四章 「特別」になりたかったけど
鈴子の部屋は屋敷に入ってすぐだけど、元興お兄様は、意外と一人でウロウロさせたら危なっかしい人だったから。
そう、あたしが自分の最低さに落ちこんでたのが、今は鈴子を助けるので頭がいっぱいで、それどころじゃなくなっちゃうくらいには。
鈴子の部屋の前に来て、室内の惨状を思いうかべ、お兄様を中に入れるのを一瞬躊躇した。
「どうした?」
お兄様が怪訝そうに聞く。
几帳の向こう、部屋の中にいる鈴子には、聞こえているであろう説明を少しだけする。
「けんかしたの。全部あたしが悪いけんか」
お兄様はいつも通り、袖の中で両手を組んで無表情に言った。
「初めてだな、お前が真っ先に自分の非を認めるのは」
それは……。
あたしは説明に迷う。決して、お兄様にほめられるようなことじゃないって説明を、どうしたらいいんだろうって。
プラス、鈴子が、自分の部屋部屋がめっちゃめちゃなのを、元興お兄様に見られたら恥ずかしいんじゃないかって、こと、も……。
「開けるぞ」
「おおおおおおおお兄様ああああっ」
あたしが迷っている間に、お兄様が几帳をがばあっと、思いっきり一番上まで持ち上げちゃったっ。
「お兄様ちがうのっ! 鈴子の部屋はいつもはきれいに片づいててっ」
言いつのるあたしの言葉が止まった。
部屋の真ん中に、鬼がいた。
前に会ったちっちゃな鬼とは、大きさがちがう。
成人女性の体つき、それも豊かな体つきをしている。
緋色の袴に白い単。単の下にすけている肌は、青い。
ばさばさと、おどろにのばした髪もまた、青かった。
そして顔面は、真っ青な蜘蛛の頭がついていた。
蜘蛛の頭の上に、二本の角。
鬼だ。
冬物の几帳で仕切られているから、部屋の中がまったく見えなかったけど。
部屋一面に蜘蛛の巣が張り巡らされている。
「なに……これ……」
あたしがポカンと見ていると、女の鬼がぐりんっと、気味の悪い動きで首を動かし、こちらを見た。
同時にお兄様が部屋に踏み込む。
ダンッとお兄様が床を蹴る音。
鏡花を抜き、鬼の懐にお兄様が飛び込む。
一閃!
お兄様が、鏡花を横薙ぎに、女鬼の腹を斬りはらった!
「ぎえええええええ」
女鬼が悲鳴を上げる。
「え、も、もう、勝ったの?」
驚きの声を上げる私に、お兄様が叫んだ。
「白乃! 部屋を出ろ!」
直後、女鬼の腹が裂け、中から蜘蛛の糸が吹き出す。
「きゃあッ」
グロテスクな光景に、思わず悲鳴が漏れ出た。瞬間、あたしはお兄様に突き飛ばされ、廊下に転がり出る。
女鬼の腹から出た、蜘蛛の糸があたしに襲いかかり、からめとろうとしたのだ。
「ごっげぷ」
女鬼はまた汚い鳴き声を発すると、裂けた腹から、ズルズルと糸の塊を吐き出した。
どうやってあんな質量が、見た目は普通の成人女性サイズだった、女鬼の腹に入っていたのだろう。
蚕の繭のように、何かを包んでいる糸の塊。その大きさは間違いなく。
「鈴子!」
「なに?」
聞き返すお兄様に、あたしは口早に叫んだ。
「あの糸の塊、中に鈴子が入ってる!」
何度も抱きついたり抱きつかれたりしあった関係だ。鈴子の体の大きさはしっかり覚えている。
糸の中に鈴子が閉じこめられてる、間違いない。
あたしの口早な声を聞いて、女鬼がニタリと笑った。
顔が笑ったんじゃない。お兄様に横薙ぎに裂かれた腹に、大きな牙が生え、あたかも口のような形に笑ったのだ。
「気持ち悪い……」
あんな気持ち悪いのの糸に、鈴子をいつまでも閉じこめさせるわけにはいかない!
