二章 狐面のお姫様
翌日の朝。
「姫様! お客様でいらっしゃいますよ! 起きてくださいませ!」
乳母がゆさぶり起こすのに、あたしはようよう目を覚ます。羽織っていた単を名残惜しくひっぱりながら顔をなでると、ほっぺに床の板後がついていた。
「なあにー。こんなに朝早く」
「早くなどございません! ご家族は皆様、朝餉をとっくに済ませてらっしゃいますよ! さっ、早く着物を着てくださいませ!」
「えー、ごはん……」
「お客様がいらしてると申しましたでしょ!」
乳母がぷんぷんしているので、しぶしぶくずれた単を着直し、袿に袖を通す。
そこでようやっと気づいて、乳母に質問する。
「お客様って誰?」
「存じ上げません」
答えの続きを言いながら、乳母はあたしのリアクションが見えている雰囲気で、ニヤリと笑った。
「顔を隠しておられますが、どこぞの高貴な姫君かと」
「ええーっ」
てっきり友だちの誰かだと思ったのに! 初対面の人!? じゃあ尊いご身分の方かもしれないじゃない!
衣袴姿じゃお目にかかれない! もうちょっとだけちゃんとした格好しないとー!
「ふきー! 小袿と檜扇出してーーー!」
「既にご用意しておりますが。ふふ、小袿程度でよろしいのでござりますか?」
「わああん、いじわるー! もうちゃんと女房装束なんか着てる時間ないよう!」
乳母のふきに泣きつきながら、大慌てで小袿を着つけてもらうあたしだった。
※※※
「お、おまたせ、しました」
ぜえはあと大あわてした痕跡をかくしもできず、小袿姿で客間に行く。
小袿は通常の袿とちがって丈が短い衣だ。下半身が長袴なのは共通しているが、上に着る衣の重ね方で、フォーマルレベルが変わってくる。
最初に着るのは単。薄い肌着である。これ一枚では上半身が透けて見えてしまうため、人前に出る姿ではない。寝るときに着るパジャマである。ただ、夏場の暑い時期は、女同士でダラダラする日は単一枚だ。
その上に着るのが袿。昨日着ていたカジュアルスタイルである。何枚も重ねる色を変えて、重ね色目を、楽しむのが普通だ。
それに小袿を重ねるのが、ワンランク上のフォーマルスタイル。目上の人に会ったり、ちゃんとしたお呼ばれなら、最低限必要な上着だ。
一番表に着る上着なので、ほかの衣より豪華な織物である。
これより上になると女房職族となり、裳やら唐衣やら小腰やら引腰やらまーごっそりいっぱい着ないといけなくなる。重いし着るのに時間もかかる、公式な場で目上の人に会うのに必須のスタイルだ。
なんだけど。
よく考えたら……。身分を隠してうちの屋敷に来た人に、そんなガチなフォーマルスタイルが必要なわけないじゃん……。
ふきー! 寝坊したからって意地悪言わなくてもいいじゃないー!
目の前にいる姫君は、確かに会った覚えのない人だ。狐の面をかぶって、顔を隠しているため、年格好もまったくわからない。傍らの供も、同様の狐面だ。
でも。
たぶん、お姉様のファンだよね……。
相手の小袿は、お姉様の好きな縹色だ。しかも、お姉様の小袿と同じ蝶模様。
全体的にシャープな雰囲気のお姉様に比べて、目の前の姫君はふっくらお嬢さんだから、同じ着物でもだいぶ印象がちがう。
対するあたしは、バタバタと着た七宝模様の小袿である。色は紅梅色だ。勝負衣が赤系なのは、もちろん、元興お兄様に少しでも似せるため。
「お初にお目にかかります。身分を明かせぬ非礼、お許しくださいまし」
お姫様はていねいに指を突いて、頭を下げた。
あたしも習って頭を下げる。
「春日野光成の娘、白乃でございます。よろしくお願いいたします」
頭を下げながらちらっとお姫様を見ると、仮面の下ですらそわそわしているのがわかった。
「あの……いきなりおうかがいしたのは……えーと……その……えーと……」
目の前のお姫様は、なかなか話を切り出せない。「えーと」が長い。「えーと、あの」の間に、使用人がお菓子を出して去って行った。
これは、やっぱり、うっすら察してた通りだ。
お姫様がやっと話を切り出す。
「あの、いきなり申し訳ございません……。白乃様は……その……恋和歌などについて……どうお考えでしょうか……?」
駆け引きとか腹の探り合いが、とても苦手なお姫様っぽい。え、何それ。
応援したくなっちゃうじゃなーい!
