天空の花園にて
トーケル・ブロムクヴィストの死から10日あまり、結局その死は自殺と公表され、闘神祭の城内での出来事を知る者に衝撃を与えたが、民衆の生活には何の影響もなかった。
茉莉もクリスティーナから詳しく話を聞いて、すっきりしない気持ちになりはしたが、憲兵隊長に一任する事で、クリスティーナと合意をした。
パワースポット開通に専念する事が今の茉莉の一番の仕事なのだ。
順調に飛んだり、走ったりしながら国境を進む茉莉とリリーは、最近は北の山脈を攻めていた。初夏を迎えようとするこの季節に冠雪する程の高さではないが、リリーが若干息苦しいと訴えるので、峰々はなかなかの高度にあるのだろう。
この世界の測量技術がどの位の水準なのかは謎だが、峰の山頂で国境となっている所もあり、ここの所絶景三昧の日々が続いていた。
「うーん、携帯持ってたら、撮りまくるんだけどなー」
今日は高山の花園を発見し、白とピンク、そして薄紫の小さな花で埋め尽くされた世界に、リリーとひとしきりはしゃいだ後、そこでお昼をとっていた。
「携帯って何ですか?」
そう聞かれても上手く説明できなくて茉莉はうなってしまった。
「この位の大きさで」
両手の親指と人差し指で長方形を作る。
「主な利用方法は、遠くの人とそれでお話しする事で」
耳に携帯をあてるしぐさをしてみせる。
「でも、こうゆう綺麗な景色とか、残しておきたい出来事を記録できたりー欲しい情報とかが探せたり…えとそんな感じ?」
だんだん説明が怪しくなり、最後には疑問系で終わる自信の欠片もない説明だったが、リリーはそれが茉莉の世界の便利道具である事位は理解した。伊達に魔法工業製品の老舗、妖精の国出身ではない。
「マリ様の国の製品は随分多機能なのですね」
なんとなく伝わった事に安心した茉莉は、うんうんと頷くと、久しぶりに元いた世界の事に思いを馳せていた。
「複雑になりすぎで、おじいちゃんとかが使いこなせないってよく言ってたな」
今頃茉莉が行方不明になって、母と祖母は慌てているだろう、帰った時に何と言い訳するべきか悩む所だ。
でも、父と祖父がフォローしてくれるだろうとも予想する。それ以上あちらに帰ってからの事を考えるのはなんとなく嫌で、いつもそこで茉莉の生まれてきた世界への思いは停止する。
『だって私があっちに帰るときは、クリスティーナが…』
それを思うと胸が苦しくなる茉莉だった。
「…マリ様、マリ様!」
物思いに耽るマリをリリーの慌てた声が現実に引き戻した。
「あちら、山頂付近に誰かいます!」
「え??でもここって…」
険しい断崖にへばりつくように奇跡的な造形で窪地があり、そこに今いる花園はある。
リリーの指差す山頂とは、そこを垂直に見上げるような場所にある。茉莉にしても、あまりに険しいので、常時飛んで移動していた。
相当なアルピニストでもない限りあそこにたどり着くのは無理だろう。
ともかく、リリーの指差す先を確認した茉莉は、確かにそこに人影を発見した。
「男…」
照準を合わせると、ぐんと引き寄せるように男への倍率を上げる。
リリーの目には男女の判別さえつきかねたが、茉莉はやはりすごいと感心する。
「男前…」
「はぁ…」
ありえない場所で人を発見したというのにそんな感想かいと、リリーの力が抜ける。おそらく尋常でない人物に違いないというのに、やはり闘神ともなると危機感が常人とは違ってくるだろうかと思いながら、茉莉と視線を沿わせる。
「わう、カッコイイのに~なんかすごい髪の色してる!ねえ、こっちって青色の髪の人っているの?」
「青い、髪?そんな髪色の人間の民族はいません。妖精にはいますが」
「うん?じゃあ染めてるのかな?水色と青の中間みたいな鮮やかな色。丁度今の空の色みたいな…」
空色、空色?その言葉に反応して、リリーの中で警鐘が鳴り響く。
「あ、こっち見て笑った。や、どうしよう、ステキ!」
といいつつ茉莉はちょっと胸の前で小さく手を振ったりしている。
リリーの何かが、そんな事している場合ではないと激しく警告している。リリーには茉莉の親指程にしか見えない相手がこちらを見て笑っているのだとしたら、茉莉と同じようにこちらが見えているという事ではないのか?
「あ、手招きしてる。どうしよっ行っちゃう?行っちゃう?」
今にも相手に向かって飛んでいきそうな茉莉の袖口を小さな手でガッシと掴むと、リリーはやっと思い出した事実を告げて茉莉の動きを止めた。
「待ってください、あの人はきっとそこの国境を越えた国の闘神様ですよっ」
「ええええー!」
「空色の髪はこの世であの方だけと言われてますし、こんな高地にしかもこの絶壁の上にいるって事は、
ファーナム国のええと、バ?ボ?ブ?ボオ?ヴォルなんとか様です!」
リリーは咄嗟には名前までは思い出す事ができなかったが、相手が闘神だと確信していた。
「はーそうだよねえ。あんなところ普通の人は登らないもんねえ。もしかしてあそこ、もう隣の国?」
「どうでしょう?山の上に来ると人の行き来もないので、線引きは曖昧です、どちらでもあり、どちらでもないといった所です」
「そっか、じゃあまあ、悪い人ではなさそうだし、行くより呼んじゃえ」
そういうと、茉莉はこちらから手招きし返し、大声で叫んだ。
「ヴォルナントカさ~ん!お昼ご一緒しませんか~っ!」
「ああっマリ様!『なんとか』の部分は名前じゃありません~!」
茉莉は外国人の名前なんてそんなもんだろうと『ヴォルなんとか』を正式名称だと思い込んでいたのだった。




