第93話 『箱庭の隅で』
戴冠式が終わり、賑やかだった王都も落ち着いてきた頃、長期休暇が明けた。
「え、王妃様が亡くなった……?」
学期始めの授業が終わり生徒会の仕事もほとんどなかった放課後、ディラン様に寮まで送ってもらいながら衝撃の情報に耳を疑った。王妃様の処遇は、新王、ギルヴァルト王の命により塔への幽閉に落ち着いた。めでたい新王の擁立と同時に身内の処刑があるのは縁起が悪いというのと、国王自らが母親を処刑したくないと言ったせいだった。国王の温情と親思いな発言から、王宮内では若くて甘い部分があると揶揄されているが、大部分の貴族や国民からの好感度はかなり上昇している。
新王は情に厚く、民を理解した賢王だともっぱらの噂だ。不正を行い、重い税を取り立てていた貴族や素行の悪い騎士を素早く静粛したことも理由らしい。実際は、王妃様側についていた貴族や騎士の首をことごとくはねた結果であるようだが、詳細は知らない。
「処刑は陛下によって取り消されたのでは?」
「うーん、まぁそうだね。だけどどうやら、塔の中で自害したようなんだ」
「……自害、ですか」
プライドの高い王妃様は、塔の中に幽閉されることが我慢ならなかったのかもしれない。
「全部兄上の掌の上ってわけだよ」
「……? どういうことです?」
「ベルには一生縁がない話だから大丈夫」
にっこりと微笑むディラン様を見れば、これ以上問い詰めることも出来なかった。
「あ、学園に戻ったらベルに渡そうと思っていたんだけど」
ディラン様が言葉を区切って、ポケットから取り出したのは小さなリングだった。思わずドキリと心臓が跳ねる。
「これ、一応ガルヴァーニに狙われたときのための対策なんだけど……ベル?」
「……えっと、それはディラン様の魔法道具ですか?」
「? そうだよ」
どうかした? と首を傾げるディラン様に、私はひっそりと冷や汗をかいた。ディラン様の魔法道具は、その強力すぎる力のせいで使用者にまで被害が及ぶものだ。以前、王宮で使用した時はクラウディア王女の魔法を相殺できる魔法道具があったからなんとか無事だったけれど……。
「あ、ごめん。あんまりデザインには凝ってなくて……気に入らなかった?」
「いえ、そうじゃないんです。……その、ディラン様の魔法道具って、使用者も攻撃したりとか……」
ちらりとディラン様を窺いながらそう尋ねるとキョトンとした顔をされた。
「そんなわけない! ベルに危害を加えるような相手に発動するだけだよ? 俺が使っても何ともなかったし」
それは、ディラン様が魔力で守られているからだ。自分の魔法道具から攻撃されたって、全くダメージを受けないだろう。だけど、私は普通の人間で、魔力なんてない。王太子みたいに自分の魔法でディラン様の攻撃を受け止めることなんてできない。
クラウディア王女の魔法道具が無い今、無闇にディラン様の魔法道具が発動すれば私自身も怪我を負う。そうなれば一番傷付くのはディラン様自身だ。守ろうとした対象が、自分のせいで傷を負ったとなれば、酷い罪悪感を感じてしまう。
それに、ディラン様は自分の魔力が恐れられることを嫌っているようだし……。
「あの……」
ディラン様の魔法道具は危険なので受け取れません、そうはっきり言おうと思って、顔を上げた。しかし、続く言葉は喉に詰まって出てこない。
不思議そうに首を傾げたまま、私を見ているディラン様はいつもよりずっと幼く見えた。
他の人に向ける視線よりも、ずっと甘さを含んだ瞳に、体が固まる。
言えない。
私を守ろうとしている彼に、そんなこと言えない。
「……ありがとうございます。嬉しいです」
しっかり伝えなければならないことだと分かっている。自分の魔力の大きさを知らないディラン様には避けては通れない問題だということも理解できる。だけど、無理だ。純粋に私を守ってくれようとしているディラン様の思いを無下に出来なかった。
