アスラン
もしも、闘神の仕える王に王子が生まれなかったら、その王の男兄弟がいればいい。兄弟がいなくても、叔父、甥、従兄弟がいればなんとかなるだろう。それさえ望めないとあらば、国はそこで途絶える運命にあった。ほんの1年前までは…。
今やイェシカに生まれた女王によって、娘、姉妹、叔母、従姉妹であっても王位継承権に問題がない事を天が認めた。
だが、そんな血縁が一切望めないとしたら?
次の闘神は誰が呼ぶのだろうか?
王を失った国は、容易く周辺諸国に呑みこまれる。闘神がいない事による戦力差は如何ともしがたく、多くの血をみるよりはと、迎合する。天は闘神のいない国への侵略はどのような方法をとろうとも罰しないという通例があるからだ。
平和にさえなってしまえば、闘神が守る国同士、比較的行き来もゆるやかになるので、肉親と国境を跨いで生き別れなどという事もない。
どうしても、元の国が恋しければ、亡国の有志からこれぞという者を選び、魔法陣を大地に刻み、神に問えばよいのだ、自分は闘神を得るに相応しい者であるかと。
しかし、その時に現れる闘神は、以前の闘神とは赤の他人だ。
この世界の事を何も知らず、あつかいが少々難しい。
だが、天が王に与える闘神は皆、ひとりの例外もなく、王と民人を護る事を最後には受け入れる。そして、王の最後の日まで共に過ごし、次回の王へ自分の息子(茉莉の例があるので娘の可能性もある)を送り届ける。
王の血が呼べば、闘神の血も応える。2つの交わらないはずの輪が、互いに引き合い同じ円を描き回り始めるのだ。人々は願う。永久にその輪が寄り添い回り続ける事を。
だが今、その輪のひとつが動きを止めようとしていた。
闘神は弱々しい息の王の側で、この50年の想い出を何度もなぞっていた。
闘神になった瞬間から、神に近い存在になった彼は、記憶が薄れると言う事がなかったので、それはとても長い回想になった。
穏やかで、優しい王。2人が出会った時には王は既に2児の父で、自分といくつも違わないのに、闘神が父に聞いていた通りの、人格者だった……。
元の世界では父が危惧する程のうぬぼれ屋で、自己中心的な性格だった闘神は、王に出会って、ただ真摯に自分を信じる王を前にして、自分でも制御できなかった黒々とした嫌らしい部分が、一度なにもかも溶けて流れ、王の信頼を受け止める新しい器に清い水を湛えて生まれ変わったような気がしたものだ。
王とその国を護る、その震えるほどの喜び、自分の為に生きるのではない。愛してやまない者達のために存在するのだ。これほど素晴らしい生き方はないと、どの国の闘神も思っているだろう。彼もそうだ。
死を前にした王の闘神は、悲しみを耐え、次世代にその仕事を託す事で魂の平安を得る。次の王が闘神を呼ぶに相応しい者であれば、それは容易い。
王の息子、この国の王子は今年55歳になる。
国民は、姿は今は亡き王妃に、心は王によく似た王子を次代の王と疑いもしない。
闘神も、ほんの数年前までは、この王子に自分の息子を託す日を想像して、心の中でほっこりした気持ちになったものだった…。
あの時の幸せな時間は、もう二度と自分には訪れない。
「パーシヴァル、どうした?お前怖い顔をしているぞ」
悲しみの縁に沈みこんでいたアスランの闘神に、最近長くなった眠りの縁から久しぶりに浮かび上がった王は声をかけた。
「お前が目を覚まさないから、待ちくたびれただけだ」
「ああ、何か用だったか?」
アスラン国王エミールは、自分の寿命が尽きる時を穏やかに迎えようとしている。
既に国政は息子に任せている身であるし、後の仕事は死のその時、長きに渡るパートナーのパーシヴァルを元の世界に送り届ける事だけなのだ。
「実は、何日か城を空けようと思ってな、あんたの息子とちょっと聖地を巡ってくる。
旅立ちも近いからな、次の準備もしておかないと……」
この世界に来てから、パーシヴァルは長い間、嘘というものをついた事がなかった。だが、この頃その言葉は半分も真実を語れないでいる。
「好きなだけ、行っておいで……ただ、途中で迎えに行っても恨むなよ?」
ここの所眠りっぱなしだが、体調は安定している。冗談も言えるのならば、本人の言うような事態にはならないだろう。
ただ、それは今日明日の話であって、決してそう遠くない未来にはそれが現実となる。パーシヴァルはそうなる前に、やっておかなければならない事があった。
この世で最も大事な人を騙しても、それによって心が砕けそうになっても、彼はアスランの闘神として、この国を護りきる覚悟を決めたのだ。
おそらく、その行為によって人々はアスランの滅亡を知り、彼を詰るかもしれない。しかし、50年の長い間愛し続けた国民に出来うる限り最良の未来を残さなければ、最後のアスラン闘神としての仕事を全うしたとは言えない。
「すぐに帰る。迎えに来たら扉の前で引き返してやるからな」
