お小遣い
アマダラ村のパワースポットは、王城奥庭の東屋よりも、更に簡素な造りになっている。
西に二階建ての兵舎をなんとか見下ろせる程度の小山の頂上に、人の両の手ほどの大きさの石で丸く囲ってあるだけで、魔法陣もなにもない。兵舎に駐留する小隊の兵士さえ、茉莉が利用するまで、この小山が何なのか知らない者が殆どだった。
そんな小山に、昨日兵舎の全員を恐怖のどん底に叩き落した本神が再降臨したのを見て、見張り番に立っていた兵士は、隊長の下へ駆けつけた。
「隊長、仰った通り闘神様が現れました!」
「そうか、やっぱりここからまた次の場所を目指されるわけだな…」
「今、副隊長が全員召集しておられると思います。闘神様に、ご挨拶に行きますか?」
闘神といえば、2月前までは、この国で最も強い漢の代名詞だったのだ。類に漏れず、先代アキラの活躍を目前で見る機会のあった隊長は、闘神を崇拝していた。
昨日は可愛らしい異国の少女が突然兵舎を急襲し、自分は闘神ですけれども…と説教を始めたのに驚いて、随分と失礼な態度をとったのだった。
可哀想に隊長は、夜中に布団の中で闘神とのやり取りを思い出して、恥ずかしさと不甲斐なさに七転八倒した。この男、根は単純でおおらかな性格なのだが、大雑把な管理が災いして、闘神を怒らせる事態になったのだ。
なんとか心証を回復しておきたいのは人情だ。隊長は、さすがにパワースポットの存在を知っていたし、各地のそれを闘神が巡るのも承知していた。そんなわけで、今日再び現れるはずの茉莉を待っていたのだ。
「そうだな、お時間もあまりないだろう。さっさと行くぞ」
昨日は軍服もゆるい感じで着ていたが、今日は彼なりにビシっと着こなし、朝方から茉莉を待っていたのだった。
連れだって部屋を出ようとする2人に、戸口で副隊長がぶつかってきた。
なにやら慌てた様子に、隊長は不安になった。
「なんだお前、こっちに戻る暇があったら、兵舎の前に全員整列させとけよ」
しかし、文句は副隊長に止められた。
「隊長!闘神様がまた兵舎に向かってきてます」
もしかして、昨日の説教では腹の虫が治まらなかったとでも言うのだろうか。
隊長は部下の前なのに、うっかり青ざめてしまった。
そうこうするうちに、闘神は兵舎に到達したらしく、隊長・副隊長共にいないので、どうしていいかわからず、
「お、おつとめご苦労様です!」
などと、ム所帰りのヤクザのように闘神を迎えた。
『なんだろう、この三代目姐的なお迎えのされ方』
やはり、茉莉もそんな風に感じていた。
しかし、昨日とは打って変わった態度に、変に意固地にならず、さっくり反省したらしい、素直なおじちゃん達の人柄に茉莉は好感を持った。それに、今日の茉莉はちょっと立場が弱かった。
「あ、隊長さん、おはようございます」
隊長、副隊長、見張りの3人が、寄り添うように立っているのを見つけた茉莉は、営業スマイルを浮かべた。
闘神に笑顔を向けられた隊長は、どうやら、説教の続きを聞かされるわけではなさそうなので、胸を撫で下ろしたが…。
「お、おはようございます。こちらに何かまだ御用ですか?」
「はいっ今日は、皆さんに、ご家族からのお手紙や、お届け物を預かってきたので…」
それを聞いたアマダラ兵舎の面々は『闘神様もしかして、もう家族を探し当てて、叱咤の手紙を書かせたのか!?』と思い、あまりの早業に驚愕し、約束と違う無慈悲な行いに震え上がった。
「隊長さんには、娘さんからお手紙がありますよ」
そう言うと、背負っていた大きな麻袋から、可愛らしい白い封筒を取り出して、直々に隊長に手渡した。
娘に嫌われたくないお父さんは、そこでちょっと泣きそうに、いや、ほとんど泣いていた。闘神様からダメなパパの事を聞かされた娘の落胆を思うと、膝から力が抜けそうになる。
「かわいい字だけど、一生懸命、宛名が書いてありますよ。お父さんが大好きなんですね!」
闘神の追い討ちに、部下一同が同情の目を向けた。
「随分前にテューネには届いてたんだけど、最近いろいろあって、各隊にお届け物が遅れがちだったそうなので、私が代行しました。これに受け取りのサイン下さい」
「へ、あ、はいはい」
求められるままにサインしながらも、『随分前に届いていた』の部分が隊長の頭の中で祝福のベルと共に鳴り響いていた。麻袋の中身は普通の手紙と荷物なのだ!
