四章 鬼が鈴子を狙ってる!
「何をって……」
何を、してるんだろう。あたし、今まで何してたんだろう。
元興お兄様は、めずらしく少しあせった顔で言う。
「こんな天気の日に、一人で、草履も履かずに地面に座りこんで」
あたしのひどいありさまに、お兄様はびっくりしてるみたい。
そうだ。元興お兄様には、全部話そうって決めてたんだ。
「あの」
「まさか、もう襲われたのか!?」
「襲……?」
襲われたって何? と聞き返す前に、元興お兄様があたしを抱き上げる。
「ひえっ、元興お兄様!?」
お兄様にいきなり、いわゆる姫抱きをされて、あたしは思わずへんな声を上げる。
「元興お兄様、あたしっ、ちがうのっ」
抱き上げられたまま、あたしは叫ぶ。元興お兄様は、あたしを抱き上げたまま走り出し、聞いた。
「鬼に襲われたんじゃないのか」
「鬼っ!?」
あたしは大声で聞き返す。
元興お兄様が上半身を揺らさず走るため、思ったより揺れはしない。
ただ、風を切って街中を走り抜ける速度が、全身に受ける風圧が。
「元興お兄様、こわいこわいこわいーー」
悲鳴を上げるあたしに、元興お兄様はいつもの無表情に戻って話し出した。
「今から一方的に説明する。お前は相づちも打つな。舌を噛む」
「ひゃいっ」
噛んだ。
軽く舌を噛んで黙ったあたしを抱えたまま、元興お兄様はさらに加速した。家々の隙間や、人の隙間をすり抜け、走り抜けながら説明を始める。
今、元興お兄様がぶつかった牛車が、吹っとんでったんだけど……。いいのかな。
「強き鬼が現れたと占に出たゆえ、太刀衆が出動している。占にはお前がいる近辺に鬼が出たとあったので、手分けして探していた。
お前がまだ鬼に会っていないなら、お前をめがけて鬼が襲ってくるはずだ」
鬼がなんであたしを狙うんですか? 思わず聞きかけて、逆にあたしは歯を食いしばった。
お兄様が小声で
「よく見えん。跳ぶぞ」
と言ったからである。
梅園で見たときは、タンッと軽く跳ね上がったように見えたけど。
実際のお兄様の跳躍は、軽いどころか大衝撃だった。
ドンッッと全身に響く衝撃は、暴れイノシシにでも下から突き上げられたかのようだった。
しかし感じたのは衝撃だけで、痛みは感じない。
元興お兄様が、あたしを抱えて跳ね上がっただけだったのだから。
「きゃああああああーーーっ」
衝撃が去ると、あたしは食いしばった歯がゆるみ、思いっきり悲鳴を上げた。
目の下、はるかはるかにあたしたちの下に、おもちゃみたいなサイズの家や人が見えたからだ。
「お兄様ーーーっ、高すぎるーーーっ」
あたしの悲鳴を無視して、今度は上から暴れイノシシに飛びかかられたような衝撃が走った。
当たり前だが、あたしたちは落下したのである。
「む。見つけた」
お兄様が小声でつぶやいたのを聞いたのは、実際に音声が発せられたより一拍遅れて、あたしたちの着地と同時だった。
暴れイノシシが上下から一斉に飛びかかってきたような衝撃に、あたしの悲鳴が止まったのと同時でもある。
「きゅう~」
自分でもよくわからない音を、あたしが喉から出していると、お兄様は
「大丈夫か」
と聞いた。
あたしは正直に
「死にそう……」
と答えた。
けど。
「死なないようにはする。がんばれ」
お兄様は端的な、そして非情な回答をして、ダン、と強く足を踏み出して、また走り出した。
「お兄様ああああ、死んじゃう、死んじゃうーーーっ」
もはやなりふりかまわずお兄様にしがみつき、あたしは悲鳴を上げまくる。
がっちりと自分を縛り付けるように、本体に固定して、目にもとまらぬ速さで、天地を激しく上下する乗り物。
そんな想像上の乗り物に、唐突に乗せられた気分だ。
もし未来にそんな乗り物が発明されたら、あたしは絶対に乗らない。
もし乗ろうとする人を見かけたら、やめておくよう全力で説得する。
あたしが乗っているのが、そんな想像上の拷問乗り物でなく、最愛のお兄様なのにこんなことを叫んでいるんだから、絶対だ。
「下ろしてええええ! お兄様、お願い、下ろしてえええええ!」
「お前から目を離すわけにもいかん。占には鬼はお前の近くに現れると出た」
「いやああああ。死んじゃうーーー」
悲鳴を上げまくるあたしだけど、往来の人たちには見えていない。あたしを抱きかかえるお兄様の、走る速度が速すぎて見えない。