「……やれやれ、戻るまではまだ息をしてなくちゃならないのか」
「もう少し頑張ってくれよ、俺の息子を預けるんだ、準備は万端にしてやりたいんでね」
今パーシヴァルはひとつの真実も愛する者に語っていなかった。
彼の息子が元の世界で生まれたとしても、ここへは来ない。
どんなに王子が呼んでも、パーシヴァルの血はその呼びかけに答えられないのだ。
「まあ、ひと眠りして起きた位だろう、さっさと行っておいで」
「ああ、じゃあ行って来る」
闘神パーシヴァルは最後に王の手を握り、上掛けの中に戻して、そっと寝台から遠ざかる。
王は、長身で、黒髪を細い無数に三つ編にして後ろに流した、パーシヴァルの雄々しくも華のある姿が扉から出て行くまで見送った。
「お前を信じているよ……」
何度も王が、これまでパーシヴァルにかけて来た言葉だ。
あえて、最近は声に出して本人には伝えていない。
この言葉が、彼の重荷になるのなら、揺るぎないこの心を見せる事が出来ないのなら、扉を開けるその瞬間まで黙っておこうと決めていた。
自分の闘神が、どうあっても隠し通そうとする事実を、王はとうに知っていた。
愛する王妃との間に生まれた2人の息子、10人の孫、その子等全てが自分と血のつながりがないという事を……。
最後のアスラン闘神となるパーシヴァルが、その自覚を持って為す事に、王は、老衰の床から全幅の信頼をもって沈黙を選んだのだ。
パーシヴァルは王への挨拶を終えると、王子が待つ王城正門へ急いだ。
正門前広場には、2万の兵が武装を済ませ、出発の号令を待っていた。この日のために戦準備は万全に整えていた。兵士誰もが鍛え上げられ、祖国のために剣を持つ事を恐れない者達ばかりだ。
侵略される事の多かったアスランには、このような猛者が多い、兵士を育てる土壌があるのだ。それだけに、国を解体されるとなれば、彼らの多くは抵抗し、その尊い血を大地に無駄に吸わせるだろう。
パーシヴァルは他の闘神と比べて戦闘経験は段違いに多い。
それでも、今日のように、侵略のために闘神衣を纏い、神刀を背負った事はなかった。
全ては国を護るための闘い、国王エミールはそれ以外で闘神に闘いを命じはしない。恐らく今王の代理として己の傍らに立つこの王子も、闘神を呼ぶ事ができれば、そうするだろう。
王と血がつながらないというのが信じられない程に、王子は気性が王に似ている。
数年前、王妃が死の床で王子と闘神にのみ話したその事実がなければ、誰も何も疑わず、王の死後大混乱になっただろう。
これ程の血統と、人格を持って、闘神が呼べない理由がない。
では、なぜだと、その答えを求め人々がうろたえている内に、アスランは侵略され、滅びるのだ。
最初のうちは、とんでもない不貞の事実を何故王子だけでなく、自分に話したのか、亡き王妃を恨んだ事もあったが、今思えば、王妃も国民の一人としてこのアスランを愛し、パーシヴァルに未来を託したのだろう。
だったら、自分のすべき事はただひとつ。
王と国民、そして国を護る。最小限の血で、最大多数の未来を贖うのだ。
「パーシヴァル、父上のご様子は……」
「眠りの間隔が長くなってきた。今が最後のチャンスだろう」
「そうか……」
王子は王妃に、自分と弟が不貞の子と聞いて後、この国の生き残りの為に、あらゆる可能性を模索した。それは自分が永らえる為のものではなく、ひたすら残される国民を思っての事だ。その姿を見続けたパーシヴァルは、血の繋がりさえあれば、いや、なくともこの人は闘神を呼べるのではと何度も思ったが、王に過失なくとも、王妃の裏切りは天の許す所ではないだろうと、その考えは王子自身から否定されてしまった。
「おいイルクナー、イステルも連れて行くのか?まだ子供じゃないか、置いていけ」
兵士に交じって、娘ばかりが続き、最後の最後に生まれた王子の末の息子、イステルの姿を見つけた闘神は慌てた。孫王子はまだ12歳。常識から考えて、まだ戦場に立つ年ではない。
「あの子には、真実を話してある。賢い子だ、無茶はすまいよ……ただ、私になにかあれば、自分が責任をとろうと思っているんだ。従軍を許してやってくれ」
全くもって、血の繋がりさえあればと思わずにはいられない王子達だ。
パーシヴァルは元より、血を多くは流させないつもりだったので、渋々王子に頷いてみせた。
「では、出発しよう」
鳴り物もなく、王子の号令のみで、アスラン軍は進軍を始めた。
各地から合流する兵士達と落ち合いながら、彼らは目指すその国に向け着実に歩を進めていった。
初の王不在の戦、初の侵略戦、そして、建国以来、初めて戦う国。
アスランの南に栄える、女王と少女闘神の護る国。
その国の名前は―――『イェシカ』
美しい紅葉の中、パーシヴァルは来年は見る事の出来ないであろうその景色を記憶に刻みつつ、愛するアスランの道を噛みしめるように歩いていった。




