第88話 『Catfight!!!』
注意
言葉遣いが汚いです。
真っ暗な隠し通路に、足音が響く。ミラ様に協力してもらい、どうにか地下牢の行き方を知ることが出来た。特定の部屋に入って、そこから地下牢に通じる隠し扉を開くしか方法はないらしい。隠し扉を開く方法は教えてもらったので心配はないが、その特定の部屋、というのがとんでもない場所なのだ。
「ベル、やっぱり無謀な気がするんだが」
後ろから声をかけられて、ハッとする。ランプを持ったアズが不安そうにこちらを見ていた。
「王妃の部屋に忍び込むなんて……。あの、王妃だぞ? バレたら今度こそどうなるか分からない」
アズの言葉に、足を止める。こちらの装備は王妃様に立ち向かうと考えれば随分とお粗末なものだ。魔法を弾くミサンガ一つと、牢を壊すための魔法道具一つ。王妃様の部屋で王太子に腕を捕まれた瞬間、ディラン様からもらった魔法道具が反応した。反応したのはネックレスで、後で見ると割れて壊れてしまっていた。それに伴い、足首のミサンガも焼けたように千切れていて、あの魔法道具の威力に耐えられなかったのだと気が付いた。あの凄まじい閃光の中で私が怪我をしなかったのはミサンガのおかげだったのだ。
ディラン様の魔力が化物だとか兵器だとか散々なことをいままで聞いてきたが、彼の魔力の最も恐ろしい所は周りを巻き込んでしまうことだろう。ディラン様は生まれたときから強い人だから、どうしても弱者を理解できない。この魔法道具のせいで私が傷付く可能性など微塵も疑わなかったはず。私を守ろうとして、彼は魔法道具を私にくれた。だけど一歩間違えれば私が怪我をしていただろう。
彼はきっと、自分については何一つ理解できていないのだ。だから、感情的になるとすぐに魔力が暴走する。その魔力の大きさも、制御の仕方も何も知らない。生まれ持ったセンスで、自身の魔法を何とか形にしてきたことが奇跡のようにすら感じられた。
「はぁ、ララの言葉を今になって実感するなんてね」
「え?」
ポツリと呟いた言葉は意外と響かず、アズから聞き返される。
本音を言えば、ディラン様の力の異常さには薄々気が付いていた。怒ると発せられる無言の圧と、人を一瞬で感電させられるほどの魔力。普通ではないことくらい、なんとなく分かる。アリアもディラン様ルートではえげつない魔力を目の当たりにする、とか言ってたし。
ずっと黙っている私を、アズとシエルが心配そうに見つめる。
「ベルティーア様?」
「正直、無謀だと思うわ」
今度は意外にも声が響く。腕を擦るとむき出しのミサンガの感触がする。若干擦れてはいるが、まだ千切れていないだけ無事だと言えるだろう。ディラン様から頂いた魔法道具は残念ながら外させてもらった。あの魔法道具が発動して、私が怪我をしたとして、一番傷付くのはディラン様だから。
「無謀だけど、私はディラン様を助けに行きたい。いまこの瞬間にも、苦しんでいるかもしれないの」
「それは、分かるが……。ここで王妃の部屋へ行き、捕まったらどうするんだ?」
「この時間は、王族の夕食の時間だね」
アズの言葉に被せるように、シエルが声をかける。
「夕食後、王妃様は王宮の庭を散歩しながら月を眺めるのが習慣だよ」
「お前、そんな情報どこで……」
「兄上から教えられた。王妃様の一日の習慣をこと細かくね。こんなところで役に立つとは微塵も思っていなかったけど」
あはは、と笑うシエルは緊張しているようには見えず心強い。思わず肩の力が抜けた。
「ありがとう、シエル。それを聞いて安心したわ」
「お役に立てて光栄です。まぁ、ベルティーア様は何を言ってもディラン様を助けに行くと思うけど~!」
シエルの言葉にふっと笑って、先に進む。今王妃様が食事中ならば、都合のいいことこの上ない。おそらく侍女も出払っているだろうし、精々部屋の前に騎士がいるくらいだろう。
「ここね」
言われたとおりの手順を踏めば、すんなりと扉が開いた。
「隠し通路の扉と、地下牢への扉を開けたままディラン様を助け出すわよ」
「御意」
アズが素早く部屋に滑り込み、隠し扉を開けるために迅速に作業を進める。シエルは私の隣で、私を守ってくれていた。
王妃様の部屋はこの前来たときと全く変わっていなかった。主のいない部屋に明かりは灯っておらず、薄暗い。
「シエル、王太子殿下はどうなったか知らない?」
「王太子殿下?」
シエルは考えるように視線を泳がせて、あ、と小さく声を上げた。
「王宮にいた騎士が噂しているのを盗み聞きしたけど、今は過労かなにかで寝込んでいるらしいよ。熱があるだとか。あとは怪我してるって言ってた人もいたね」
正確にいうなら怪我で熱が出た、だろう。あのあと王妃様に何をされたのか、想像もしたくないが酷いことをされたのは確かだ。
部屋に誰か入ってこないか注意深く聞き耳を立てていれば、アズが小さく叫んだ。
「開いた!」
ズズズ、と床を擦りながら扉が開く。
「ありがとう、アズ」
アズにお礼を言って、隠し扉から現れた階段を下る。慎重に、しかし素早く。王妃様の夕食と散歩が終わる前に━━━!
