第86話 『才女』
突然私に声をかけたのはさっきまでじっとソファーに座っていたクラウディア王女だった。
「……え」
「ディランお兄様を助けたいの?」
思わず漏れた声に、クラウディア王女は聞き返されたと勘違いして同じ質問を繰り返す。私は呆けたようにポカンとしてから、慌てて何度も頷いた。
「も、もちろんです! 私にできることならなんだって……!」
「……そっか。泣いてたもんね」
クラウディア王女はぽつりとそう言ってから、真っ直ぐに私を見つめた。
「私は、貴女よりもずっと王家について詳しいし王宮についても知ってる。地下牢の場所は分からないけど、隠し通路の利用法なら知ってるわ」
「隠し通路、ですか」
「何かあったときに━━火事があったり敵に囲まれたり、危険が迫った時にこっそり抜け出すための通路が、王宮の各部屋には必ず存在する。そして、それを私たち王族は伝えられるの。お母様は自分の部屋しか覚えてないだろうけど、私は全て覚えてる」
「……全て」
私の呟きにクラウディア王女はこくりと頷いた。
「それは、この部屋も、ということですか?」
「そう。さすがにディランお兄様も構造までは変えないはず。だから、その隠し通路を使って上手く各部屋を行き来しながら地下牢を探して。お兄様が即位する、この3日の間に。きっとこの部屋の前ではお母様の騎士が待ち構えているだろうし、王宮全体で貴女を探してる。動くのには細心の注意を払って。じゃないと、また連れ戻されるわ」
クラウディア王女の言葉に、暫く考え込む。王妃様の後ろにガルヴァーニがいたとして、きっと彼は王妃様を上手く利用しようと考えるはず。彼の一番の目的はディラン様だ。ディラン様の器さえ手に入れば、世界を滅ぼすことだってできるわけだから、それが一番手っ取り早い。
となると、王妃様の狙いは私を王太子の婚約者にすることではなく、ディラン様を捕まえること。王妃様の部屋に私と王太子を閉じ込めたのは恐らく彼女の歪んだ趣味故だ。ディラン様を捕まえた時点で、この計画はほぼ成功していると言っていい。
そう考えれば、きっと王妃様はそこまで私を探さない。さっさと王太子を王様にして、ディラン様をガルヴァーニに献上するだけ。ガルヴァーニは学園外だと弱体化するみたいだから、きっとディラン様を学園に連れていく。それまでに何とか助け出さなくては。
「質問の許可をいただけますか、クラウディア殿下」
「許す」
「恐らく、王妃様はディラン様をどこか違う場所へ移動させようと考えていると思うのです。この予想は確実に当たっていると思います。そこで、クラウディア殿下に教えて頂きたいのですが、王妃様はどの期間、ディラン様を地下牢で拘束すると思いますか?」
学園に連れていくという部分を伏せてそう問えば、クラウディア王女はしばし考えるように視線を下げる。長い睫毛が彼女の頬に影を作るのをじっと見ていた。
「……私はてっきりお母様がディランお兄様を処刑すると思っていたけれど。遠くに、ね。それは考えていなかったわ」
何度か瞬きを繰り返し、そっと私と視線を合わせる。
「お兄様が即位するまでは、きっとお母様はディランお兄様を離さないと思う。お母様はディランお兄様をとても嫌っているから、瀕死寸前まで痛め付けないと気がすまないと思うわ。そんな人よ。それに遠くへ運ぶなら、王都が屋台と人で賑わっている今の時期は悪手ね。大きな馬車は通らないし、ディランお兄様を完全に拘束するためにも大きな器具がいりそうだから」
クラウディア王女はブツブツとそう言ってから、うん、と頷いた。
「あと、そこにある魔法道具」
壁にかけてあった小さな時計をクラウディア王女は指差した。
「それはディランお兄様の魔法道具だから、牢屋の鍵を爆発させるのに使ったらいい」
「爆発!?」
「うん、ディランお兄様は攻撃魔法なら誰にも負けないから、牢屋の鍵くらい粉砕できるわ」
「いくらなんでも粉砕は……」
「でも、牢屋の鍵を盗むなんて器用な真似は出来ないし、そんな時間はないわよ」
「……そうですね」
がっくりと項垂れれば、クラウディア王女はため息を吐いた後ソファーから飛び降りた。
「ディランお兄様の部屋なら生活に必要なものは全て揃っているから死ぬことはないでしょう。取り敢えず、今日は寝るわ」
「え!? ですが、隠し通路を……」
「私も疲れたし、貴女も疲れているでしょう。それに暗い中歩き回って騎士に捕まったらどうするの」
クラウディア王女の尤もな言葉に、私は渋々頷くことしかできなかった。
◇◆◇
