六章 一番きれいに砕け散るため
紅梅、白梅、ともにしおれ落ちて、やわらかな若葉に美をうつし。桜のつぼみが薄紅色に、大きくふくらみはじめた朝。
あたしは白い和紙に封をした。
恋和歌の完成である。
お兄様に恋和歌をわたすと決めて二十日。二十日の間に、お姉様が斎宮の巫女となられることは、京中のうわさとなっている。
お姉様宛の、最後の恋和歌の依頼は、ひっきりなしに舞い込んだが、あたしはすべて断った。
その中に、茂伸様からの依頼はなく、あたしは少し安堵した。
二十日の間に、お姉様の部屋からは、少しずつ物が減っていき、今は身の回りの最低限の品と、富勢まで持っていく書物だけである。
反対に、あたしの部屋には、恋和歌の書き損じがあふれかえり、足の踏み場もなくなっていた。
お姉様の荷造りに、家人が気を取られてなければ、すっごく叱られている惨状である。
とろとろと落っこちそうだったあたしのまぶたは、恋和歌が完成したと同時にばっちり開き、充血した白目を丸見えにした。
二十日の間、あたしは家族以外とろくに顔を合わさず、外出もせず、夜が更けてからも恋和歌の内容が、ぐるぐる頭を煮えたぎらせて眠れずの生活をした。
恋和歌の完成の結果、待っているのは失恋だというのに、心が明るい二十日間だった。
元興お兄様や琴子お姉様は、こんなズタボロの生活を送ってはいないけど。
二人の楽しさのはじっこに、あたしの手がちょっと触れはした。
「楽しかったな」
完成した恋和歌を袂に入れ、あたしはほうっとため息をつく。
上手くなるように、上手くなるように、高みを目指すのは楽しかった。
鳥になった気分だった。
まるで初めて空に飛び出した鳥が、ずっとずっと空を舞い上がっていく気分。
すっごくすっごく楽しかった。
そして、あたしが飛べる一番高くで、あたしは今日、砕け散る。
大事に部屋の隅にしまっておいた布を広げ、琴子お姉様に託された恋和歌を、あたしは自分の恋和歌と一緒に、袂に入れた。
ここしばらく、琴子お姉様はずっとそわそわして、
「元興様は今日もいらしてない?」
と、家族や使用人に聞きっぱなしだ。
早く、渡しに行かなくちゃ。
渡したら、琴子お姉様と元興お兄様の二人は、恋人として結ばれる。
ずっと他の人の恋和歌を代書してきたあたしの、初めて作った自分の恋和歌が、失恋するためのものだなんて。
なんて皮肉って他人は言うだろうけど。
他人なんかがどう言おうが、砕け散るあたしは絶対きれいた。
なのに。
「早く立ち上がらなくちゃ」
自分を叱咤しても、なかなか床から立ち上がれない。
床がどんどん冷たくなっていく。
「覚めたくないな、この気持ちから」
高みを目指し続ける楽しさが、終わってしまうのがすごくさびしい。
琴子お姉様や元興お兄様みたいに、ずっと飛び続ける人たちには、きっとわかんないさびしさだ。
あたしは、強く頭を振った。
「行こう」
つまんない人間が、キラキラ光って砕け散るために。
膝にぐっと力を入れて、あたしは立ち上がった。
ふいに体がふらりと倒れかかった。
「あれ? 寝不足のせいかな?」
独り言を言った直後、ハッと気づいた。
小さな悲鳴が聞こえたのだ。
「琴子様!」
乳母が上げた悲鳴だとわかった。ついで、自分が倒れかかったのが、屋敷自体が揺さぶられたせいなのもわかった。
「琴子お姉様!」
あたしは、お姉様の部屋に向かって走り出した。
※※※
「ふき! どうしたの!?」
一直線にお姉様の部屋に向かって駈け抜ける。
乳母が腰を抜かさんばかりに、あわあわとお姉様の部屋を目隠しする、几帳のはしをつかんで震えている。
「し、白乃様、琴子様が、琴子様が、どうしましょう、殿様もお方様もお留守のときに」
「どいて!」
震え上がって要領を得ない乳母を押しのけ、几帳をバサッと投げ上げる。
室内を見たあたしも震えた。
鬼だ。
白い蛇の形をした鬼が、琴子お姉様の体に巻きついている。
指の輪に通るぐらいの太さの蛇だ。薄気味悪い鱗にびっしりとおおわれ、チロチロと赤い舌を出している。
白い蛇の表面をよく見る。
「鱗じゃない……」
蛇の表面はうどんのようにつるりとしている。鱗のように見えていたのは、びっしりと皮膚の表面に浮き出た文字だった。
文字の内容は、和歌。
「この鬼、恋和歌でできてる……!」
全身を蛇に巻きつかれたお姉様は、ぐったりとして動かない。
お姉様の胸が苦しげに上下しているのを見て、気絶しているだけだと、半分だけ安心した。
でも、苦しんでる!