「白乃、鬼とは」
「お兄様!」
「俺ではなく、鬼の話だ」
「合ってるーーーっ」
あたしの悲鳴を無視して、お兄様はあたしを抱えて走りながら、鬼の説明を続けた。
「鬼とは、人間の嫉妬の心から生まれる化け物だ。
主に、恋愛に関する嫉妬の心から生まれる。
姿は……この間梅園で見ただろう。ああいう形だ。梅園にいたのは小型の鬼だった。
よって、鬼は嫉妬の対象に襲いかかる」
「待ってお兄様。じゃあ、また鈴子が」
「ああ、上空から見えた。花井家の屋根に、鬼がいる。……やはり、お前は置いていくか」
今にいたって考えを変えようとしたお兄様に、あたしは必死にしがみついた。
「置いてかないでええええ。死んでも離れないいいい」
「いや、よく考えたら、鬼の居場所がわかったからには、置いていった方が安全かもしれんと」
「よく考えないでええええ!」
お兄様がよく考えてしまうと、あたしを危険から遠ざけるため、置いてっちゃうだろう。
今回だけはダメだ。
今のあたしは、鈴子のピンチをほっといちゃダメ。
「絶対に鈴子を助けに行くうううう! 死んでも放さないからああああ!」
ぎゅうぎゅうと、自分の体にしがみつくあたしを見て、お兄様はちょっとだけ微笑んだ。
「わかった。一緒に行こう」
「うん!」
同じように、ちょっとだけ微笑んだあたしを見て、お兄様は、さらに強くあたしを、自分の体に抱き寄せた。
お兄様の分厚い胸板を、全身で感じてドキッとする。
「白乃」
ドキドキしてる場合じゃないのに、お兄様の声にまで、あたしの心臓はドキドキし始めちゃう。
「加速するぞ」
「いやああああああ」
違う方向で爆発しそうな心臓を抱えて、あたしはお兄様の急加速に耐えた。
※※※
先ほど飛び出した花井家に舞い戻る。
門から見た限り中は静かで、鬼が暴れている様子はない。
お兄様に抱きかかえられたあたしを見て、花井家の下人がホッとした顔で出迎えた。
「春日野の姫様、ご心配しておりましたよ。裸足で飛び出して行かれるし、鈴子様は部屋に誰も入れるなとおっしゃるし。
手向山の若様、よくぞお連れくださいました。ああ、姫様、おみ足から血が」
「おい」
あたしの血が出ている足を見て(けがになんて気づかなかったわ)、足を洗う水を取りに行こうとする下人の肩を、元興お兄様がぐいとつかんだ。
お兄様、ちょっと乱暴なんじゃ……。
「鈴子殿はお部屋なんだな」
「へっ、さ、さようで……」
お兄様の聞き方と目つきが鋭すぎて、下人がびくっとしながら答える。
「わかった。入るぞ」
「いえ、手向山の若様。鈴子様はどなたにもお会いにならないと」
「入るぞ」
「あ、鈴子様のお部屋でなく、客間にご案内いたしますので、春日野の姫様のおみ足は客間で治療を」
「鈴子殿の部屋に入るぞ」
「話聞いてないのこの人!」
「どけ」
「話聞いてないよこの人!」
悲鳴を上げる下人を無理矢理押しのけ、お兄様は花井家の敷居をまたぐ。
屋敷の中も静かで、何かが起きている様子はない。
「手向山の若様! 何やってるんですかあなた!」
背後でお兄様に向かって叫ぶ下人を無視し、お兄様はあたしに問うた(いいのかな……)。
「白乃、下ろすが、足は痛まないか?」
お兄様の質問ではっと気づく。お兄様、ずっとあたしの足をかばって、ずっと抱いて走ってくれてた――。
のも、あるかもしれない! たぶん速く走りたかったのが一番だけど!
「痛くないよ。けがしてたのなんか気づかなかったぐらい」
あたしの足より、今は鈴子が心配だ。鬼は鈴子をねらっている。
「そうか。お前は俺が守るが、充分に気をつけろ」
お兄様はそう注意して、あたしの手を一瞬ぎゅっとにぎると、あたしを花井家の床に下ろした。
だからそれどころじゃないのに、手を握られたのでドキドキしちゃうじゃない!
「鈴子殿の部屋はどっちだ」
「こっちよ。お兄様、もう家の人に乱暴しないでね」
「乱暴など、いつした?」
「どうしよう、お兄様、マジだ」
思わず独りごちてから、今度はあたしが、お兄様の手を引いていく。
これがジェットコースター展開というもの……。鬼の小体がわかったところで、作者の嘘もわかりましたね。元興お兄様は人の話を聞くタイプ、あれは嘘だ。
毎日20時ごろ更新。ブクマ評価などありがとうございます!今回もよろしくお願いいたします。