「恋和歌についてなら、『小倉百人』は、完っ璧に使いこなしております! それで代書屋としてバリバリやってます!」
あたしは高らかに宣言し、決めポーズにウインクまでしてみせる。これで言いにくいってこたあないでしょ!
「そっ、そうなのですね! 噂通りですわ!」
仮面の下でも、お姫様の顔が輝いたのがわかった。
「あ、し、失礼しました」
あたふたとあたしに一礼し、お姫様はあたしに頼んできた。
「わたくしの……、恋和歌を代書していただけませんか?」
あたしはドンと胸を叩いた。
「まかせて! まずはお相手がどんな方か、教えてください!」
※※※
お姫様を客間に待たせて、自室に戻ったあたしは、和紙を部屋の中心に置く。そして、真っ白い筆を手に取る。
お姫様の話によれば――身バレ防止のためにほとんど聞けない話だった――好きな人には山寺で知り合ったのだという。
国神アマテラスとは別に、仏を信じる貴族は多い。多くが外国にルーツを持つ貴族で、祖先の信じた信仰を今も保っているのだ。
あぐりの柳家も仏を信じる一族なので、どんなカンジかはちょっと聞いている。
春夏秋冬の決められた日に、山に建てられた寺という場所で、仏に祈る習慣があるそうだ。
寺や寺に向かう道中では常とちがい、まったく他人の男女でも、たわいもない雑談を交わしてよい。
当然ながら、寺で恋に落ちる者は多く、仏を信じる者でなくても、寺に行く道中の異性に話しかけるため、「出待ち」する者も多い。
……気持ちはわかる。
自分の胸をペタペタとさわりながら、しみじみと「出待ち」の気持ちを理解する。仏を信じる一族は、外国の血を引くため、全体的にふっくらと……、そう……おっぱいとかおしりとか、ふっくらしてほしいところがふっくらしている女が多い。
あぐりが「また太っちゃったー」と、なげくたび、鈴子とあたしは一瞬ぴりついちゃう現実がある。ぺたぺた。ぺったんこ(自分の胸をさわりながら)。
閑話休題。
山寺で知り合った男の人と、数日間仲良く過ごしたお姫様は、彼が送ると約束してくれた文を待っていたのだが。
待てど暮らせど文は届かず。思いあまった彼女は、恋和歌の代書を依頼しにきたのである。
寺で出会った人を待っているお姫様。
頭の中で『小倉百人』を開く。
空中に筆を走らせる。
『憂かりける 人を初瀬の』
筆を走らせたところから、金色の雲がたなびき始める。
『山おろしよ』
山おろしと書いた瞬間、強い風が吹き抜ける。
びゅうびゅうと吹く風の中、一気に下の句を書いてしまう。
『はげしかれとは 祈らぬものを』
最後に術者たる歌人の名前を、空中に書く。
『源俊頼朝臣』
金色の雲と風が、紙に収束される。恋和歌の完成だ。
「できたー!」
あたしは歓声を上げて、客間に向かって走って行く。
「できましたよ!」
「まあ!」
客間に飛び込んできたあたしを見て、お姫様が立ち上がって、小走りに駆け寄ってきた。
「ありがとうございます!」
お礼を言う彼女の話し方が、一転してハキハキと明るくなった。きっと普段の彼女はこちらの話し方だ。
恋をしたから、ビクビクしてた。
あたしに何度も頭を下げて、彼女は恋和歌をしっかりと胸に抱き、去って行った。
「あー、おなかすいたー」
朝餉が抜きだったのを思い出し、おなかをさすって声に出してしまう。
術に使った和歌は、つれない人がなびくように祈ったのであって、冷たい山風が吹けと祈ったわけじゃない、というかわいい恨み言の和歌。
届いてほしい、彼女の気持ち。
※※※
さらに二日後。
「きれーい!」
ぽっかぽかの小春日和の真昼。あたしと鈴子、あぐりは梅園にいた。
まだ咲き誇るには遠い梅。しかし、一輪、二輪と一枝ずつ咲く様は、満開より上品に見えた。
何より、春が近づいていると感じられて、気持ちがウキウキする。
「ねえねえ、献花梅園なんて、どうやって入れてもらったのよ? 御花指南役の家の私ですら入れないのよ?」
