ファーナムとアスラン
闘神としてこちらに呼ばれた茉莉は、イェシカの美しい秋を越え、雪振る冬を向かえ、新年をくぐり、全土をめぐり、遂にパワースポットを全て開通させた。
父亮よりは遅めだったが、優秀なナビゲーターを連れて丁寧に、国内を見て回ったので、仕事としてはこちらが上と思うことにした。
最近では、イェシカの歴史や、民俗学、世界情勢などを専門の先生に師事して、こちらの世界について造詣を深めている。国内放浪に比べて刺激が少ないので、少々退屈だが、常にクリスティーナの側にいられるので特に不満ではない。第一、国内であれば、好きなときに好きな場所に行けるのだ。先日も最初に訪れた時には買えなかったクラエスのハチミツケーキをリリーと買いに出かけたり、冠雪した山の景色をクリスティーナと見に行ったりした。イェシカが平和であれば、闘神の仕事は外国に対しての抑止力のみ、つまり居るだけでいいのだ。
茉莉の社会の先生ともいえる闘神神殿の神官長も、ここ最近イェシカと外国の状態は安定しており、そうそう茉莉の活躍はないと太鼓判を押してくれていた。
ただ、気になる事に、茉莉と非公式ながら手合わせをしてくれた闘神ヴォルフラムの護るファーナムと、イェシカも隣国となるアスランとの関係が緊張状態にあるらしい。心情的には知り合いのいるファーナムに味方してしまう茉莉だったが、闘神が他国の戦争にどちらかを助勢する形で参戦する事は許されないそうで、もしイェシカがファーナムを援護したいなら、派兵するか、経済的援助をする他無い。
今茉莉は、そんな事を学んでいた。
「もしもファーナムとアスランが戦争になったら、うちもあぶないんじゃないの?この辺りを増兵しておいたりしないの?」
地図上で説明を受けていた茉莉は神官長のマウリッツに、アスランからイェシカへ容易に大軍が入ってこられそうな山道を指し示しながら質問した。
「イェシカはアスランとはフェーナムよりも友好的な関係にあるので、そちらの道は心配ないでしょう、逆に…」
そう言いながら、マウリッツはイェシカとファーナムの国境がある平野をつつき、
「ファーナムがここから我が国に攻め入る事の方が、可能性が高いと思います」
「んー?そうかなぁ?国境近くではそんな雰囲気なかったけど」
「ええ、もちろん現在はファーナムも友好国の1つと数えているので、今すぐどうこうとは思っておりません。
しかし、アスランに攻め入られるよりも、こちらの可能性の方が高いでしょう」
そう言われても、あの人のよさそうな闘神がこちらに攻めてくるとはとても思えない茉莉だった。
「過去、我が国はファーナムと何度も戦争状態になった事があるのです。
ファーナムは150年前には今とは別の王族の治める、違う名前の国でした。その国の王が無謀な領土拡大をしました。
その時イェシカも随分領土を削られたのです」
そう言って水筆で地図上のイェシカの北東の海岸から内陸を分ける線を引いた。
「我が国はその王が死ぬまでの30年間、北との交易の中心だった港を失い、国民は国境で無理やり肉親と隔てられました」
茉莉も線の外側に位置する港を訪れた事があった。活気があり、ファーナムの人も多く見受けられ、そんな歴史があったとは夢にも思わなかった。
「しかし、わが国の他にもあまりにも多くの国から領土を奪う行為が、天に背いたと判断されたのでしょう、その王の死後、その国は闘神を呼べませんでした。
その混乱の最中、我が国は領土を回復しました。そして多少ここが外聞が悪いのですが、ちょっとばかり多めに返してもらったわけです」
そう言って豊かな田園が広がっていた平野の辺りを水筆で塗りつぶす。
「…やっちゃったねーイェシカ」
