第87話 『贖罪』
朝起きたら、机の上に朝食が置かれていて驚いた。それらを優雅に食べている王女を、ぼんやりとベッドの中から見る。
「お早う。よく眠れた?」
王女の言葉に、パチパチと瞬きをしてからのんびりと寝ぼけていた脳が急速に回り出した。不味い、クラウディア王女より遅く起きてしまった。
「あ、お早うございます! すみません! 私、寝坊してしまって! お着替えとかは……」
「貴女は侍女でもないのだから気にしなくていいわ」
「えっと、その食事は?」
「さぁ? ディランお兄様がこの部屋に仕組んだ魔法じゃない? 調理室とこの部屋を転送魔法で繋いでいるとか。まぁ私たちには考えても理解できないことよ」
王女の言葉に、はぁ、と気の抜けた返事をしてから私も慌てて準備をした。そしてそこで化粧が出来ないことに気付き、絶望的な気分になる。
「ど、どうしましょう!? お化粧ができません!」
「化粧が出来ないくらいどうだっていいわ」
突き放すように王女に言われて、それもそうかと妙に納得した。ディラン様のことを考えれば、化粧一つで騒ぎ立てる自分がとても小さな人間に感じる。
「貴女も食べなさい。今日は動くのだから」
◇◆◇
クラウディア王女は約束通り、隠し通路を教えてくれた。複雑な動きで壁を押したり擦ったりなぞったりして、ようやく開いた。人一人が立って歩けるくらいの通路で、こんなものが隠されていたのかと少々驚いた。
「私はここで待っているわ。巻き込まれたくないもの」
素っ気ないクラウディア王女に一抹の寂しさを感じるが、元より彼女は王太子にしかなついていなかった。暗い隠し通路を一人で進むことには不安を抱く。だけど、進むしかない。
何があっても私を信じてくれたディラン様を、今度は私が助けるのだ。
「よし!」
軽く気合いを入れて、ランプを翳しながら進んでいく。壁に沿って歩いていれば、等間隔で壁に突起が現れる。成る程。ここを開ければ隣の部屋にいけるのか。仕組みをなんとなく理解しながら、道のりを忘れないように頭に刻み付ける。普通の道と違って目印になるような景色がないのが難しいところだ。
王太子が即位するまであと2日。なんとしても地下牢を見つけなくては。地下牢と言うくらいだから、地下に通じる階段とか━━。
少し疲れて足を止めた瞬間、肩にポンと手を置かれた。条件反射的に、悲鳴をあげそうになるが後ろの人物によって口を塞がれる。
「んー!?」
「私。ハルナ」
こっそり耳元で囁かれた声に、ほっと全身の力が抜ける。驚かせないでほしい。
「ハ、ハルナ……。どうしてここに?」
「ちょっと来て」
ハルナは私が来た道を正確に戻る。気が付けばディラン様の部屋までまた戻ってきてしまっていた。
「あ、戻ってきたわね」
ディラン様の部屋のソファーに座りながら本を読んでいたクラウディア王女が、私とハルナを見てそう呟く。
「クラウディア殿下。ご協力感謝致します」
ハルナの言葉に、クラウディア王女は軽く手を振っただけで視線は本に向けたままだった。ハルナが私の方を向いて、手短に説明してくれる。
「ある方に頼まれて……貴女を連れていきます。どうぞ、お静かにお願いしますね」
ハルナは畏まった口調でそれだけ言うと、再び私の手を引いて隠し通路に進んでいく。さっきと同じ道を通るならわざわざ引き返さなくても良かったのでは? と思ったが、どうやらそれは違うらしい。ハルナは壁をなぞって、なにやら指で書くと、突然目の前に階段が現れて次の階へ行けるようになっている。よく見たら足もなにかしてるような動きをしていて、階を登り降りするにはなんらかの手順が必要なのだろうと予測をつけた。
ハルナの指示通り、黙ったまま隠し通路を抜けて、ある場所で止まる。そしてコンコンとノックをした。こんな分厚い壁をノックしてどうするのだろうと思ったが、その扉がゆっくりと開いていく。
驚き、目を見開いた私の視界に蝋燭のような淡い光が届いた。
「ベルティーア様!」
「ベル!」
聞きなれた声に、すぐさま隠し通路から飛び出した。薄暗い部屋に、数人のシルエットが見える。二つは見慣れた人物のものだった。
「シエル! アズ!」
若干いつもより清潔感がないものの、いたって元気そうなシエルとアズに笑いかける。二人も同じように安堵の笑みを浮かべて私の方に駆け寄ってきた。
「あぁ、よかった。無事で。本当によかった」
「目立った傷もないみたいだし、今回ばかりは僕も肝が冷えたよ」
困ったように眉尻を下げたシエルに、さっきまでふわりと微笑を浮かべていたアズが「お前は呑気に地下牢でも寝てただろうが」と毒づく。
二人の存在に安心したところで、ハルナの存在を思い出してハッと後ろを振り向いた。しかし、そこはすでに閉ざされておりいつもの壁があるようにしか見えない。