「あらぁ?」
ぬるりとした言葉に、ぞわっと背筋が凍る。地下牢までもう少しと思ったところで、目の前に現れた人物に絶句した。ディラン様が閉じ込められたであろう牢屋から出てきた王妃様の手には鞭が握られており、鞭からは血が滴っていた。ヒュッと息を飲む。
「よくもまぁ、逃げ出してくれたわねぇ。腹立たしかったから、思わずディランを苛めてしまったわ」
よく耳を済ませば、カシャンカシャンと鉄の擦れる音に混じって呻き声が聞こえた。カッと目の前が赤くなった私を、アズとシエルが二人がかりで止めた。
「ディラン様を返して!」
「だめだ! 今行ってもベルが傷つけられるだけだ!」
「そうだよ! 僕たちの後ろに隠れて!」
怒りで息を荒くする私を、王妃様は愉快そうに見つめる。
「いやだわ。獣みたい。そんなに怒ることないじゃない、貴女の元婚約者を可愛がってあげただけよ」
うふふ、と微笑む王妃様に、今は殺意しか芽生えなかった。ふざけるな。ディラン様を傷付けて、ただでは済ませない。
「……ベル、逃げ……」
「あら、まだ喋れるの? こうやって封印してあげているのに思ったよりも頑丈ね」
王妃様は再び牢屋に入って、パシンッと鞭を打ち付けた。見えなくても、ディラン様が打たれたことは理解できる。
ブチッと血管の切れた音が、脳内によく響いた。私はアズの帯刀している剣を素早く抜く。
あ! なんて間抜けな声は私の耳に届かなかった。
「躾のなってない駄犬は困るわ」
やけに満足そうに牢屋から出てきた王妃様に、過去最速だろうと思われる速さで突撃する。突然目の前に現れた私を、大きな瞳が捕らえた。
「ふざけるな!!!」
剣を手に持ちながらも、足腰に力を入れ、思い切り殴った。王妃様の体が、牢屋にぶっとばされる。
中を見て、さらに怒りが増した。自分でもここまで怒りが込み上げてくるとは思ってなかった。
「べ、ベル……」
身体中に傷を負い、血だらけのディラン様が驚いたように目を見開く。
「ディラン様……! ごめんなさい。助けが遅れて……! あと、ちょっと目と耳を塞いでいてください」
「……え? ベル、前!」
ディラン様の言葉に咄嗟に前を向けば、鞭が飛んで来た。反射で腕を交差させて顔を守るが服と腕の皮が破れた。
「ふざけるな、ですって? お前は、私の、私の顔を! 殴った! 殺す! 打ち殺してやる!」
顔を真っ赤にして怒鳴る王妃様を、もう一度平手打ちする。パァンッと鋭い音に、彼女も呆然としたようだった。二度目がないと思ったか。あんたの剣幕に私が怯むとでも思ったか。
「私の婚約者を傷付けたくせに……! 拳で殴らないだけ有り難く思いなさい!」
キレてるのは私も同じ。
基本的に温厚で怒ることが少ないと言われる私でさえも、堪忍袋の緒が切れる。アズとシエルも今ばかりは危険を感じたのか口を挟むことすらしていなかった。
「……っ!!」
王妃様は声も出せずに怒りに震えている。
「あんまり怒ると老けて見えますよ」
「この、この、クソ女!!!」
バシッバシッと容赦なく鞭が飛んで来るが、それをアズから借りた剣で弾く。剣は重いけど、まぁ竹刀と同じだと思えば愛着も沸くだろう。ただ、『面』なんてした日には相手の頭がぱっかり割れるだけで。
「国母に向かって、その口の効き方は何!? 死ね! 殺す!」
「これが国母だって!? 笑わせてくれるわね!! 滑稽すぎて片腹痛いわ!」
柔軟な鞭と鋭い剣が交差する。
女同士の罵り合いに飛び込める者はその場に誰もいなかった。




