秘密の手紙
シンシア・リンドと名乗る少女を連れて食堂に戻ると、フードを目深に被って長い杖を持った彼女は、客や店員の注目の的になってしまった。
よっぽどフードを取れと言いたかったが、少女の浮世離れした容姿を思い出して、どっちにしろ注目を浴びるのならば、本人の好きにさせる事にした。
店員にお願いして、室内に席を作ってもらう。そこに少女を座らせると、テラスのリリーを迎えに出た。
「マリ様何事だったんです?」
何の説明もしていなかったので、当然事情を聞いてくるリリーに、
「ちょっとややこしい事になっちゃった。不法入国者を捕まえたんだけど、その子が自称魔法使いなんだよね。
今から、理由を聞くんだけど、リリーちゃんの常識力を貸してね」
と、説明もそこそこに、シンシア・リンドの座る席へ連れて行く。
「お待たせ、それではお話を聞きましょうか。あ、この妖精さんは私の友達だから気にしないでね」
「…妖精のお友達とは珍しいな。まあ、お前の存在よりは稀有でもないが」
フードの下から、リリーの姿を確認すると、意味深な発言をするシンシアに茉莉は、自分の正体を知っているのかと思い、ドキリとした。
「私は今まで、魔法で人に劣った事はなかった。特に一人前の魔法使いになってからは初めてだ。お前本当に何者なんだ?」
「さーねっ、それよりも、私に何かいいわけするんじゃなかったの?」
どうやら、自分の気のせいだったかと、ホッとした茉莉は、わざと横柄に聞き返した。
別段、身分を隠す必要もないのだが、普通の旅人を装っている時に、『私闘神です』とふれて回るのもおかしな話だし、一般人と闘神として触れ合った事のない茉莉は、どんな態度でいれば正解なのか、見当もつかないので、できれば身分詐称を貫きたいと思っているのだ。
「お前は、正義感から私の不法入国が許せない。そうだな?」
「んーまあ、そうなるのかな?怪しい人をこの国に入れたくなかっただけだけど」
「確かに魔法で不法入国すれば怪しいな」
「いや、魔法ででも、何でもだめでしょう!それに別に魔法使ってる所見てないし…」
この自称魔法使いには、困ったなーとリリーをうかがうと、物怖じしないタイプの妖精が、自分の肩に身を寄せて大人しくしているので、どうしたのかと思っていると、
「もしかして、先程見えるとおっしゃていた、『魔法使いのような人』とはこの方ですか?」
と不安そうに聞いてくる。
「そうそう、リリーちゃんは見てないって言ってたけど…」
「本当に見えてなかったのだと思いますよ。この方は相当な魔法の使い手のようです。
推察するに、『姿隠しの魔法』で入国されたのですね。有名ですが、とても難しい魔法のひとつです」
怪しい少女の言う事など、信じない茉莉も、リリーの言葉には全幅の信頼を寄せる。
「ほえー、じゃあ、あの時、皆にはあんたが見えてなかったの?」
「さっきから、そう言っているだろう!だからあの時、国境を越えられたんだ」
妖精の言うことなら、一発で納得する茉莉にシンシアは若干切れ気味に答える。
「あー、それって、ああそうか、見えちゃったのか。なかなかすごいね私」
「すごいです!さすがです!」
うんうんと、頷きあう1人と1妖精の変な会話に、シンシアは茉莉の正体を知る手がかりを得ようとしたが、果たせず、降参した。
「そうだよ。お前はすごいんだよ。言っておくが、私はさっき、お前に死に物狂いで抵抗したんだ。
でも、お前ときたら、私の攻撃魔法を全く受け付けないし、逃げる隙もくれない。
死を覚悟したし、今もお前に勝てる気がまったくしない。
せもてもの救いは、お前が案外話がわかる奴のようだという事だな」
「じゃあ、さっさと言っちゃいなさい。不法入国しても、許されるような理由が、あるのならね」
シンシアはそう促されると、姿勢を正してフードの下から紅い瞳で茉莉を見つめた。
「隠密にと依頼を受けて密書を運んでいる。これにはちゃんとした理由があるし、謀略の類を画策するものでもない。今この身を調べられて、事が公になれば、私も私の依頼主も面子まるつぶれだ。この秘密を話す前に、どうか私にお前を信じる縁をくれないか?」
「よすがって、どうゆう意味?」
言葉が難しすぎて、リリーにこっそり聞くが、目の前なのでバレバレだ。
「手がかりですよ。この場合、こちらにもそれなりの誠意が欲しいという事ですね」
「えー、この人が悪いのに?」
