表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/17

六章 花の色は うつりにけりな いたづらに

「いや、いや、お兄様、死なないで」

 あたしはお姉様から手を放し、大蛇に走り寄る、

 もうこわいなんて考えてられなかった。大蛇にむかって拳を振り上げ、叫ぶ。

「やだあッ! この薄汚いバカ鬼! お兄様を返しなさいよッ!」

 大蛇があたしにむかって、あざけるように鎌首をもたげる。

 チロチロと、鬼の赤い舌が、まるであっかんべとでもするかのように動いた。

「お兄様ッ! 帰ってきてよォッ」

 あたしの視界が涙でにじんだ、しかし、すぐ、視界は赤に染まった。

 生臭くてぬるい液体が、あたしに一気に吹きかかってくる。

 液体は真っ赤だ。

 あたしに吹きかかっているのは、血だ!

 あたしは今、全身に血を浴びている!

「お兄様ッ!」

 あたしは叫んだ。この血は、この血は。

 首から腹まで、真っ二つに斬り開かれた、大蛇の血だ。

 ぬっと、真っ赤に染まった右手と、元の色がわからないほど、ドス赤く染まった狩衣の袖が、大蛇の腹から現れた。

 右手には、しっかりと太刀が、【鏡花】が握られている。

 元興お兄様が、自身を丸呑みにした蛇鬼の腹を、内側から斬り裂いて出てきた!

「お兄様……! よかった!」

 あたしはホッと、安堵の息を吐く。

 血まみれのお兄様が、鬼の腹からずるりと出てくる。

 着ている狩衣はべたりとお兄様の体に、血で貼りつき、顔も血で真っ赤に染まって、ただ、お兄様の瞳だけが、ギラギラと光っていた。

「白、乃」

 お兄様が、息を切らしながら、蛇から這い出ようとする。しかし、足に鬼の肉が貼りついて、なかなか蛇の体から出かけない。

「待って、お兄様、今引っ張る、か、ら」

 言いかけた途中で、あたしはハッと気づいた。

 お兄様の足に貼りついた鬼の肉が、まだ動いている。

 蛇鬼はまだ生きている!

 ちがう、あたしたちはもっと見落としている。

 鬼は、嫉妬の対象を焼き殺す。

 なのに、まだ、大蛇は、一度として炎を吐いていない。

 鬼は、嫉妬の対象を焼き殺す。

 嫉妬の対象は、あたしたちでなく。

「お姉様ッ!」

 あたしは元興お兄様に背を向け、琴子お姉様の元に走った。

 この鬼は恋和歌でできている。そして、お姉様には、数え切れないほどの恋和歌が届いている!

 琴子お姉様はまだ、ぐったりとして動けない。あたしは琴子お姉様に、血まみれのまま飛びつく。

 お姉様の袿の中に、血まみれの手をつっこんだ。

「あつッ」

 手が、火で焼かれたように熱くなった。あたしは、手の先に触れたものが予想通りだとわかった。

 琴子お姉様が熱さにうめく。

 あたしは焼ける熱さをこらえ、手の先に触れたものをつかみ、琴子お姉様の袿から引っ張り出す。

「ううううッあついいいい」

 うめきながらも引っ張り出したのは、手の中に収まる程度の小さな蛇。

 黒い小さな蛇だった。

 蛇の表面の黒は、うぞうぞとうごめいている。

 目をこらすと、蛇は、黒い文字にびっしりと覆われているのだった。

 文章はもう判別できない。でも、元は和歌だった文字だ。

 しかし、今はもう、恋心を歌う文字じゃない。

『こいつだけが「特別」なんてゆるさない』

 そんな、みにくいねたみの文字列で、蛇が真っ黒に染まっている。

 こっちの蛇が、鬼の本体だ。

「白乃ッ!」

 お兄様が、大蛇の肉から足を引き出して、あたしたちを助けに来ようとする。

「白乃、逃げてッ!」

 お姉様が、力の入らない体で、あたしに蛇を手放させようとする。

「二人とも黙ってッ!」

 あたしは、叫んだ。

「こいつは「特別」な人間に、倒してもらっちゃいけないの!

 あたしみたいな「つまんない」人間に、倒されなくちゃダメッ!

 だって、こいつだって元々は、ねたむよりあこがれてたはずだもん。

 あこがれた「特別」に倒されたんじゃ、汚い満足を手に入れちゃう。

 そんなの、そんなの、「つまんない」より悪くなる!」

 あたしの叫びに、二人の動きが止まる。

 あたしは焼けただれた右手で蛇をつかんだまま、左手で自分の袂から、お兄様にわたそうとしていた恋和歌を取り出す。

 恋和歌を、開く!

