天の理君にあり
イェシカ軍とアスラン軍が対峙するその空間は、闘神2人によって瞬く間に荒らされていった。
魔法力を打ち消すお互いの力のせいで大きな衝撃波こそ出せないが、身の内に魔法を蓄積し、いつもの怪力をさらに高めるので、ちょっとした跳躍や、攻撃をかわされて刀を打ちつけた勢いで、大地はめくれ、陥没し、2人の血肉で大地は染まり、怖ろしいような風景を作り上げていった。
闘神の肉体の再生能力はすさまじいが、ある程度の欠損になると、回復までにそれなりの時間を必要とする。茉莉も、アスランの闘神パーシヴァルも経験上、自身が戦闘不能になる度合いを心得ている。
そんないくつかの大きな欠損の続いた後、右腕を失ったパーシヴァルは、その瞬間、再生が次の大きな欠損に間に合わなければ、この闘いが詰む事を自覚した。
「マリ様が優勢と見受けます」
クリスティーナの側に控えた老臣エクストレームが兵士達の歓声に負けじと声を上げて、初陣の主君に告げた。
齢を重ね経験を積んでも、闘神戦の勝敗ばかりは、力が拮抗している時など特に、人の身では決するのその瞬間までわからなかったりするものだが、エクストレームが予感程度ながらもそう感じたように、戦慣れしたアスラン軍では、若干押され気味な自国闘神に敗北の影を見始める者もいた。
「エクストレーム、私にはどちらも同じほどに勇猛で、どちらも同じ程に傷ついているように見えるのですが…」
いつもならば花のようなかんばせの眉間に深い溝を刻んで、クリスティーナは笑顔を見せるでも、同調するでもなくエクストレームに応えた。
「すぐに再生するので分かりにくいとは思いますが、ここ一時、その身を失う度合いがアスラン側の方が多いようです。まさかここまでマリ様が闘えるとは…全くこのじじい、恥ずかしながら予想しておりませんでした。
さすがクリスティーナ様、マリ様の事をよくご存じで」
初戦の闘神は必ず負けるものだ。実際茉莉もファーナム国の闘神ヴォルフラムには負けている。
軍議は初戦未経験の立前上、1戦目敗退は織り込み済みでされた。
茉莉が退けば、イェシカの前線部隊はこのまま余力のある闘神に護られた敵軍と全面衝突する。他国に攻め入る場合、闘神は一般兵にはあまり武力を振るえないが、その有り余る魔法力で、自国兵の防御を上げてくる。そうなると、当然イェシカ側が不利になるが、地の利を利用して、茉莉の回復までに前線後退を最小限に留める作戦が練りに練られた。
茉莉もその作戦にうなずき、2戦目で負ける事はないとその場の臣下達に約束してくれた。
ただ、クリスティーナはエクストレームと秘密裏に初戦勝利後の作戦も立てておいた。最初こそ怪訝な顔をしたが、ここ一年で主従は互いに信頼を深めあってきた。老臣は、とことんクリスティーナに付き合ってくれた。
「何しろマリ様は格闘家でいらしたのですし、何かしら神のご加護があるのかもしれません」
前半の格闘家うんぬんは茉莉とクリスティーナが考えたねつ造経歴だが、後半はクリスティーナの本心だった。
先日見守ったコベット闘神との戦いは、今目の前で見ているものと同じように凄まじいものだったが、太刀筋を確認し合う為だったからか、背負う者が違うからなのか、茉莉の纏う空気が違うとクリスティーナは感じていた。
『あんなにも凄まじい闘いなのに、マリ様の表情は凪いだ湖のよう…しかも、大地を抉り、血の雨を降らせてもなお、私の闘神様はなんて…美しいのかしら』
食い入るように茉莉を見つめながら、クリスティーナは自分の闘神の一挙手一投足が、まるで一流の舞踏家のように、無駄なく全てにおいて華麗で、普段の茉莉からは思いもつかないような神気を宿している事に、全身が沸き立つ思いだった。
今回の闘神戦の勝敗については、茉莉とあえて予想はしないでおいた。
歴戦のパーシヴァルに勝つと信じるなどと、クリスティーナの口からは茉莉には言えない。ただ、茉莉が、自分とイェシカの為に、全力で相手に立ち向かってくれる、それだけを信じていればいいのだ。
「ああ、これは…全軍に伝令を出すべきかもしれませんね」
エクストレームは左膝から下を失ったパーシヴァルを見て取ると、女王に進言した。
「ええ、初戦闘神の勝利を無駄には出来ません。私達はこの戦争に、今日、勝利宣言をしましょう!」
闘神同士の戦いはまだ続いていたが、早馬は全軍に追撃陣形の指示を持って走り出した。
その頃には茉莉も完全に自分の勝利を確信していた。
ここから気を緩めなければ、負けない所まで戦いぬいた。
自軍と敵陣にそれぞれ動きがある事も目の端に感じる余裕もあった。
だが、闘神戦はここで終わりはしないのだ。
片足となったパーシヴァルだが、再生までの時間をかせぐ事に集中したため、護りが固くなり、さすがの経験値からか茉莉の猛攻を上手くいなしていた。