ジャラジャラと鎖の鳴る地下牢で、芋虫のように二つの影が揺れる。
「おい、おい! 起きろ!」
「うるっさいなぁ……」
「お前は美しさが~とか言ってるくせに、よくこんな所で寝れるな!?」
地下牢ですやすや眠るシエルを怒りのまま叩き起こしたのはアスワドである。シエルは一瞬ビクリと体が跳ねさせたが、暫くするとすやすやと、また間抜けな寝息をたてる。あんだけ頭を殴られておいてこんな穏やかに眠れるとは。ちなみにアスワドはまだ叩きつけられた頭が痛かった。
「アスワド。聞こえるか」
地下牢に響いた声に、アスワドが勢いよく顔を上げる。
「はい! 聞こえます!」
「さすがに大声は出さないでくれ」
ディランの様子は全く見えなかったが、なぜだか彼が嫌そうな顔でその言葉を言っているのは想像がついた。彼はベルティーア以外のことであれば基本的に嫌な顔か、張り付けたような笑顔くらいしかしないのだ。
「体調は」
「少し頭が痛い程度です。ディラン様は?」
「全く力が入らない。魔力封じだけでなく、様々な封印が施されている。俺の檻だけ特別製だ」
チッと鋭いディラン様の舌打ちは意外にも響いて、その音でシエルが飛び起きる。俺の言葉よりディラン様の舌打ちで起きるってどうなんだ、とアスワドは呆れたようにシエルを見た。
「それにしても、地下牢というのに他の罪人はいないし、見張りの騎士もいないんですね」
「ここは王妃の特別な仕置き部屋だから。ちゃんと裁判で裁かれた罪人は王都にある刑務所で服役している。罪人なら、お前の近くにもいるはずだよ。王妃が殺した者たちが、ね」
アスワドが恐る恐る、壁際を見れば確かに人骨と思われるものや、使用人が着るような服が無惨に捨てられてあった。それを見たアスワドはそっと視線を反らす。
「想像以上にヤバいんですね。王妃様って」
「あぁ、イカれてる」
アスワドの言葉に、ディランは鼻で嗤った。
「見張りの騎士がいないのはこの部屋が恐ろしいのと、俺の影響だろうね。王宮の者は皆俺を怖がるから、魔力封じされていても近づきたくないんだろう。好都合だけど」
ディランの言葉に、アスワドは考える。これは、脱獄した方がいいのだろうか。幸い手錠などの拘束はされていないし、なんなら親切にも毛布すらかけてあった。
この待遇に思わず首を傾げる。シエルなんかは毛布にくるまってうとうとしているのだから。
「おい、シエル。聞いてるのか」
「聞いてるよぉ……。だけど疲れちゃってさ……」
「まぁ、ゆっくりさせてあげて。これから死ぬほど働かなくちゃいけないんだから」
ディランのその発言にアスワドは嫌な予感がしてぞっとした。
「シエルとアスワドは明日の朝、ここを出てベルの所に行って、絶対に守ってね」
「ですが、見回りが来たときどうすれば……」
「そこの骸骨でも毛布でくるめば人間が転がってるように見えるでしょ。あとは俺が誤魔化すから心配しないでいいよ」
「(骸骨をカモフラージュにするって結構えげつないことするな……)」
「骸骨を僕たちに見立てるのかい? ディラン様も随分恐ろしいことを考えるんだねぇ!」
「お前は急に元気になるな! そんで余計なこと言うんじゃない!」
急に話に割り込んできたシエルをアスワドが叱る。しかし、ディランにしぃーと静かにするように指示され二人同時に閉口した。
「俺は兄上の即位までなら多分大丈夫だ」
(たとえ王妃と言えども、ガルヴァーニの最高の器とされる俺を無闇に傷付けることはないだろう。問題なのはどうやって俺を学園まで運ぶか。この檻ごと運ばなければ、俺を拘束したままにはできない……が、今や王都はお祭り騒ぎでデカイ馬車が通っていたら嫌でも目立つ。罪人を入れるような檻を王都のど真ん中を運ぶのはいくらなんでも縁起が悪いし、式典でそれはタブーだ。ならば、この戴冠式まではきっと学園までは運ばれない)
ふぅ、とため息を吐いて、多少の屈辱は受け入れようと覚悟する。あの王妃は何がなんでもディランを傷付けようとするのは目に見えていた。ガルヴァーニがもしかしたら、ディランを傷付けないように言い含めるかもしれないが……。期待が外れるとその分ダメージが大きい。
下手物を食べさせられるか、セクハラをされるか、失禁させられるか。取り敢えずありとあらゆる最悪の事態を想定しておかなくては心が持たない。ただ、ベルティーアに見られないことだけでディランは、まぁマシかなと思える。彼もそこそこイカれていた。
「お前たちは早朝、ここを抜け出しベルを守れ。いいな」
二人は、ディランの覚悟を感じ取りながらも、素直に「御意」と返事をした。