琴子お姉様のかたわらには、ふたの開いた文箱が転がっていた。
恋和歌を入れていた文箱だ。
お姉様に送られた恋和歌が、嫉妬から鬼になったんだ!
「琴子お姉様!」
あたしは部屋に飛び込んだ。
琴子お姉様の肌を締め上げる鬼をつかみ、引き剥がそうとひっぱる。
鬼の表面は紙からできているせいかガサガサで、ひっぱればひっぱるほど、お姉様の体に強く巻きついた。
「ううッ」
鬼に体を締めつけられて、お姉様がうめいた。
「お姉様、死なないで!」
引き剥がそうとするあたしの指をはさんで、お姉様の体に蛇がまきつく、お姉様の肋骨と蛇の間で、あたしの指が押しつぶされそうになった。
痛い。こんな力でしめつけられたら、お姉様が窒息しちゃう。
あたしは思わず、大声で叫んで、呼んだ。
「お兄様、たすけてっ!」
「おう」
あたしの呼び声に、元興お兄様が応えた。
瞬間。
あたしの真横の壁が吹っ飛んだ。
板張りの壁に大穴が空き、壁の破片が部屋中に飛び散った。
壁の向こうから
「元興お兄様……」
お兄様が、太刀をひっさげ、登場した。
驚いてぽかんと口を開けるあたしを、お兄様の長身が見下ろす。
「白乃」
壁の破片を沓で踏みしめ、お兄様は室内に入ってきた。
「だいじょうぶか」
あたしはあわててお兄様に答える。
「あたしはだいじょうぶ。お姉様が、お姉様をたすけてっ」
「わかった」
お兄様が応えた。
瞬間。
ズン、と空気が重くなった。
ガクガクとあたしの足が震え、立ち上がることも動くこともできない。
鬼も硬直したように、ぴくりとも動かなくなった。
殺気だ。
元興お兄様が、怒りにまかせて殺気を全解放したんだ。
硬直して動けない鬼に、お兄様はぬっと両手を伸ばした。
「オオッ」
あたしの指を、お兄様の手がやさしく外した、瞬間。
お兄様は両手で蛇の胴をつかみ、蛇鬼の胴体を素手で引きちぎった。
「ぎいいいええええええッ」
鬼から、ひどく汚い悲鳴が響き渡った。
お姉様の体から引き剥がされた胴がのたうち、お兄様に捕まれたまま、ビクビクと跳ねる。
やっつけた……?
あたしは姉様の体を抱き寄せ、鬼から遠ざける。
お姉様が、大きく咳き込んで目を開けた。
「琴子お姉様!」
あたしが呼ぶと、お姉様は返事をしようとしたが、咳き込むばかりで言葉にならない。
「だいじょうぶよ、しゃべらないでお姉様」
琴子お姉様に伝えると、あたしは視線を元興お兄様に戻す。
「ぎいいいえええええええええッ」
鬼がまた鳴いた。お兄様が鬼から手を放し、バッと距離を取った。
鬼の蛇体が、ぐんとのびた。
縦にも横にも鬼は膨れ上がり、天井に頭をぶつけてまだあまる、大蛇の姿に変貌する。
咆吼!
ぎいいいええええええッ!
お兄様と大蛇が同時に吠え、お兄様の太刀【鏡花】の白刃が、朝日を受けて光った。
ダン、と大きく地鳴りがした。
お兄様と大蛇が、同時に大きく互いの元に踏みこんだのだ。
「お兄様あああッ!」
あたしは悲鳴を上げた。
突進したお兄様が、そのまま大蛇が開いた大口に呑まれ、姿が見えなくなってしまった。
本気で打ち込む楽しさを知った白乃でした。さて、大蛇の襲来。元興お兄様の破壊とピンチ。続きは明日でございます。
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