「えほん、まぁ、相手の国はほぼ解体されまして、今のアスラン位の大きさで、亡国の民が集まった小国としてファーナムは誕生したわけです。
そして、少しづつ、少しづつ、前王国の時代に領地であった場所を奪還して、今の大きさにまでなったのです」
「でも、この平野、まだイェシカのだよね?」
「ですね」
「ああ、それでこれ取り返しにお父さんの代に戦争しに来たの?そんな昔の事で?」
「アキラ様の代だけではないですよ、この120年、何度も何度も攻めて来ました」
「でも、今の王様になってからはないんだよね?」
「ありません。国王のジークフリート様はファーナム始まって以来の穏やかな気質の方です。
しかし、今お話した経緯がございますので、我々はファーナムには完全に気を許せないのです」
「じゃあなんでそんな穏やかな王様の国と、うちと仲のいいアスランが険悪なの?」
マウリッツは頷くと、ファーナムの国内に線を引いた。
「イェシカとは逆に、アスランはファーナム前王時代に多めに国土を奪還されたのです。本来ならアスランはもう少し大きな国でした」
「それにしたって、何で今?」
その質問には、言葉を選びながらマウリッツは茉莉に説明した。
「どうもアスランの国王、エミール様の体調が芳しくないようで…
エミール様は本来、好戦的なご性格ではないのですが、
陛下のご健在な今の内に領土を回復したいと国民が考えているのではないでしょうか?」
茉莉はとたんに自分の身に置き換えて想像してしまい、胸の痛みを覚えた。
「そっか、それで戦争とか、納得はできないけど、理解はできた…」
「アスランは我が国と領土のやり取りは一度もないので、このイザコザに我が国が巻き込まれる事はない思われます」
「なるほどねー」
水が乾いて今書いてもらった過去の国境線はもうすぐ消えそうだった。
そんな風には人の心から過去の遺恨は消えはしない。それが現在の人々を新たに苦しめる事になるとは、なんとも遣る瀬無い気持ちになる茉莉だった。
マウリッツの授業を終え、クリスティーナとの夕餉の席でその話題を振ると、とっくの昔に事情を把握しているクリスティーナは憂い顔になった。
「エミール様がお元気でしたら、マリ様の初戦は、アスランの闘神パーシヴァル様でしたでしょう」
それ程両国の関係は深いという事だろう。
「50年も先輩かーすごいね、まあ歳はとらないから見た目は若いんだろうけど」
「マリ様はオニギリの君の方がお気に入りのようですが、パーシヴァル様も素敵な方ですよ」
オニギリの君とは茉莉とクリスティーナの間で決めたヴォルフラムの呼び名だ。
「オニギリの君より!?」
「まあ、好みにもよるかも知れませんが、目元涼やかな美男子です」
「おおおー!闘神って男前ばっかりなの?いや、そうでもないか、お父さんも闘神だったんだから」
「あら、マリ様!アキラ様は近隣随一の美少年闘神としてその名を知られていたんですよ?」
胡乱な顔で見つめ返す茉莉にクリスティーナはにっこり笑うと誇らしげに付け加えた。
「それにマリ様は世界一の美少女闘神様ですし!」
確かに、世界にただ1人の女性闘神だから、言っちゃえばなんでも世界一になれる茉莉だが、クリスティーナはそんな事を言っているのではないのである。真剣に『うちの闘神世界一!』と思って憚らないのだ。その一貫した姿勢に、茉莉は多少照れがあるものの、概ねおおらかに受け止める事にしていた。何故なら茉莉は茉莉で、『私の女王様世界一!』と常日頃から思っているのだから。
ちょっと暗い気持ちで始まった会話も、呆れるようなデレっぷりで終了するイェシカの闘神と女王は、まだまだ平和の帳の内にあった。
作者転勤の為、更新間隔が長くなっております。
5月半ば位までこの状態が続くと予想されます。気長にお待ちいただければと思います(-人-;)(;-人-)




