一章 お茶会三人娘
「だーかーらー、元興お兄様は三国一かっこいいのよ!」
拳を振り上げ断言した拍子に、袿の裾が床に当たってべシンと鳴った。衝撃で板張りの床にお菓子がこぼれ、あたしはあわてて拾い上げる。
「元興お兄様はいつもクールで、もぐっ、無駄口を叩かず落ち着いてて、むぐっ、キリッとしたお顔立ちでっ、もぐもぐ、体つきもたくましくてっもぐもぐ」
「拾い食いしながら話さないの、はしたない」
隣の鈴子が、あきれ顔を隠さずに言う。
幼なじみの床に広がる、黒く長い垂髪の、かたわらに落ちた最後の一個を拾って食べ、あたしはしょうがないでしょと言った。
「御菓子司の娘が、お菓子を粗末にするわけにはいかないじゃない」
今日のお菓子は柚子の汁をしぼって蜜で甘く味をつけ、細かく刻んだ皮と一緒に寒天で固めたもの。昨日献上したばかりの新作だ。ちょっとすっぱくてすうっと甘く、柚子の香りが鼻に抜けて、おいしい。お父様に感想を伝えなくちゃいけないわね。
帝と国神アマテラスにお菓子を献上するのが、我が春日野家代々のお役目だ。おかげでさまで中級貴族でありながら、我が家はお菓子に事欠かない。
こんな風に、袿と袴だけ、衣袴姿のカジュアルスタイルなおしゃべり会にも、お菓子が登場するんだからありがたいかぎり。
結果的に我が家が女の子のたまり場になっても、お菓子ぐらい娘に甘い我が両親は、よろこぶだけなのだから。
「じゃあ最初からこぼさないの。まったく白乃はがさつなんだから」
そういう鈴子の指摘もかなりあけすけだ。うんうん。これぞ女同士の醍醐味。
「でも、元興様って……。ちょっと怖い人じゃない?」
おずおず、とあぐりがやっと口を入れる。鈴子ほどじゃないにしても付き合いが長いんだから、そんなにおずおずしなくていいのに。
「怖くないわ! 威厳よ!」
反論はするあたしだけどね。でも、元興お兄様のかっこよさを、まだまだ語れるチャンス到来だわ。ありがと、あぐり!
三月半ばの小春日和。時刻はちょうど未の刻(昼下がり)。
萌葱色の袿の鈴子に、若草色の袿のあぐり、そして桃染色の袿のあたし。みんな袴はまだ蘇芳色(若くて未婚)。
花も盛りの十四歳乙女が三人も揃えば、恋の話がしたくなるじゃない。
「んー、でも、元興様って陰陽師の中でも太刀衆でしょ。陰陽寮でも太刀衆だけは荒っぽいって聞くよ。それにいっつもしかめっ面だし、眉間にしわ寄せてるし、背だってひさしに頭をぶつけるぐらいあるわよ」
「ぶつけやしないわよ! 元興お兄様はお強いんだから!」
あぐりに代わって言いたい放題を始めた鈴子に反論するも、「戦ってるとこ見たことあるの?」と、痛いところを突かれる。
「な、ないけど」
「ないじゃん」
「ないけどお!」
痛いところには反論できないでいると、鈴子がニヤニヤしてみせる。
まったく、こんないじわる鈴子が、あたしたち三人の中で一番モテるんだから、世の中の男は顔ばっかり見すぎよ!
いや、普通の男女って、なかなか直接言葉を交わす機会ってないから、顔以外って難しいけど。でも鈴子のおとなしくて清楚な顔立ちって、ホントに顔だけなんだから! 後は家柄。御花指南役の花井家っていう家柄のイメージ。
第一、あたしたちの中でもう縁談が来てるのは、引っ込み思案のあぐりだし。本人はそばかすを気にしてばっかりだけど、白い肌や茶色っぽい巻き毛って個性的でうらやましい。
最終的に、見るからにがさつで、まるまっちい体つきで、リスそっくりって言われて二つ三つ年下に見られるあたしだけ、モテないし縁談も来ないってオチだけどさあ。
「ま、白乃はおいといて。ねえ、あぐり、ホントにあの縁談、断っちゃうの? 伊姫の国司様っていい話じゃない。温暖で豊かな土地って聞くわよ?」
鈴子の問いに、あぐりはお菓子を置き、そっと目を伏せる。
「うん……。だって京から伊姫までは八十里もあるし、海も越えなきゃいけないのよ……。そんなに遠くにお嫁に行くなんて……」
「えー、なんかもったいないなー」
鈴子の感想もわかる。あぐりのお家は京でも一番古い家柄だけど、お父様が病気をなさってから、あんまり暮らし向きがよくないらしいから。でも。
「でも、あぐりが遠くにお嫁に行っちゃったらさびしいっ」
あぐりの体に抱きつくと、「ありがとう、白乃」とちょっと笑ってくれた。抱きついたまま、あぐりに聞いてみる。
「ね、縁談のことじゃないなら、どうかしたの? 今日はずっとなんか言いたそうだよ?」
「白乃、またあんたはずけずけと!」
「いいのよ、鈴子。むしろ白乃からふってくれてありがたいかも……」
と、言いつつも、まだちょっと言いよどんだ後、あぐりは抱きつかれた姿勢を正して問うてきた、
「ねえ、白乃。元興様って、琴子様の乳兄弟よね?」
「うん、何をいまさら」
前から知ってる内容の質問だったので、あっさり答える。
あたしが元興お兄様にバンバン話しかけられるのは、琴子お姉様の乳兄弟だからだ。