例え逆転の可能性がなくとも、戦時の闘神戦はどちらかが戦闘不能になるまでは続く。互いに背負う信頼と祈りの重さから、負けましたなどと、それこそ死んでも言えないのだ。
そんな相手に、茉莉も憐れみなどという感情は湧かなかった。自身の為すべき事を知り、為すべき事をする、そしてそれは、相対する者の心の中も鏡のように同じなのだ。護る、護る、愛する者を護る!そこには迷いも、人であった時にならあったであろう暗がりもない。
一刀、一刀、受けた信頼と、祈りをのせて相手に放つ。
パーシヴァルは受ける程に重くなる茉莉の神刀の容赦ない追撃にも、決して自身の戦いを諦めはしなかったが、同時に安心感も得ていた。
『この力ならば、アスランの未来を託すに値う』
後は、ただただ、己の全てを出しつくして闘おうと、ついに左足の再生が叶わぬままに反撃に打って出た。
日はゆるく傾き、早くも夜気を感じさせる気温となってきたが、イェシカ軍の熱気は最高潮に達していた。
茉莉がアスラン闘神をついに戦闘不能にしたのだ。
傷付きながらも自立し、両の手に神刀を持った茉莉が、ゆっくりと鞘に刃を納める姿は、華麗な上に圧倒的な力差を感じさせるものだった。しかも初戦勝利は正に奇跡、在位50年の闘神を破ったこの可憐な少女闘神は間違いなく現代最強と言えるだろう。
自軍闘神のこの勇姿にイェシカの兵士たちは怒号のような喝采を送った。
戦闘不能になった闘神は慣例に則り、更にその身を削られ、およそ1日、完全再生までその場に放置となる。
「あんたは強い。今まで闘ってきた誰より強かった」
立ち去る気配を見せる茉莉にパーシヴァルは声を掛けた。
「…そうですか」
茉莉としては追撃の為これ以上敗者に時間をとる訳にはいかなかったし、なんと答えればよいかもわからなかったので、そのままパーシヴァルが気になるものの、背を向けた。その背に予想外の言葉が投げられた。
「頼みがある。王子は自ら降伏はしない、だが恐らく最前線に立つと思う。なるべく早く見つけて………首を取り、アスラン軍に降伏を呼び掛けて欲しい」
「えっ!?」
これにはさすがに茉莉も振り向いてしまった。自分はここまで戦い抜いておいて、自軍の降伏を願うなど、闘神としてありえない話だ。
1日もすれば闘神自身も回復するし、反撃のチャンスもある。戦争の素人ながらも茉莉には諦めが早すぎるように思われた。
「これは、アスラン王の望んだ戦いではない。王子が計画し、王に無許可で出兵したんだ」
「ええええっ!?じゃあ、なんで闘神のあなたがここにいるんですか!」
茉莉の受けた教育では、軍の最高司令官は国王であり、その了承を得ない国内外への進軍は全て私闘となり、例え勝利しても国際的に領土を認定されないはずだ。
しかもその私闘に闘神が加担するなど、ありえない。
「……私と王子は、愚かにも天に背いたのだ。さあ、自軍に戻り天の理君にありと、女王に告げてくれ、できれば巻き込まれたアスラン国民には慈悲を…」
パーシヴァルの真摯な瞳の奥に、まだ語られない何かを感じたものの、国民を想う言葉に嘘などないと確信できる茉莉は、ただ小さく頷いて女王の元に走り帰った。
イェシカ軍は茉莉の陣地への帰還を合図に、伝令で通達した通り、茉莉の守護を加算した攻撃重視の陣形で国境を越えた。
対するアスランはイェシカの軍勢に押される形で徐々に押し戻され、街道沿いのアスラン側の最初の村まで一気に責めたてられた。
そこまで来た所で、さすがに戦上手のアスラン軍はなんとか陣形を取りつくろい、なんとか日没まで降伏しないまま持ちこたえた。
茉莉は自国の兵士を守護しつつ、クリスティーナにアスラン闘神の言葉を伝えた。女王はその内容に衝撃を受けたが、それからは攻撃の手を若干緩め、勝利宣言を明日に持ち越す旨を全軍に伝え、陣形を強固にしつつ、夜襲に備えるのみとし、その日の戦闘終了を冷静に宣言した。
パーシヴァルの言う通り、陣形を整えた後は、前線に王子が出張ってはいたが、周りの警護は本人の意思かどうかは知らないが、半端なく厚かった。
自軍の明らかな優勢から、茉莉とクリスティーナは軍議の後夜明けまで休む時間が出来た。
初めてこちらの世界に来た時のテントと同じものが用意され、2人きりになると、早速クリスティーナは茉莉にそっと身を寄せて、外の警らに聞こえないように耳打ちした。
「さあ、マリ様、アスラン闘神パーシヴァル様の所に行きますよ!」
「だよねー!得いかない所多すぎだもん。ぎゅーぎゅー締め上げちゃおうね」
「……放置中の闘神を傷付けるのはご法度なので、マリ様、締めない方向でいきましょう……ね?」
過激な茉莉の発言に釘をさしつつ、こんな時のためにあるいというテント上部の隠し出口から女王と闘神は闇に紛れて再びイェシカの領土へ舞い戻った。