「彼女は王家の特別暗殺部隊の隊長なので、この王宮と王城の仕組みについては熟知しています。なので、心配せずとも大丈夫です」
鈴を転がすような、美しい声。この声には聞き覚えがあった。薄暗い部屋のなかで、一際存在感を放つ大きな寝台。そうだ。ここは来たことがある。ミラ様を、お見舞いに来たときに。
「久しいですね。ベルティーア様」
目が慣れてきた今の状態だったら、声の主の表情がはっきり見えた。そこには蝋燭の光に反射する銀色の髪が美しい美少女━━ミラ様がいた。かつて見た時よりも随分と窶れた様子で、力なく笑っている。なぜだか生気を吸いとられる、という表現がやっと実感できた瞬間だった。彼女の存在は、あまりにも薄い。
「無礼を承知でお聞きします。今のミラ様の精神状態は正常なのでしょうか?」
「……貴女が警戒するのも分かります。自分でも、もう自分が正気なのか自信がありません。ですが、一つだけ、どうしてもやらなくてはならないことがあります。それだけは、死んでも成し遂げなければならない」
ミラ様は小さく手招きした。その仕草に、強制力は感じられない。未だ警戒心は解かないまま、ベッドの端で立ち止まる。アズとシエルも状況が全く把握できていないにも関わらず、口を挟まずにじっと私たちを見ていた。
私が立ち止まったのを見て、ミラ様が小さく息を吸う。彼女の唇も随分と荒れていると、この時気付いた。
「本当に、申し訳ありませんでした。言い訳に聞こえるかもしれませんが、何故自分が精神魔法を使えたのか、私は全く覚えていません。ですが、貴女に許されない行いをした、これだけは覚えています。貴女のドレスを台無しにするだけでなく、婚約者を唆し、公衆の前で貶めた。許してくれとは言いません。ですが、どうか、謝罪をさせてください。本当にごめんなさい」
ベッドの上で、出来る限り体を折り曲げてミラ様は深々と頭を下げた。
「本来であれば、しっかりと膝をついて謝罪をするべきなのですが、今は寝台を降りることもままならないのです。どうかご容赦ください」
ひたすら頭を下げ続けるミラ様をじっと見つめていた。どれほど、そうしていただろうか。膠着状態が続いた後、ふうと息を出す。ミラ様はずっと頭を下げたままだった。
「頭を上げてください」
私がそう言ってから、五秒ほどたって、やっとミラ様は頭を上げた。その瞳は彼女と会った中で一番穏やかなもので、私には彼女が狂っているようには到底見えなかった。
「十分です。貴女の謝罪を受け入れます」
私のその言葉に、ミラ様は「感謝申し上げます」と軽く頭を下げた。
「えっと、それで、今の状況を教えて頂きたいのですが」
本題に入ろうと思い、そう言えば、部屋の角からぬるりと人が現れた。影になって見えなかったため、驚いて一歩後退する。
「ミラお嬢様の侍女をしております、キアラ・コースティンと申します。お嬢様は体調が優れないため、長時間話すことができません。そこで、私が代わりにご説明致します。よろしいですか?」
影から現れた人物はミラ様の侍女であるようだ。アズとシエルをちらりと見ると、頷かれたので怪しい人物ではないのだろう。侍女の問いかけに肯定を示せば、綺麗なお辞儀をされた。
「お嬢様は以前からこの王宮、ひいては王族についてお調べになっておりました。そこで発見された数々の資料の中に、王宮の見取り図がございます。地下牢から脱獄なさったアスワド様とシエノワール様はベルティーア様の所に到着する前に、再び捕まる危険が高いと判断したため、この部屋にご案内いたしました」
確認するように二人を見れば、二人とも気まずそうに目を反らした。
「……いや、脱獄したはいいものの、ベルのいる場所が分からなくてな……」
「僕たちも随分堂々と王宮の廊下を歩いてしまってね。二人でキョロキョロしてたところをこの侍女に引っ張られてここまできたってわけさ」
……この二人は大丈夫だろうか。なんだか妙に心配になって、目を細めれば二人は更に焦ったようにあわあわ取り乱した。二人の能天気さは助けになるが、こうも無防備だと逆に心配だ。
「続けますね。ディラン殿下の護衛であるお二人とベルティーア様を合流させるため、ハルナ殿に頼んでベルティーア様を呼んでいただきました。そして、現在となります。ここまでで何か質問等があればお受けします」
ミラ様の侍女はハキハキと簡潔に話し、私たちを見る。今の説明で粗方わかったと頷けば、軽く会釈をされる。
「残念ながら、お嬢様はディラン殿下を助け出すことはできません。ですので、これからお三方に、地下牢の場所と行き方をお教えします。行くかどうかは、貴女方次第です」




