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雨はまだ止まない  作者: 水沢ながる
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1. 雨は降り始める

 重く垂れ込めた雲から、ついにポツポツと雨が落ちて来た。そう言えば、今日の天気予報では時々にわか雨が降ると言っていた。

 折り畳み傘を持って来るんだったな、と貴和は思った。何だか、じっとりとした空気が服を伝わってまとわりついているような気がする。首元が不快だった。

 それでも、急いで行かなければならない。何しろ最後の別れだから。

 自分が好きだった、彼女との。


 アパートの一室のチャイムを押すと、思いがけず眼鏡をかけた若い男性が出て来た。貴和と同じくらいの年頃の、線の細い印象の男性だった。その男性も、少し驚いたように貴和を迎えた。

「この度はご愁傷様です」

 貴和は深々と頭を下げた。

「妹の……お友達ですか?」

「……友達と言うか……さくらさんとは、良いお付き合いをさせてもらっていました」

 この男性の顔には何となく見覚えがあったが、どこで見たのかはわからなかった。それに、さくらに兄がいたとは貴和は知らなかった。さくらについて、まだ自分の知らないことはたくさんあるのだろう、と貴和は思った。兄は貴和を部屋へ招き入れた。

 すっきりと片付いた部屋だった。彼女が死んでからそう経っていないが、家族が少し片付けたのかも知れない。

 戸棚の上に簡単な祭壇がしつらえてあり、そこに遺影と遺骨が置かれていた。ロウソクと線香に火を付け、しばし手を合わせる。その間に、兄がお茶を淹れてくれていた。

「雨、止みそうにないですね」

 兄が言った。

 確かに、雨はいつの間にか本降りになっていて、しばらくは止みそうになかった。雨は嫌いだ。彼女が死んだのも、こんな雨の夜だった。

「お時間があるようでしたら、雨が止むまでここにいて、雨宿りをしていらっしゃいませんか。──実は、僕も妹のことについては、色々と話をしたいのです」

 身内にそう言われては、貴和も断り切れなかった。それに、貴和自身も恐らく、彼女のことについて誰かと話したかったのかも知れない。貴和は承諾した。


「改めて、兄の良春です」

 兄は頭を下げた。貴和も名乗る。

「都木貴和と申します」

「……もしかして、TAKAさんですか?」

 それは、貴和がSNSで使っているハンドルネームだった。

「はい、そうです」

「SNSでフォローしてくださってましたね。貴和さんは、どちらで妹と知り合ったんですか」

「……最初は、イベントですね」

 少し、言葉を濁した。

「イベント……ああ、これですね」

 良春が出して来たのは、いわゆる同人誌というものだった。人気のアニメ番組の二次創作。しかもBLだ。

「元々原作が好きだったんです。自分はどっちかと言うとBLは苦手なんですが、これは何となく絵柄に惹かれて買いました。読んでみると、絵は綺麗で、ストーリーも原作の要素を上手く取り入れながらオリジナリティがあって。BLだってことが気にならなくなるくらい、どこを取っても素晴らしい作品だったんです。自分も一度、こんな作品を描いてみたいと思える程に」

「そう言って下さると、さくらも喜びますよ」

 良春は少し寂しげに微笑んだ。

 それから貴和は、同人イベントに参加する度に同じ作者の本を探した。奥付に書かれている作者名は「春深さくら」。あまり遠くのイベントには出ていないらしく、さくらの本は近隣のイベントでしか見なかった。

 書店委託などもしていないようで、さくらの本は少部数だけ発行し、その都度売り切っているようだった。

 そんなひっそりとした同人活動ではあったが、ジャンル内ではやはりその実力は噂になっており、BL二次創作にも関わらずさくらの本は男女問わず売れていた。「BLだから」「このジャンルの本だから」ではなく、「春深さくらの本だから」買う者も多かった。

 貴和もその一人だった。さくらが来そうな同人イベントは必ずWebカタログをチェックし、朝から足を運び、列に並んだ。さくらの本は部数が少ないので、うかうかしていたら売り切れてしまう。

 さくらのブースには、大抵若い女性が一人でいた。貴和と同じ年頃の女性で、彼女が多分さくらだろう、と貴和は思った。

 さくらはガーリーな服装を好んでいたらしく、イベントで見る彼女はいつも可愛らしいワンピースやふわりとしたブラウス、ロングスカートを着てストールを巻いていた。多少馴染んでないような時もあったが、そのぎこちなさがまた好ましかった。

 そういう服装ならロングヘアの方が似合うのだろうが、さくらは短めの髪で通していた。それはそれで可愛いと、貴和は思っていた。

 ……いつからだろう。自分が、さくらの作品だけではなく、彼女自身を目で追うようになったのは。

 貴和は考えたが、上手く思い出すことが出来なかった。

 雨はまだ降り続いている。雨音が思考を乱すのかも知れない。

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