帝がおわす御所で女房として働きでもしない限り、女は使用人や家族以外の男と、直接話したりしない。使用人を通して要件を伝える。
例外は恋人。男から恋和歌を送って、文通をしてから恋人になる。
平民はそういうものじゃないらしいけど、貴族だったらそれが常識。
自分から恋和歌を送っちゃう、型破りな女もいるけどね。大人ははしたないって眉をひそめるけど、本気の恋ならへっちゃらへいよ。
と、いうわけで、あたしが姉の乳兄弟という、家族扱いだけど血がつながってなくて、よその屋敷に住んでいる元興お兄様に恋してるっていうのは、もう前世からの縁と確信していい。
さておき。
ははーん。読めてきたぞ。
「私の兄がね、青龍門の書庫に辞書を借りに来た琴子様とばったり会って」
御所には二つ門があり、文官の庁舎がある方の門が青龍門。武官の庁舎がある方の門が朱雀門である。転じて文官が管轄する建物や部署を青龍門。武官が管轄する方を朱雀門と呼ぶ。
青龍門の書庫には、学者のための辞書や資料が納められていて、許可さえあれば誰でも入室できる。と、言っても足しげく通う女は、お姉様以外聞かないけれど。
「お互い使用人がいなかったものだから、直接お話したそうなのね。それで、またお会いできますかって聞いたら、ええ、とお応えになったそうなの」
あぐりの説明はまだ途中だけど、なんとなく展開が読めちゃう……。
「それでお兄様は琴子様に恋和歌を送ったのだけど、「お手紙を拝見することはできません」って、読んですらいただけなかったってお返事で」
あぐりがボソボソと話し、あたしに向かってすがるように問う。
「それで、ひょっとして乳兄弟の元興様と、その……」
「恋人じゃないわよ」
若干食い気味に否定してしまった。あぐりがホッとした顔をしたからまあよし。
あぐりのお兄様か……。
柳茂伸様。あぐりに似たふんわりした印象の人で、歳は元興お兄様より二つ上の二十一。
学者として独り立ちしたばかりだから実績はないけど、あぐりに話しかける様子を見る限り、心優しい人だと思う。
「お姉様が恋和歌を読まないのは、誰から送られてきてもなの。ったく、お姉様ったら」
「さすがだわー!」
あたしのセリフをさえぎって歓声を上げたのは鈴子。さっきとうってかわって手まで組んで、うっとりした顔で言う。
「さすが京で一番の美女琴子様! そこらの男じゃ相手にならないってことね! 高嶺の花、いえ、断崖絶壁に咲く一輪の白百合! ああっ、今日こそ一目お目にかかりたい!」
出たよ。
鈴子はお姉様の大ファン。お姉様の話になるといつもこうなっちゃう。
でも、こうなっちゃうのは鈴子だけじゃない。
男も女も京中の誰もが、憧れてるのが私の姉。春日野琴子。
うっとりしていた鈴子がハッと我に返る。
「も、もちろん、あぐりのお兄様じゃ……とか言いたいわけじゃないのよ。大丈夫」
今さら大丈夫ったって、大丈夫な空気じゃないよ、鈴子。しかたなくあたしはフォローを入れる。
「お姉様は家に引きこもって、漢詩ばっかり読んでる変わり者だからってだけよ」
「あーっ、女の身で漢詩なんか読んじゃう! 並の女にはできないわー! 素敵!」
鈴子ー。あたしのフォローを台無しにしないでよ。
でも、実際そうではあるのよね。
貴族の女は結婚して生きていくものだし、男と違って仕事に就くわけじゃないから、難しいことがわかる女は嫌がられるだけ。ましてや漢詩なんて、難しいだけで恋和歌にも使えないし。
なんだけど、琴子お姉様は例外になってる。
オーラっていうのかな。琴子お姉様は、漢詩に夢中なのが逆に魅力的に見えるんだよね。
断崖絶壁に咲く一輪の白百合って、上手いたとえで、手に入らないから手に入れたくなっちゃうっていうか。
もう十九歳なんだから、そろそろ結婚に本腰入れなきゃヤバいはずなのに、フってフってフリまくるのが当たり前ってみんな思ってる。
からすの濡れ羽色の黒髪。白い肌。切れ長の瞳に、形のいい鼻。赤い唇は小さく品がいい。
すらりとした細身の長身は、いつも背筋が伸びている。
特別な人間だって、一目でわかる人。
いっつも自分の部屋にこもって、漢詩読んでるだけなのに、誰もが琴子お姉様に恋をする。
って、物思いに一瞬ふけっちゃったけど。あぐりのお兄様も、琴子お姉様に恋しちゃったわけよね。
「あぐり、つまりはこうよね。いつものお願いってことよね?」
あたしの確認に、あぐりがホッとした顔でうなずいた。
「そうなの、白乃。お兄様にどうしてもって頼まれちゃったの」
あたしは自分の胸をドンと叩く。
「引き受けた! この恋和歌、代書屋白乃にまっかせなさーい!」
平安風ファンタジー主人公、春日野白乃登場! 応援してくださるとうれしいです。できればブクマ評価もお願いしたく……。(してくださった方、ありがとうございます!)毎週月・水・金19時更新。次回は7月28日です。




