表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/17

五章 お姉様の激怒と幸せと

 お兄様に屋敷に送ってもらったあたしは、びっくりして尻もちををついた。

 使用人や、お菓子よりあたしに甘い両親を押しのけて、いつもすました琴子お姉様が、裸足で飛び出してきたからである。

「バカッ! どこで何やってたのよ!?」

 お姉様に、息せき切って大声で叱りつけられて、ようやくあたしは、心からお姉様に

「ごめんなさい」

 と言えたのだった。

 あたしの「ごめんなさい」を聞いたお姉様は、一瞬ぎゅっとくちびるをかんだ。

 泣くまいとこらえたのだ。

 そして、()()(ばや)に、夕暮れの玄関口で、あたしに向かってまくし立てた。

「みんなに心配かけて! どれだけ心配したと思ってるの! この先この家には、アンタしか娘はいなくなるのよ!」

 そして大声で叫んだ。

「富勢からじゃ、あなたになんにもしてあげられないのよ!」

 門で怒鳴り続けるお姉様を、お父様もお母様も止めなかった。

 あたしたちに必要な怒鳴り声だと、二人はしっかりわかっていたのだ。

 あたしはお姉様に向かって、もう一度頭を下げた。

「心配かけてごめんなさい。恋和歌のこともごめんなさい」

「今は恋和歌なんてどうだっていいッ!」

 お姉様の大声が、再び響いた。

「何やってたの、衣はボロボロだし、髪は焦げてるし、足は血だらけだし、どうしちゃったのよ……。危ない真似をしたんでしょ……」

 お姉様の声のトーンが、少し(やわ)らぎ、訴えるようにあたしに何があったか問い詰める。

 答えていいだろうか。鈴子があたしたちを殺そうとしたなんて、鈴子が悪く思われるに決まってる。

 あたしはお兄様をそっと振り返った。お兄様はあたし意をくんでうなずき、お姉様の前に立った。

「すまん。俺の仕事に巻き込んだ」

 バチーンッ。

 お兄様が頭を下げた瞬間、お姉様の平手打ちがお兄様に飛んだ。

 これにはあたしも、さすがの両親や使用人も、ぎょっとしてお姉様を止めにかかった。

「お姉様、ちがうの。あたしが元興お兄様の、えっと、お仕事の場に無理矢理居座っただけなの!」

 お姉様の袿の裾を引いて、必死に訴えるあたしに、元興お兄様の頬を張り飛ばした姿勢のままのお姉様は、低い声で言う。

「だまりなさい、白乃。コイツには体に教えこんでやるしかないわ」

 めずらしく元興お兄様もぎょっとして、ぶたれた左頬をおさえている。しかし、お姉様を止める様子はない。

 お兄様、罪をすべて引き受けるつもりだわ!

 あわてたあたしは、必死にお姉様の袿にすがりついた。

「待ってお姉様、ぶつならあたしをぶって」

 お姉様の反対側の袿をつかみ、お父様もお姉様をなだめる。

「白乃をなぐるなんてやりすぎだぞ。なぐるならこの父をなぐれ」

 琴子お姉様は、あたしとお父様を引き剥がそうと、大声を出す。

「放しなさい! このウドの(たい)(ぼく)が、あたしの大事な妹を、よくもあぶない目にあわせたわね!」

「お姉様、ごめんなさい、悪いのはあたしなの!」

 事情が話せないばっかりに、お姉様の怒りが(しず)まらない。元興お兄様は何も言わないで、お姉様にまたひっぱたかれるのを待っている。

 どうしよう! と、お姉様にすがりつき続けるあたしたちの前、琴子お姉様と元興お兄様の間に、スッと音もなくお母様が割って入った。

「元興殿。戦いにはお勝ちになりましたか」

 あたしたちにはお母様の背中しか見えないが、元興お兄様の顔が、スーッと青くなっていく。

「はい。白乃の助けによって、勝ちました」

「ならば結構。おつとめご苦労様でした」

「はい……」

 え、お兄様、敬語がひきつってるんだけど。まさか、お母様に怯えてるの?

 いや、あたしたちも三人とも、お母様の静かなお言葉に、静まりかえってるんだけど。

「しかし、(あら)(ごと)はあくまでも、あなたのお役目にございます。ゆめゆめお忘れございませんよう」

「はい。この度は大事な姫様を危険な目にあわせ、たいへん申し訳ありませんでした」

 大事な姫様!? お兄様の口から初めてのワードが出たよ!?