口では文句を言いつつも、シンシアの瞳は、不吉な色に反して、誠実な光を湛えているように見える。
もっと単純な話だと思っていた茉莉は、困った事になったもんだと思いつつも、ここで投げ出すわけにもいかないので、相手の望みを叶える事にした。
「私は正当な理由があるなら、ちゃんと入国するべきだと思うよ。それができないのは、後ろ暗い所がある証拠だよね。
でも、そうだなー、例え、その密書が私の基準で持ち込み禁止と思えるものでも、お役人さんに引き渡す前に燃やすなり、読めないように裁断するなりしてあげるよ。約束する」
茉莉がそう言うと、シンシアの肩から、目に見えて力が抜けるのが分かった。
「ありがとう…ところで名前位は教えてくれないか。偽名でもいいんだ、礼を言うのに不便だ」
リリーと顔をつき合わせて確認を取る。どうやら、妖精さん的にもOKのようだ。
「私の名前は茉莉だよ」
「ありがとう。マリ………ってええっ?マリ?」
シンシアが整いすぎたその白い顔に似合わない、ぽかんとした顔を見せたので、適当な偽名でも言っておいた方がよかったかもと思った。外国人ながら、茉莉の名前だけで、その正体に思い至ったらしい。
「そうか、そういう事か、そうだよな、私がその辺の小娘に負けるわけがない…ふふ、ふはは、あははは!」
十分自分も小娘な年齢に見えるシンシアは、ぶつぶつと呟いていたかと思うと、心底可笑しそうに、高笑いを始めた。
「ちょっ、皆見てるから、隠密行動中じゃなかったの?」
「ふふ、うはは、この密書か?」
茉莉に注意されても、気にしない風のシンシアは、笑いながら、細長い箱に入った、密書らしきものを堂々と、テーブルの上に置いた。
「あの、これ、大事な物じゃないの?」
呆れた顔をした茉莉を見て、シンシアはやっと笑いをおさめると、人形のように美しい顔を茉莉に近づけてきた。瞳の虹彩まで見て取れる距離に戸惑うが、シンシアが小さな声で話し始めたので、これが密談の距離だと気付いた。
「大事な物だとも!この密書は、コベットの国王から、イェシカの女王に宛てたものだ。
つまり、私の仕事はここで半分終わりだ。こそこそ私が運ばなくとも、マリ様にお願いすればいいのだからな」
「クリスティーナに!?なんで王様が密書よ」
「もちろん記録に残したくない手紙だからだ。お互い、忌憚のない意見を交換したい、そこに国の利害を挟みたくないという国王のご意向だ」
間近で見るシンシアの瞳は、ルビーのような輝きを放っている。だがその光の後ろにある影に、茉莉は気付けないでいた。
「国王と、クリスティーナ様は、イェシカ国王崩御前に、内々で婚約の約束をされていたのだ。何事もなければ、来年には御成婚されるずだった。」
つまり、クリスティーナが女王にならなければという事だろう。
クリスティーナと結婚という言葉に、軽く拒否反応が出た茉莉は混乱した。
「け、結婚…クリスティーナが?」
クリスティーの笑顔を見た時とは、違う意味で力が抜けそうになる。
「マリ様、女王は王様と結婚できませんから、きっとお断りになったはずですよ」
リリーは動揺する茉莉に落ち着いて、とフォローを入れる。
「そうそう、不可抗力で破談になったんだ。両国、なんの遺恨もない。」
「じゃ、なんで、今頃秘密のお手紙?」
くってかかる茉莉に、シンシアは諭すように言う。
「闘神を得た女王となら、今まで不可能だった事も出来るのでは、とお考えなのだろう」
茉莉にはなんの事かさっぱり伝わってくるものがなかったが、シンシアはかまわないようだった。
「この密書は、マリ様に託す。女王から返事をいただいて来て欲しい」
「…すぐに?」
「…ここで宿を取る。できるだけ早くでいい。私は長旅の予定だったしな。
不法入国だが、アルモナエの町にも入る気はない。いいだろう?」
不法入国のことなど、とうに記憶の彼方だったが、シンシアらしからぬ、おどけた言い草に、少し硬くなっていた茉莉の気持ちも幾分やわらいだ。
「シンシア、一緒に来る?」
なんとなく、その内容が気になるだけに、自分でクリスティーナに渡すのは抵抗があるので、いっそシンシアごと、手紙を運ぶのがいいように思える。
「有難い申し出だが、闘神に伴われて入城したり、謁見するような華々しい行動は御免だ。私の存在が記録に残るのは困るからな」
「むう~仕方ない。承りましたっ」
不法入国者をひっ捕らえたつもりが、その片棒を担ぐことになった茉莉は、とても微妙な気持ちで帰宅する事となった。