「と、闘神様にこんな事をさせるなんて…」
サインをニコニコ見ている茉莉の姿に、ちょっと冷静になった隊長は新たな冷や汗をかいていた。
「いいの、いいの!だってこれアルバイトだもん。
労力あんまりかかってないから、いつもの半額でイイデスヨ隊長サン!」
そう言って両手をもみもみする茉莉。
「へ?」
「こういう小荷物って、輸送費は着払いなんですよね?お城の人が、隊長さんがお金くれるって…」
イェシカでは、一般貨物運搬は、民間の仕事だ。だが昔、輸送費だけをガメた不届き者が大勢いたそうで、現在軍は、荷物を届けるまで料金を払わないシステムをとっている。
「も、もちろんです。対価は支払います!」
隊長から正規の料金をもらった茉莉は、きちんと半分を返して、
「またのご利用お待ちしております!」
と、爽やかな笑顔を残して、クラエスへと旅立った。
後には、呆然と佇むアマダラ兵舎の面々が残された。
「またのご利用って、また、来るおつもりかな…」
隊長の呟きに、誰も何も言えなかった。
「マリ様、まさかこんな方法でお金を工面されるとは…」
胸ポケットのリリーは呆れていた。
昨晩の買い物会議で、驚愕の一文無しが発覚した茉莉。『ここは私のおごりで!』と申し出たリリーに、お買い物は自分のお金でしないとつまらない!と言って、なんとか工面するからと、部屋から送りだされたので、てっきり女王様にお小遣いをもらうのだと思っていたのだ。
「クリスティーナにアルバイト紹介してもらったの!」
「…闘神様に小遣い稼ぎさせるなんて…嘆かわしいです。店の者も身分を明かせば、決してお金を受け取らないでしょう」
それでも、経済観念の発達した妖精国出身のリリーは、茉莉の心情は分からないでもなかった。
売っているものをタダでもらうのは、そこに何の労力もなかった場合、単純に得をした感覚にはならないのだ。
「うん。クリスティーナにもそう言われたけど、なんていうのかなあ、それって買い物じゃないよね?」
気持ちはわかるものの、なにやらモヤモヤとしてしまうリリーだった。
「このスタンプラリーの途中で、兵舎に近い所とか、僻地とか、まだまだあるらしいから、稼ぐぞー!」
「はぁ…。わかりました。私はせめて、そのお小遣いをマリ様が楽しく使えそうな場所をお教えしますね」
渋い顔をしながらも、頷くリリーに、今朝方の女王の顔がダブる。
「マリ様がそれで気兼ねなくお使いになられるというなら、正当なお駄賃の出るお仕事を紹介します。
でも、この国が購いきれない責任をマリ様に負わせている事をお忘れにならないで下さいね。
いつでも、私達に出来る事は、マリ様にして差し上げたいと思っているのですよ」
そう言って、茉莉に持たせようとした、重たい金貨の袋をやっと下げてくれたのだ。
腰のポーチでチャリチャリと軽やかな音を立てる小銭に、気分が浮き立つのを感じる。そして、闘神なんてものになってしまった自分が、普通の人としての感覚に、ちょっと飢えていた事を感じたのだった。