「お(かみ)からたまわったお役目ですから、いろいろご報告することもございましょう。今から向かわれれば、今日中にご報告がお済みになりますかと」

「はい……できます……」

 お兄様の顔が、ドンドン青くなっていく。お母様の口調は、冷え冷えと静かなままで、周囲に吹雪が吹き荒れているような錯覚を覚える。

「大事なお役目でございますから、わたくしどもには教えられぬこともございましょう。ご報告の際に、あますことなく、つまびらかに、何があったかを、ご報告なさってくださいませ。では、長々とお引き留めして申し訳ございません。ご()(うん)(ちょう)(きゅう)を祈ります」

 お母様から、最後の凍てつくようなセリフが発せられ、ゆっくりと一礼をする。

 お兄様は一瞬で頭を下げて、

「こちらこそ申し訳ありません。今すぐ陰陽寮に戻ります」

 とあせった口調で言って、一瞬で消えた。

 走って陰陽寮に向かったんだな、と、お兄様の全力ダッシュを体験したあたしはわかった。

 お母様はくるりとこちらに向き直り、告げる。

「あなたたち、いつまでも玄関先でさわいでは、ご近所にみっともないですよ。さっさと夕餉をいただきましょう」

 あたしたち三人は固まったまま、使用人も一緒に、お母様にそろって。

「はい……」

 と返事をする。

 お母様は続けてあたしにだけ告げた。

「白乃、夕餉の後でお話があります」

 あたしも真っ青に青ざめながら、お母様に力なく

「はい……」

 と答えた。

 (かす)()()(ゆき)()

 若いころはお姉様そっくりの、細身クールビューティーで。

 しかし、お母様が若くて痩せていたころの二つ名は、京の雪女であった――。

※※※

「琴子お姉様、入ってもいい?」

 朝餉の後、お姉様の部屋に向かい、几帳越しに声をかける。

「いいわよ」

 お姉様の、昨日のブチギレはどこにいったと言いたくなるような、落ち着いた返事にホッとして、あたしは几帳を上げて部屋に入った。

 お姉様の部屋は、漢詩の書と紙でいっぱいで、京一番の美女の部屋にはとても見えない。青龍門の学者の部屋みたいだ。

 お姉様はあたしに背を向けたまま、漢詩の本をじっと読んでいた。

 いつも涼しげなお姉様の目元は、漢詩を読んでいるときはキラキラ輝いている。

 あたしはその背に向かって、もう一度謝った。

「ごめんなさい、恋和歌の代書なんてして、困らせて」

 お姉様の袿が衣擦れの音を立て、彼女はあたしの方を向いて座り直した。

「いえ、私もちょっと、言い方がきつかったわよね」

 姉妹は、どちらともなく、ふ、とくちびるをゆるめた。

「だいじょうぶ? すごいクマだけど。目の下に墨を塗ったみたいよ」

「お母様が一晩中、寝ずのお説教だったの」

「うふふ、ふくわらいみたい」

「お姉様、言いすぎ!」

 (てつ)()のだるさを、仲直りできた安心感が洗い流していく。あたしはまだ笑っている、お姉様の手元の漢詩をのぞきこんだ。

「お姉様は富勢で漢詩を極めるおつもりなの?」

 女は学者にはなれない。しかし、斎宮の巫女は、女が富勢の神宮において、学問に専念できる唯一の道だ。

 お姉様は、キラキラした目のまま答えた。

「学ぶことは、極めるなんてできないの」

「できない?」

 望みが叶わない話をしているのに、お姉様の目はいっそう輝く。

「そう。学べば学ぶほど、わからないことが増えていくのよ。だから、一生かかっても、極めるなんてできないわ。だから、一生学び続けるの」

「そうなんだ」

「そうよ」

「お姉様、幸せそうだね」

「幸せよ。たぶん、私は京で一番幸せな女」

 自分を京で一番幸せだと言い切るお姉様は、京で一番の美女と他者に言われている姿より、何倍もきれいで。

 あたしは、うらやましかった。

「……幸せだから。ちょっと落ち着いて考えたら、やりすぎたような気もするのよね」

 お姉様がいつもと違って、ちょっと気まずそうな口調で言うので、あたしはすぐにピンときた。

「元興お兄様をひっぱたいたこと?」

「ええ……」

 すごいブチギレ方だったもんな……。お兄様、あたしをかばってくれたのに。

 あたしをかばったせいで。

「元興様がうちに一緒に住んでいたころのこと、覚えてる?」

 ふいにお姉様が切り出した話に、あたしは首を横に振る。

「覚えてないよ。生まれたばっかりのころだもん」

琴子お姉様も妹がかなりかわいい。妹の想い人たる元興お兄様にビンタするぐらいかわいい。そして漢詩オタクなので、結婚より漢詩に生きます(ウッキウキ)でした。

毎日20時ごろ更新。ブクマ評価などありがとうございます! 今回もよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