかせなさーい!」
あぐりがいつになくはしたない動きで、がばっとあたしの手をとって笑った。
「ありがとう、白乃!」
「いいってことよー!」
笑いながら、あたしの胸は、ズキズキズキズキ痛み続けた。
お姉ちゃん大好きっこ白乃です。そして友達二人の恋、どっちを応援したらいいの!? 状態です。平安風異世界時代でも、14歳は同じことで悩む。
毎日20時ごろ更新。ブクマ評価などありがとうございます! 今回もよろしくお願いいたします。