 花の色は うつりにけりな いたづらに わが身よにふる ながめせしまに

 歌人は小野小町。

 本来の意味はちがうけど、あたしたちみたいな連中にとっては、こんな意味だ。

 余計なことばっかりやってたら、つまんない人間になっちゃった。

 くやしいよ。

 今からでも、うつくしい生き方に変わりたい。

 黒蛇の鬼が、その身も裂けんばかりに、悲鳴を上げた。

 ぎえええええええええええええええええええええええええええええ。

 悲鳴と同時に炎を吐き、炎はあたしの髪に燃え移る。

 あたしは熱さをこらえ、黒蛇をぎゅうっとにぎりしめる。

 開かれた恋和歌の和紙から、ひらり、ひらりと、花が舞いだした。

 (うめ)(さくら)()(たん)薔薇(ばら)()(きょう)(きく)

 花たちは部屋中に舞い、ひらり、ひらりと、空中に咲く。

 あたしは、鬼の本体に語りかける。

「がんばろうよ、あたしたちも」

 花はすべて小さくて、色鮮やかでもなくて、形もくずれている。

 でも、みんな、きれいな花だ。

 鬼は、小さな小さな声で、

「ぴぃ」

 と鳴いた。

 そして、鬼も、花に変わった。

 たんぽぽ、()(ぎく)、すみれ、(ゆう)(がお)、れんげ。

 小さな小さな、花に変わった。

 あたしは、熱さが消えているのを感じた。

 やけただれていたあたしの手のひらの、やけどがいやされ、皮膚が再生する。

 髪が焦げる臭いも熱さも消え、火が消えたとわかった。

 あたしは、自分と、花となって消えていった鬼の心に向かって、言った。

「がんばろうね」

 ドン。

 背後と前方から、すごい勢いで衝撃がきた。

 あたしは、もちつきで杵の一撃を食らった、もちの気持ちがわかった気がした。

 前から抱きついたきたのは琴子お姉様で、背後から抱きついてきたのは元興お兄様である。

「うっ」

 挟み撃ちならぬ挟み打ちの衝撃で、あたしは息がつまってへんな声を上げたけど、お兄様とお姉様は気づかずに、前後からぎゅうっと抱きしめ続ける。

「白乃、白乃、ありがとう」

 お姉様が、だきしめながらあたしに何度も、お礼をくり返す。

 やっとあたしは、よかったと思えた。

 あたしは、あたしに生まれてきて、よかったんだと。

「ああ、髪、髪がこんなに短くなって」

 お姉様の悲痛な声に、あたしは自分の髪が、尼削ぎ(ボブカツト)のように短くなっているのに気づく。

 これじゃあ、髪が伸びるまで人前に出られないわね。

 でも、あたしはからりと笑えたの。

「これぐらい、どうってことないわ」

 お姉様に笑いかけてぎゅうっと抱きしめて、そして、そっとお姉様の体を放して、あたしは元興お兄様に向き直った。

「元興お兄様、あたしの恋和歌、どうだった?」

 元興お兄様は、血みどろで、あっちこっち傷だらけで、お兄様じゃなかったらゾッとするような姿だったけど。

 お兄様はお兄様だから、傷も血も、自身の強さという名のうつくしさに、変えて自分のものにしてしまっている。

 表情は、いつもと同じ無表情に戻っているように見えて、実はほんのり顔を赤くしていた。

「白乃、あの恋和歌は俺宛か」

「そう。あたしの本気」

 元興お兄様は、腕を組んで、じっと黙った。何十秒かの沈黙が、百年ぐらいに思えた。

「お前を好きになる恋和歌ではなかったが、心が動いた」

 元興お兄様は、考え考え、あたしによく伝わるように、答えてくれた。

「俺の心、というより、鬼の心を動かした。嫉妬心しかないはずの鬼が、お前の恋和歌によって、人間の傷を癒やそうという心を持てた。お前のやけどが消えたのは、鬼の心が動いた結果だ」

「そう。ありがとう」

 あたしは本気を出し切った。

 あたしの本気は、元興お兄様に恋心を伝えたけど、恋心で返されはしなかった。

 でも、あたしも、あたしの同類たちも、大きく変われた。

 充分。

 後は、あたしは、一番きれいに砕け散るだけ。

 あたしは自分の袂から、琴子お姉様の文を取り出し、元興お兄様にわたす。


さあ物語も大詰めです。春日野白乃の、成長による大巻き返し。「特別」にあこがれたことへの共感。元興お兄様に伝えた恋心。明日はどうなる!?

毎日20時ごろ更新。ブクマ評価などありがとうございます! 今回もよろしくお願いいたします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