そんなあたしの気持ちを察したように、女鬼は鈴子の入った繭を、糸をあやつってぐいんと空中に飛ばし、あたしたちがいる入り口と反対側の、部屋の壁に貼りつかせた。
糸が貼りつく、べちゃっという音が響いた。
お兄様はもう一度、太刀を構え直す。
また女鬼の懐に飛び込む気だろうか。
「白乃」
お兄様があたしに声をかけた。
「お前は屋敷の外に逃げろ。誰かその辺にいる太刀衆にかくまってもらえ」
あたしはとっさに言い返す。
「鈴子を置いていけないよ!」
お兄様は大声を出した。
「あいつの狙いはお前だ、白乃! なぜなら、あの鬼は鈴子殿が呼んだからだ!」
鈴子が、鬼を、呼んで、あたしを殺そうと、してる?
「どういうこと!?」
お兄様は口早に答える。
「嫉妬は鬼を呼ぶ。鬼は嫉妬した者を殺そうとするのではない。嫉妬された者を殺そうとする!
お前と鈴子殿の間に何があったかは知らん。
しかし、嫉妬したのが鈴子殿である以上、鈴子殿はお前に嫉妬している。
だから、鬼は、鈴子殿の嫉妬の矛先である、お前を殺しにかかっている!」
鈴子が、あたしを殺しに?
子どものころからずっと仲良くしてきたのに、あたしを殺そうとしている?
あたしがした、最低な行動に怒って?
当然だ、怒って当たり前のことを、あたしはした。
「白乃!」
焔ッ!
唐突に、女鬼が、腹の口から青白い炎を吹き出す。炎はあたしにむかって襲いかかって来る。
あたしはとっさに転がり、壁にぶつかって丸くなって、炎をよけた。
お兄様に呼ばれなければ、あたしは丸焦げになっていただろう。
炎がかすった髪があたしの焦げ、嫌な臭いをさせて、パラパラと落ちた。
「白乃! 大丈夫か!」
「お兄様、大丈夫!」
炎が思いっきり吹きかけられたのにも関わらず、几帳の布には焦げ目すらついていない。
もしかして、鬼の炎は、心が入っているものしか焼かない……?
転がったあたしの視線の先、板張りの床に、鈴子がさっき作った恋和歌があった。
床に落ちている恋和歌には、手を伸ばせば届く。
でも、鈴子の域には、あたしの技術は届かない。
手を伸ばそうとしなかったからだ。
鈴子は必死に手を伸ばして、努力を積み重ねて、やっとこの域まで恋和歌を上達させた。
それをあたしは、あたし自身がつまんない人間だからって理由で、全部無駄にしてしまった。
最低だ。
こんなあたしなんて――。
こんなあたしなんかのせいで。
お兄様の前身から、すさまじい殺気がほとばしり、室内の空気がビリビリと揺れる。
オ、オ、オオオオ。
獣のような、元興お兄様の咆吼。
女鬼がぐりんっと、さっきの面のような気味の悪い動きで、今度は腹の口を動かす。
お兄様に向かって炎を吹き付ける気だ。
そしてお兄様は、正面から鬼に突っ込んでいく気だ。
だめ! それじゃ捨て身だわ!
こんなあたしなんかのせいで!
焔ッ!
今度はお兄様に向かって、鬼が青白い炎を吐く。さっきとは桁違いの大きさの炎だ。
あ、きっと。
あたしは必死に手を伸ばし。
鈴子の恋和歌を開いた。
波!
部屋の中に、荒波が生み出された。
おおきな音を立てて、鈴子の恋和歌が生み出した波が、鬼に寄せて襲いかかり、炎を割る。
そして、炎と塩水が、同時に飛び散って消える。
やっぱりだ!
鈴子の恋和歌には、心が入ってる。
だから、心が入っているものを焼く、鬼の炎を相殺できる!
