憲兵隊長の報告
イェシカと陸で接する国は5国ある。
東に「エステン」西に「コベット」北西に「エクルストン」北に「アスラン」北東が「ファーナム」となっている。
この内、最も付き合いが古く、友好関係が長く続いているのがアスランで、最も付き合いが浅いのがファーナムだ。
茉莉の父亮は過去ファーナムと3度体験した闘神戦の内の1回を行っている。
では、後の2回はどこの国の闘神と闘ったのか、娘としてというより、闘神として当然気になる茉莉だった。
「残る2回は『レヴィン』です」
茉莉の社会の先生、マウリッツがコベットとエクルストンに接するわりと大きな国を地図上で指し示す。
「こんな所から?どうやってうちの国まで来たの?」
「1度は海から、2度目は『コベット』から攻め込まれました」
「じゃあ『コベット』は『レヴィン』側についてたって事?」
茉莉の脳裏に紅い瞳の魔法使いの姿が浮かんだ。
「そうです。でも、『コベット』がしたのは、黙って『レヴィン』の兵士達が自国を横切るのを見ていただけなんです。
経済的にも、人的にもなんら援助はしなかったので、イェシカとしても激しく非難はできませんでした」
茉莉は自分の足で自国のあらゆる場所を走ってきたので、レヴィンからイェシカまでの距離も地図を見ただけで、おおよそ見当がついた。
「遠くからわざわざ、人の国を通ってまでうちに喧嘩を売りに来るなんて、一体どんな国なの?」
「海も平野もある、わりと豊かな国です。気候はイェシカとほぼ変わりません。
ただ、はるか昔は『コベット』と『エクルストン』の間に『レヴィン』の国土もあり、イェシカは6国と接していた時代がありまして、
その頃は、川の利権をめぐって何度も我が国と衝突していたのです」
「でも、それははるか昔の事だよね?しかも今は『コベット』と『エクルストン』の間に国がないって事は、領土をけずられてるって事で、うちよりも領土を持っていった方に恨みがあるんじゃないの?」
茉莉の意見に生徒がよい意見を言った時に先生が見せる表情で頷きながら、マウリッツはコベットを指差し、「『レヴィン』の土地はまるまる『コベット』が持っていきました」とかなり広い範囲でコベットの北側の土地を指でなぞった。
「しかし、これは『レヴィン』が『コベット』に貸している状態なのです、
この2つの国は王族同士の婚姻を重ね、兄弟国のような関係にあるのです。
国民同士の関税も他よりうんと軽く、国境も通行手形になしに行き来できる場所も多くあります。
つまり『レヴィン』としてみれば、未だイェシカと隣接している感覚なのでしょう」
「未だに?」
「そう思って用心しています。まあ、『コベット』とわが国が縁戚関係になる予定になる程には親密な現在、
『レヴィン』側もわざわざわが国と事を構える気もないのか、昔ほど険悪な付き合いをしているわけではありませんし、ファーナム同様先代の王の時の話ですし、
どちらかといえば『ファーナム』の方が危険かなと思う程度の状況です」
そう言われても、茉莉にとっては『ファーナム』こそ、気のいい闘神のいる国として好印象のある国だけに、胸中は複雑だった。
「もしも戦争になるなら、イェシカの人は『ファーナム』なんじゃないかと思ってるわけか…」
難しい顔で唸る茉莉にマウリッツは今日の授業はここまでと決めたのか、地図を畳んで締めとばかりに満面の笑みで答えた。
「どれも昔の話です。前にも言いましたように、マリ様の手を煩わせるような事は、今の所ありませんのでご安心を」
最近のマウリッツの授業では暗くなってしまう事の多い茉莉だったが、めずらしい執務中のクリスティーナからの呼び出しに、直前までのもの思いは吹き飛んでいた。
「マリ様、女王陛下がお待ちです」
恭しく侍女に迎え入れられた女王の執務室には、女王クリスティーナ、女王の補佐役的立場のベッティル・エクストレームの他、先ほど別れたばかりの闘神神殿の神官長マウリッツ、そしてあまり見かけない顔の男が1人、茉莉の登場を深刻な顔で迎えた。
「マリ様、こちらは憲兵隊長のマサナ・ミダウリです」
女王の紹介を受けて、体も顔も厳つい男が茉莉に礼をする。
「彼はブロムクヴィスト一族の監視をしてくれていたのです。マサナ、マリ様にも説明をお願いします」
女王の依頼に頷くと、女王の机に広げられていた紙を整えて茉莉に渡して、読むようにすすめた。
イェシカ語で書かれた時節の挨拶と近況報告らしい内容の手紙で、とりたてて不思議な所もなく、この場の空気を重くしている原因がこの手紙のどこかにあるのだろうが、茉莉にはさっぱりその理由がわからなかった。
「私たちはブロムクヴィスト一族を監視下に置き、外部とのやりとりなど、すべて追跡調査もしてきました。
そして、ブロムクヴィストの甥が、頻繁にある国からの書簡を受け取っているのに気付いたのです。」
マサナは書簡の入っていた油紙を中に仕込んだ封筒を茉莉に見せた。その表書きにはイェシカ北西の大きな港町の名前が書かれていた。
「これって国内だよね?」
「そうです、メンバレスはわが国の重要な町の名前です。
ブロムクヴィスト一族の手紙の類は全て検閲されてから相手方に送るのですが、
甥と、このメンバレスに実在する商人の手紙には特に問題もなく、
最近まで、商人の家に手紙が着いた所で追跡を終了していたのです。しかし、あまりに頻繁な事に気付き、商人も監視対象にした所、手紙の筆跡が一致しない事や、商人がある国との交易でここ1年で急激に利益をあげはじめた事を突き止めました。」
「…それって…」
あの港町から近い国は2つある1つは東に位置する国、エステン。
そしてもう1つは……。
「その国とは、ファーナムです」
そうでなければいいなと思った青い髪の闘神のいる国の名を聞いて、茉莉はショックを隠せなかった。
「手紙の内容が何の変哲もないものでも、わざわざ手の込んだ方法でやり取りしているからには何らかの理由があると考え、調べた所、換字式暗号で書かれたものと判明しました。
解読文は最後の紙にまとめてあります」
茉莉はまだ目を通していなかったそれを読んで、愕然とした。
「これって、ほんとうなの?」
「それはまだ調査中ですので、まだ何とも申し上げられません。残念ながら『ファーナム』での商人の動きは、なかなか全てを把握できていないのが現状です。
しかし、相手が誰であろうと、甥がこの文章を書いて送ったのは明白ですので、本日、女王陛下に報告に上がったのです」
「御苦労でした。今後も貴方にこの件をまかせます。
しかし、この事は、決定的な証拠でもない限り、誰にも気付かれないように慎重に」
クリスティーナは憲兵隊長に命じると、解読文を茉莉から受け取り、沈痛な面持ちで読みなおしはじめた。
「マリ様はこれ、どう思われますか?」
言葉もない茉莉に、解読文から目をはなさず聞いてくる。
「私は信じられないよ…」
無敵の闘神は、弱々しく答えた。




