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私は、あなたの闘姫  作者: まるみふみ
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開戦

 その日ウースラは朝早くから母に起こされた。

 家で飼っている鶏や豚に餌をやるのがウースラの仕事だが、その仕事の時間にもまだ間がある、深夜と言ってもいいような時刻だった。

 母は今年10才になるウースラが一度も見た事が無いような厳しい表情をしていた。その様子で俄かに目のさめたウースラが、そう広くもない家の中に父がいない事に気付くまでにそう時間はかからなかった。いつも森へ狩りに出ていなければ朝食を一緒にする父の不在。しかも昨日大きな雌鹿を取って帰ったばかりだ。

「お父さんは?」

 娘のこの問いかけに母は一瞬息をのんだが、特に表情も変えず、父は国の仕事で出かけたと告げた。

「国の仕事?」

「ああ、そうだよ、これからここら辺一帯で戦争が始まるんだ」

 ウースラは戦争と言われても、全くピンとこなかった。もちろん言葉の意味は幼年学校で習って知っている。だがそれは、どこか余所の国の出来ごとで、こんなに身近に聞く話ではないはずだ。

「も、もう兵隊が来てるの?」

 現実感は無いなりに、戦争という言葉の怖ろしさは教師や両親から教え込まされているウースラはあわてた。他国の兵士は、残忍にウースラのような子供も殺してしまうと言うではないか。

「まだだよ、でも、もう何日かしたら、ここまで来る。なにしろこの村が一番アスランに近いからね」

「ええっ!アスランが来るの?どうして?イェシカとアスランは仲良しじゃなかったの?」

 建国以来、剣を交えた事のない友好国。この村の幼年学校では隣国をこのように評価してる。それを疑ったことなど、ウースラは生まれてこの方なかった。もしかすると両親でさえそうだろう。

「さあね、国同士のことは母さんにもわからないよ。

 あたしたちはとにかく、闘神様達がここに来るまでに、遠くに逃げておくのが役目さ」

「でも、母さん、鶏と豚は?」

「豚は連れていけるけど、鶏は小屋から出しておきな。自分で餌が取れるんだ。運が良ければ、また帰った時にその辺りにいるかもしれないよ」

「……でもキツネにとられちゃう」

「仕方がないんだよ、さあ、昼には出発するんだ、急がなけりゃならない。準備の間は無駄口はなしだよ!」

 いつもは父に比べてのんびり者な母親が、一家の主のようにきっぱりとした表情でウースラに命じた。それだけで幼いウースラに、これがただ事ではないのだと思い知らせるのだ。

「お、お父さん、もしかして、兵隊に取られたの?」

 不在の父の行方がウースラには怖ろしくてならなくなった。父が兵隊に取られて、もしも戦闘で死んだらどうしようと、嫌な想像ばかりが頭の中を駆け巡る。

「……。ウースラ、この辺りの猟師は皆、何かあったら森に入って敵の事を見張る役目の代わりに、いつもは自由に猟が出来る約束なんだ。だから、今父さんはその役目で森にいるんだよ。兵隊じゃないから、剣を持って闘ったりはしないんだ。だから大丈夫、きっと大丈夫だよ」

 何に対して、何が大丈夫なのか分からない母の発言だが、その声に怯えを敏感に感じたウースラは、これ以上父について尋ねて母を困らせるのはいけない事に思えた。

「お母さん、闘神様がここに来るなら、大丈夫だよね?余所の国の兵隊なんか、すぐにおっぱらってくれるよね?」

「ああ、そうだよ、でも、闘神様より先にアスラン兵が来たら危ないから逃げるだけだよ。すぐにここに帰れるさ」

 母は自分に言い聞かせるように強く言い、ウースラに頷いた。

 ウースラは闘神の存在が、「戦争」という言葉の不安感から幾分自分を解放してくれた気がした。「マリ様が来るなら、見てみたかったなあ、すごく可愛いんだって先生が言ってた」そんな軽口も出る程に……。

 


 イェシカとアスランの国境は、ほぼ山々の稜線で区切られている。それでも国交が盛んなのは何本か大きな川を共有している事と、細いながらも商人達の通う道が整備されているからだ。