鈴子がぐいぐいと、あたしの肩をつかまえて聞いてくる。
あたしはにっこにこで言い切る。
「秘密」
「あ、恋和歌の代書したお礼でしょ」
「なんでわかるの!?」
「そのドヤ顔で」
「マジ!?」
鈴子に一瞬でバレた通り、狐面のお姫様から御礼にと、献花梅園にご招待いただいたのだ。
献花梅園とは、御所、ことに帝に献上する梅を育てている場所だ。
花が咲いたら一枝、実がなれば梅干しや梅を使ったお菓子、梅酒を献上する。
帝お一人のために、見渡す限りの梅林を作ってしまうのだから、ゴージャスきわまりない。
昨日の朝早く、お姫様の供だった狐面の男が、献花梅園の地図とのりで封じられた文を持って、春日野の屋敷を再び訪れたのだ。
「当家の姫より、御礼にございます。あいにく身分を明かすわけには参りませぬが、こちらの梅園にご招待申し上げます。
管理人にこちらの文をお渡しくださいませ。中にお入れして差し上げます」
と、いうわけで、ソッコー鈴子とあぐりを誘って献花梅園にやってきた。
お父様とお母様も一緒だけれど、今は遠く管理人の家で、振る舞われた梅酒にごきげんになっている。
供の者たちにもドンドン飲ませちゃってたけど、あたしたち無事帰れるかしら。ちょっと心配。お父様、酔っ払うと気前がよくなるからなあ。
にしても、あのお姫様、そうとう高貴なお家の姫君だったのね。
献花梅園にご招待してもらっちゃったーって聞いたときには、お父様もお母様も、すーっと青ざめちゃったもん。
どこの誰だか詮索できないんだって、二人を説得するのにどれだけ苦労したか……。
とんでもないごり押しを通せるご身分のお方だからこそ、恋和歌を送るには勇気が必要だったはず。
代書を引き受けた当人のあたしが、ペラペラしゃべっていいわけないわ。
「あぐり、白乃が今日、ずーっとドヤ顔してんだけど」
「素敵……、ここにも一輪咲いてるわ……」
「あぐり、聞いてる?
「え、鈴子、何か言った?」
楽しんでいるわりに意地悪な鈴子の小袿は、千草色で鼓が染め抜かれている。
ぽーっと梅に魅入っているあぐりの小袿は、蓬色に大きく束ね熨斗を染め抜いた豪華なもの。
小袿の豪華さにビックリしてたら、あぐりは「献花梅園に行くならって、お母様が娘時代のものをゆずってくださったの」って、ほんのりほっぺを赤らめていた。かわいかった。
あたしは二日前と同じ、紅梅色に七宝柄の小袿姿である。
点々と梅がピンクと白を散らす枝々の合間に、鈴子の青、あぐりの緑、あたしの赤がひらひらと舞う。
「あー、それにしても、琴子様もいらしてほしかった!」
「うっ」
鈴子の言葉に「うっ」とうめく。
絶対言われるだろうなーとは思ってたけど。琴子お姉様のファンの鈴子が、言わないわけがないと思ってたけど。むしろ鈴子、琴子お姉様に会いにきた可能性すらあったけど。
お父様とお母様は誘いました。せっかくの献花梅園へのご招待。もう一生参れやしないと、もう説いて聞かせるように誘いました。
でもお姉様は、「お借りした漢書を早く書き写さねばなりませんので」の一点張りでした。
あたしも誘おうとはしました。
が。
恋和歌のことでけんかしたばっかりなのに、恋和歌の御礼で招待されたって正直に言えるでしょうか。
しかもこっちが話しかける前に、お姉様が冷ややかな目でこっちを見て、「気づいていますよ」って言ったからね?
これもうしつこくさそったら、お父様とお母様にも恋和歌代書をばらされるヤツってわかったからね?
いくら鈴子が残念がっても、こればっかりはどうしようもない。どうしようもない!
「あたしも、お姉様に見せてあげたかったけど……」
ぽつんと本音がこぼれちゃった。
平安ファッションキラキラ回&高貴な姫君の秘めた恋回。……平安風ファンタジーといえば! ですね!
毎週月・水・金の19時頃更新。次回は8月1日です。
ブクマ評価などありがとうございます! 今回もよろしくお願いいたします。