「白乃、今のはどういうことだ!?」
お兄様の大声に、あたしも大声で答える。
「聞いてお兄様! 鈴子の恋和歌の力で、あたしに鬼の炎は届かないわ!」
「本当か!?」
「ホントよ! だから、あたしは、部屋の入り口に移動して、鬼が外に出られないようにする!」
「何を言ってる! 鬼の狙いはお前だぞ!」
あたしは、ぐっと奥歯を食いしばったあと、苦しい現実をお兄様に叫んだ。
「いいえ! 鬼の狙いはあたしじゃない!」
あたしなんか。
あたしなんて。
「あたしなんてつまんない人間に、鈴子は怒りはするけど嫉妬なんかしないわ!」
お兄様がハッとした表情になる。
人間が嫉妬をするときは、相手に何か、自分より持っているものがあると感じたときだ。
富、容姿、才能、境遇、生まれ、実力。「特別な何か」
あたしが鈴子より持っているものなんて、何もない。
あたしは鈴子の嫉妬の対象じゃない。ただひたすらに、邪魔なだけの存在だ。
鈴子が持っていないものを持っている人。それは誰がどう考えても。
「鬼の狙いは琴子お姉様よ! お兄様、鬼を外に出しちゃダメ!」
元興お兄様はあたしの指示を聞いて、大きく息を吐いた。
「わかった!」
ダンッとお兄様と鬼、両者の床を蹴る音がする。
あたしはこけつまろびつ、入り口に移動する。
鬼が、部屋の入り口に立ち塞がったあたしを、上から見下ろす。
鬼に言葉は届かない。言葉が届いていたなら、さっきのお兄様との会話も聞かれていたはずだもの。
鬼の腹の口が、大きく開いた。
炎が口の中にたまり、吹き出そうと準備をする。
鈴子、ごめん。謝るから。
「謝るために、今だけ生かして!」
焔々々々々々!
鬼が今までで一番大きく、火炎を吐き出した。
あたしは鈴子の恋和歌を開く。
大波々々々々!
恋和歌から現れた巨大な波が、鬼の吐く大火炎を防いで打ち消す。
ふしゅうううう。
波のしぶきの向こう、鬼の背後から、歯の隙間から吹き出す蒸気のような息の音がした。
元興お兄様の呼吸音だ。
元興お兄様は、抜いた太刀を自分の真上、大上段に振り上げて。
「オオオオオッ」
雄叫びをあげ、鬼の頭に太刀を振り下ろし。
鬼を頭から真っ二つに、唐竹割りにした。
悲鳴を上げることすらできず、半分に切り落とされた鬼が、左右に体を半分ずつ倒し、べちゃ、べちゃ、と倒れる。
「鈴子!」
あたしは鈴子を包んだ繭に走り寄る。
蜘蛛の糸でできた繭は、青白い炎を吹きだす。
「鈴子、ダメ、死なないで!」
あたしは袿を脱いで、バタバタと繭に叩きつける。
バチン。
いきなり繭が消えて、中の鈴子に振りかぶった布を叩きつけてしまった。
「いたッ」
鈴子が小さく痛みの声を上げる。あちこちに蜘蛛の糸が貼りついているものの、鈴子の体には傷は見当たらなかった。
「鈴子、大丈夫!?」
あたし目をパチパチさせている鈴子の体に、がばっと抱きついて抱き起こした。
「ごめん、ごめんね、鈴子。全部あたしのせい、全部あたしがわるかったわ。一生かけてつぐなうから。ごめんなさい!」
鈴子は、何度も目をパチパチさせた後、ため息まじりに言った。
「アンタの一生なんかいらないわよ」
「そうよね、でも、あたしでも、こんなあたしでも、もう、つぐなう、しか」
涙混じりに言いつのるあたしに、鈴子はまたため息を吐いた。
「あんたが私を助けてくれたの、聞こえたから」
「鈴子……!」
鈴子の震える手が、抱きしめているあたしの背に回された。
「私が結婚するまでつぐなってよ。それで許してあげるからさ」
「鈴子! わかった、わかった、鈴子が結婚するまで、なんでも、どんなことでも力を貸すから」
「あーもう、うっさいわね」
そう言って鈴子は、いつも通り、ちょっと意地悪そうに笑った。
「アンタにそこまで期待してないわよ。助けてくれたんだから。それでもう、けっこう、ありがとう、よ」
VS鬼のアクション回でした。自分が取るに足らない人間だと気づいたとき、人は大きく成長するのです。
毎日20時ごろ更新。ブクマ評価などありがとうございます! 今回もよろしくお願いいたします。