 斥候から知らされていた通り、アスランの軍は戦力を分散せず、最も大きな街道を選んで整然と進軍してきた。

 イェシカにアスラン側から宣戦布告はまだされていなので、奇襲には違いないが、イェシカがアスランに放ったいた間者達から、早々にこの進軍は報告されており、兼ねてより、アスランに対し警戒を高めていたイェシカ軍は、アスランと同等の兵を整え、堂々、国境を挟んでの開戦となった。そこは今は遠くへ避難しているウースラの住む村のすぐ近くだ。


 季節は秋、イェシカもアスラン同様、山の裾野に広がる大きな樹海は多彩な紅葉で常ならば人々の心を魅了していたろうが、いま、この景色に意識を向けて楽しむ余裕のある者など、ひとりもいなかった。

 国境近くの町や村の人々は、それぞれ振り分けられた避難所で戦の予感に震えて過ごし、軍人以外の健康な成人男子の多くが、戦闘以外の軍役の為に徴集された。

 

 茉莉とクリスティーナは、最前線でアスラン軍を迎えた。

 通常単なる侵略軍は、圧倒的速さで奇襲してくる。宣戦布告しての開戦は、国土回復の時に多い。奇襲するのは、もちろんその国の闘神がやって来ないうちに領地をできるだけ制圧しておきたいからだ。

 アスラン軍にしてみれば、国境でイェシカ軍と対面しただけで、作戦失敗となり、兵士の士気も下がる所だが、茉莉達が眼前にしたアスラン軍にはそんな様子は見受けられなかった。アスラン軍の男たちは皆『イェシカの少女闘神』がまだ初戦も経験していない事を知っているからだ。

 初戦で闘神戦に勝利できる闘神はいない。この世界の軍人ならば、皆この共通認識を持っている。それ故に、アスランの兵達はここで最初に闘神戦を迎えても、自国の誇る闘神が負けるはずもなく、一般兵同士の闘いになれば、戦慣れした自分達の勝利は疑うべくもない。


 対するイェシカの軍勢も、初戦の闘神を冠している自覚はあったが、自国の領土を護らんとする意気は高かった。彼らの多くが闘神戦後の戦闘を想定して厳しく引き締まった表情をしている。

 その軍勢を背に、300mも離れていない場所に陣取ったアスラン軍の使者から茉莉とクリスティーナは闘神戦の申し込みを受けた。

 使者は大きな、よく響く声で、アスラン王代理の王子からの書状を読み上げたので、内容は多くの者の知る所となった。

 それは意外でもなんでもない、しごくスタンダードな戦の進め方だったが、こちらの闘神が初戦である事を想えば、卑怯と言えなくもない。

 だが、クリスティーナは闘神戦の申し入れを受け入れた。

 愛する闘神を、またあの血風吹きすさぶ闘神戦に送り出すのかと思うと、心臓が凍えてしまうような気持ちになるが、その恐れの奥に、滾る様な女王としての責任と、闘神への信頼が熱いマグマのように息づいている。

 なにより、開戦のこの流れは、幾度も開いた作戦会議で了承済みだ。

 自国の幹部にさえ茉莉が初戦を経験した事は秘密だが、作戦会議では、茉莉の初戦をこれで済ませればいい位の意見が多数だった。そんな事が言えるのは、彼らも自国の闘神が例え初戦敗退しても、いつかは敵を撃退できると信じているからだ。この一年、パワースポット巡りや、各兵舎への訪問などでこつこつ信頼を得た賜物だ。

 そして、その事が茉莉に力を与える。

 信頼。願い。祈り。

 それが茉莉に与えられる闘神としての最高の報酬。

 茉莉はテューネから出立した主軍と行動を共にした。パワースポットから一気に飛ぶ事もできたが、クリスティーナの命で彼女と共に闘神祭の時のように、国民の前に姿を陽光に晒し行軍した。

 その理由は王城を出発して城下に出た途端にわかった。見送る人々から送られた言葉、視線、心、それら全てを吸い取って茉莉は国境に来たのだ。

 

 