私が、上手く立ち回ればいい。
ディラン様には心を乱されることなく安心して生活していてほしい。
そんな気持ちになってしまえば、真実など言えなくなる。もし、ディラン様の魔法道具が私にまで危険が及ぶものだと知ったとして、彼はどう思うだろうか。きっと、王宮で私に魔法道具を与えたことを後悔し、そのせいで怪我しそうになったことを知ればショックを受けるに違いない。きっと彼は自分自身をどんどん受け入れなくなっていく。
強大すぎる彼の魔力は、ディラン様にはあまりにも負担だ。そんなものが無かったほうが、きっと彼は幸せだった。
「嫌なら違うの持ってくる?」
「いいえ、これがいいです。結婚指輪みたい……なんて思ってしまって」
私が、ディラン様の魔力を否定してどうする。彼の魔力を否定するなど、彼自身を否定することと同じだ。生まれ持った魔力などどうにもできないこと。それに悩んで苦しめられたディラン様にまた苦痛を味わわせることなどしたくない。
「結婚指輪って……可愛いことを言うんだね」
とろりと瞳を溶かして微笑むディラン様は、優しく私の髪を撫でる。その手つきは優しくて、この手から人を攻撃する魔法が放たれるなんて全く思わない。
ディラン様は、優しい人だ。
「じゃあ、薬指につける?」
「……薬指につけるには小さくないですか?」
「本当だ。じゃあ小指ね」
この魔法道具は、使わない。
「寮についたから、俺も帰るね」
残念そうにするディラン様の手を握って、微笑む。
「部屋に上がっていきますか?」
「いいの?」
「はい、ホリデーのせいであまり会えなかったので。お話したいなって……駄目ですか?」
首をブンブンと横に振ったディラン様の手を引いた。心なしかディラン様の顔は赤くて、「ベルが積極的だ……どうしよう……」なんて言って顔を片手で覆っている。
愛される、というのはとても心地良いものだ。ディラン様の今までの言動を見ていれば、彼が私を物凄く好いていてくれることはよく分かる。私を見つめる瞳は優しく、ベルと呼ぶその声はわたあめのように甘い。いつだって大切にしてくれるし、私のことをあらゆる悪意から守ってくれる。……だけど、私に触れるその指はいつもどこか怯えていた。
私を傷付けないように丁寧に髪を鋤いて甘い言葉を溢し、そっと唇を重ねる。私はその時間が何よりも幸福だったし、きっとディラン様もそう感じている。この幸せを、誰にも壊されたくないと彼が痛いほどに感じているのが分かってしまう。
「ベル、キスしていいかな」
ディラン様は必ずそう聞いてから、私の首筋を撫でる。頬は紅潮していて、ディラン様が少し照れているのが手に取るように分かった。
返事をする前に、少し体を伸ばしてキスをすれば、ディラン様は驚いたように目を見開き、首筋を撫でた手に力を入れる。片方の手は恋人繋ぎをされて、するりと指で手の甲をなぞられた。
私からキスをしたのが嬉しかったのか、何度も唇を離してはまた塞がれる。
「んっ」
鼻から抜けるような私の声に、ディラン様がぐっと手のひらに力を入れた。
うっすらと目を開ければ、膜が張ったようにぼんやりする。パチリと瞬きをすれば涙が頬を伝い、視界がクリアになった。目の前には、同じように目を潤ませたディラン様が艶かしく目を伏せている。
軽く手を握り返すと、漸く口が解放された。
ぼんやりとしていると、強く抱き締められる。手を恋人繋ぎに絡ませて、なされるがまま肩に頭を乗せた。
「……壊してしまうかと思った」
ぽつりと呟いたディラン様の声は言葉とは裏腹に恍惚としている。
「これくらいじゃ、壊れませんよ」
ゆっくりとディラン様の背中に手を回す。優しくてどこか臆病なこの人との幸せを、私が守らなければと強く思った瞬間だった。




