午後の想い
茉莉が店から出て行った後も、シンシア・リンドは店内に留まった。黒いローブはともかく、長い杖は魔法使いの印のようなものなので、人からは見えないように魔法をかける。客が一回転もすれば誰も彼女を気にしなくなるだろう。
先程茉莉に言ったように、長旅を予定していたので、気負いと、使命感がないまぜになった重い荷物の半分ほどを早速降ろす事になり、早い話が少し気が抜けてしまっていた。本来なら、もっと内部の町まで徒歩で行き、そここから辻馬車に乗って王都へ向かい、信用できるツテから、内密に女王に謁見させてもらえるよう手配するはずだった。とにかく痕跡を残すなとの事だったが、闘神に頼んでしまえば、少々『コベットの魔法使いを国境沿いで見た』と噂が立ったところで、女王と、自分を結びつけて考える者はいないだろう。
それよりも、と思う。女王の結婚の話を聞いたときの、慌てた様子の茉莉を思い出すにつけ、どこの国の闘神と王も、同じなのには驚く。彼女の国の王は今年で在位5年目に入る。彼が齢20の時に闘神を得て以来、つぶさに闘神と王の様子を見てきたが、あの関係はなんなのだろうと、胸が痛む事がしばしばだ。
シンシア・リンドはコベットの貴族の子女として生まれながら、生まれつきの異様な容姿故に、ずっと隠すように育てられていた。
5歳の頃、魔法の才能を見出され、それからは国の管理の下育てられてきた。10歳になる頃には一人前の魔法使いとして、王城で内々の仕事を任されるようにまでなっていた。
元々が貴族出身であることと、能力の高さから、王族の人々に重宝され、まだ王子だったダリウス現国王とも親しくしてきた。彼は好奇心旺盛で、シンシア・リンドの魔法力にも、その容姿にも、好意的に興味を示してくれた。
ダリウスの王族とは思えない程気さくな人柄と人間的魅力に、魔法使いとしても、1人の娘としても、特異である事から、自然孤独な存在だった彼女は、叶わぬ想いを抱いていたが、もちろんそれを周囲や本人に気取られないようにしてきた。だからこそ、今回のような任務を与えられるわけだが、時々たまらなく想いが募り、心が乱れる。ダリウスと闘神の間に入れないのは重々承知だが、彼の妻になる人を想像すると、哀れなような、やはり妬ましいような気持ちになる。
春の、のどかな川面を見ながら、それに似合わない内心のシンシア・リンドは、物思いを断ち切るべく、店内に意識を戻した。お茶のお代わりでももらおうと、店員を探すと、テラスに人を案内して行くところだった。
その様子を漫然と見ていると、ある事に思い至った。イェシカの闘神は連れの妖精をテラスから呼び寄せた。元の席は外だったという事だろう。では、どうして室内に席を移したのか?燦燦と光の降り注ぐテラスを見ながら、ああ、この国の闘神もかと思う。黒いローブから出た自分の異様に白い手指。恐らく、この肌が日光に強くない事をあのイェシカの闘神は慮ってくれたという事だろう。
コベットの闘神も、夏の日差しからその長身で自分を守ってくれた事があったのを思い出す。闘神本人はどういうつもりかは知らないが、恋敵に酷似した存在から受ける数々の情けに、シンシア・リンドはいつも内心は複雑だった。彼も茉莉も、その内面に触れると、人としての好ましさを感じずにはいられない。彼等は、愛するように、愛されるように生まれついているとでも言うのだろうか?
「私もあんな風に生まれてみたかったよ」
思わず声に出してしまっていた。テラスから戻ってきた店員が、呟きを聞いて「何か御用ですか?」と愛想よくたずねてくる。
丁度いいので、シンシア・リンドはお茶のお代わりと、宿の手配を頼む事にした。
シンシア・リンドがお茶のお代わりを受け取った頃、イェシカの女王クリスティーナは政務が早めに終了したので、散歩がてら奥庭の東屋に向かっていた。
そこで本でも読んで茉莉の帰りを待つつもりだ。
美しく植えられた花々が、高低をつけた見事な配置で、東屋までの道を彩っている。
その花々の上を、可愛らしい蜜蜂が罪のない羽音を響かせ飛び交っているのを見て、先日茉莉とリリーが自分の部屋に来たときの事を思い出していた。あの夜は結局、茉莉とリリーは彼女の部屋で夜を明かしたのだ。
夜があんなに愉快だった事が今まであっただろうか?どこか堅苦しい貴族の子女同士の付き合いとは全く違う経験に、思い出しては微笑がもれる。
リリーが灯明妖精の職務のために朝出て行った後、
「これは、クリスティーナにお土産」
そう言って、茉莉から渡された蜜蜂のエッチングが施された、可愛らしい銅製の栞は今、胸に抱える本に挟まっている。白い紙からはみ出したそれに触れると、心がほっこりとする。
通常の王位継承を経なかった激動の2ヵ月の間、クリスティーナはこんな風に、心からの優しい喜びに満たされる日が来るとは思ってもいなかった。父から教わっていたとはいえ、王と闘神の心の結びつきがこんなにも深いものだったとは…。もはや茉莉のいない生活は考えられない程だ。
王は、生涯闘神と共にある。この当然の約束が、どれほど素晴らしい事か、おそらく王になった者にしか分からないだろう。
人は1人で生まれ、1人で死ぬが、自分は違う。最後の道行きはきっと茉莉と一緒なのだ。そう思うと、最後の一息まで心穏やかでいられると思う。きっと父王もそうだったのだろう。
そこまで考えて、ふとクリスティーナは、まだ開いてはいけない扉に手をかけそうになった。
父王は、アキラをどんな風に思っていたのか?もちろん、信頼できる友人のように接していたのは知っているが、女王として闘神を得た今、とても、とっても気になるが、考えてはいけない事のような気もするのだ。
『もしかして、お父様は、アキラ様に笑いかけられた時、私と同じようなお気持ちだったの!?いやいやいやいや、ちょっと待って、私の気持ちってどうでしたかしら?あの、その、こう、お腹の底から温かくなるような、泣きたいような、愛しいような…ああ!ダメダメ!これ以上はまだ考えないでおきましょう!』
と、危険を感じ、その心の扉から慌てて離れた。
複雑怪奇な物思いから醒めた頃、東屋の黒い屋根が見えてきた。
気候は穏やか、花々は美しく咲き乱れるこの庭で、読書をしつつ大切な人の帰りを待つ至福の時が、当の闘神によって、かき乱される事になるとは知らず、クリスティーナは穏やかな午後を満喫していた。