 戦時の闘神戦にはルールなどない。

 クリスティーナが了承した事が敵陣に伝わった時、戦闘が始まる。

 今回は使者が両軍の間から無事自軍側に辿りついた時だろう。

 使者の背を見ながら茉莉は着ていた外套を脱ぎ、神刀を背負った。

 その姿は扇状に広がった多くの兵士の瞳に焼きついたはずだ。秋の高い高い空、正午の光は真上から茉莉の闘神衣を輝かせる。

 イェシカの兵士達から、自然と戦を前にした闘神に向けて雄たけびが上がる。

 イェシカの可憐な闘いの女神が、先日コベットの闘神に見せたように抜刃を優雅な所作で自軍と相手方の闘神に見せつけたのだ。

 当の茉莉は両軍が対峙してすぐに相手方の闘神を見つけた。

 その人は、大将の王子と思しき人に付き添っていた。

 クリスティーナが以前評したように、涼やかな容姿の闘神には、こちらを侵略しようという覇気のようなものは感じられなかったが、全ての闘神に共通の、使命感がその瞳から見て取れた。

 茉莉の抜刀を当然見て取ったアスランの闘神は、使者が帰り着く前に、同じように神刀を抜き、鞘を王子に預けた。いつもなら、自分の王に渡していた鞘を、重そうに王子が受け取った時、パーシヴァルを言いようのない寂寥感が襲った。だが、その気持ちを噛みしめている暇など彼にはなかった。

 馬に乗った使者が、王子の目の前に辿りつき、イェシカの女王の承諾を伝える。

 王子の頤が了承の形で下がるのを見届けたパーシヴァルはそのまま敵陣めがけて突進した。

 相手方の闘神も自分の陣から大きく跳躍し、着地と同時に土煙りの上がる程のスピードでこちらに向かってきた。


 ごんっ。


 金属の神刀同士がぶつかったにしては鈍い音が、ふたりの闘神の間で響く。

 神刀を交えたまま闘神達はそのまま静止した。ように両軍に見えたが、実際には力と力の単純な押し合いが、凄まじいレベルで行われていた。

 足元の土はめくれ、刃を合わせた神刀の間には高熱が発生している。

 その力のせめぎ合いの中で、互いに冷静な視線を絡ませる。

 茉莉の恐れを知らぬ幼子のような澄んだ瞳をみる内に、パーシヴァルは自分達の誤算に気がついた。

『イェシカの闘神の実力は、明らかに初戦のそれではない』

 その事に僅かに気を取られた瞬間、パーシバルは角度を変えて送り込まれた茉莉の力でふっ飛ばされた。初戦闘神のありえない快挙に、イェシカ側の軍勢は歓声を上げた。しかし茉莉にその声に応える暇はなかった。

 ふっ飛ばした相手が地上に叩きつけられる前に2刃目を放つ。

 不安定ながらもそれをパーシヴァルが神刀で受け流す。しかし二刀流の茉莉は3刃を間髪いれず地上にやっと降り立った相手の足もとに入れる。パーシヴァルはそれを自らの肉体でで受け止めた。

 致命傷ではないが、闘神の血は、アスラン軍にも見えただろう。

 動揺の走る自軍を背に、パーシヴァルは逆に、冴え冴えと闘気が高まるのを感じていた。初戦闘神との侮りは自分の中ではもうない。数々の闘いに裏打ちされた闘神としての実力を、全て出しきらねば眼前の闘神を打ち破る事はできないだろう。

 初戦闘神への遠慮のなくなったパーシヴァルは、最初に刃を交えた瞬間にあったわずかな隙がなくなった。それを茉莉は敏感に感じ取る。冷静さと闘気の高まりは相反せず茉莉の中で共闘しており、パーシヴァルの戦闘の変化にも、難無く対応する。闘いが深まるにつれ、今までにない力の充実を茉莉は実感していた。

 茉莉はパーシヴァルと刃を交えれば交える程、日頃の人間らしい自分が消えてゆくのを感じた。過去2戦の闘神戦同様、思考がどんどんシンプルになり、くり出す刃の切れ味は増し、パーシヴァルの闘神衣さえも破壊し始める。

 茉莉も相手同様に手傷を負っていないわけではないが、自分が常より力を出せているのか、相手が弱いのかは判断できる程の経験がないので不明だが、茉莉は闘神戦において、初めて勝利を意識しはじめていた。




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