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第84話 『毒婦の狂宴 Ⅲ』

 ディラン様に、鞭が当たる。

 そう思った瞬間、身体は彼の元に駆けつけようとする。しかし、当然の如く騎士によって抑えられた。

 間に合わない。鋭い鞭の音に、思わず目を瞑る。


「母上、どうかお気を沈めてください」


 王妃様に背を向けて、覆い被さるようにしてディラン様を守っていたのは王太子だった。


「……私の邪魔をするのね。良いわ。あとで私の部屋に来なさい。ベルティーア嬢。貴女もよ」


 王妃様は手際よく鞭を仕舞い、くるりとドレスを翻しながら出口に向かう。気がつけば、アズとシエルも騎士に敗れて気を失っているようだった。


「ディランは陛下と王太子であるギルがいる晩餐で、魔法を乱用した。立派な反逆罪ね。王になれないことを逆恨みしているのかもしれないわ。アスワド・クリルヴェルとシエノワール・マルキャスも私に仇成そうとした。罪を問うには十分すぎるわね。全員地下牢に閉じ込めておきなさい」


 王妃様の言葉に、騎士は素直に応じる。恐らくはじめから、この食堂にいる者たちは王妃様の息がかかっている者だったのだ。

 でないと、咄嗟に王妃様を守ったり容赦なくディラン様を拘束するなんてできない。


「待って!!」


 首に魔法を封じる首輪を付けられ、騎士に拘束されたディラン様が叫んだ。


「お願い! ベルには手を出さないで! 俺はどうなってもいいから、鞭打ちでも拷問でもしていいから、お願いだ……ベルを傷付けないで……」


 今にも泣きそうな顔で、必死に懇願する。

 胸がぎゅうっと締め付けられた。こんな時でさえも、ディラン様は私を案じてくれる。

 なにがあっても、絶対にディラン様を助け出すと心のなかで誓う。鞭打ちや拷問なんてさせない。


「ふ、ふふ。いやだわ、そんなこと言われたら━━」


 王妃様は、にやりと口角を上げる。その表情は悪人そのものだった。


「お前の目の前でこの娘を嬲りたくなる」


 顔が強張るディラン様を見て、王妃様は哄笑する。


「くそ、離せ! ベル!」

「ディラン様! うっ!」


 自分を取り押さえる騎士を払いのけようとディラン様は必死に体を捩るが、簡単に拘束が解けるはずもない。悲痛な彼の声に、私もディラン様を呼んだが、私を拘束する騎士によって羽交い締めにされた。


「駄目よ。貴女はギルヴァルトの妻となるのだから」


 いくらもがいても騎士の腕からは抜け出せず、手足をバタバタさせることしかできなかった。食堂を去る王妃様に続いて、引き摺られるように連れていかれる。どうしよう、どうしよう。ディラン様があんなに悲しんでいるのに。


「ベル、ベル!」


 あんなに、私を呼んでいるのに。


 伸ばした手は大きな扉によって遮られた。


 ◇◆◇


 王城から王宮まで素早く運ばれた。後ろには王太子もいて、静かに着いてきている。そういえば、グラディウスとハルナはどうしたのだろう。視線を左右に動かすが、二人の姿は見当たらない。王太子を守ることが彼らの仕事のはずなのに……。

 そこで、不意に酷く震えていたクラウディア王女のことを思い出す。そうか、二人はクラウディア王女の護衛をしているんだ。王太子がそう命令したに違いない。

 王太子も、クラウディア王女も王妃様にとても怯えていた。鞭がしなる度に、クラウディア王女はビクリと肩を震わせていたし、王太子も手を強く握りしめていた。


 それよりも、どうやってディラン様とアズとシエルを助け出そう。今、魔法は封じられているのだから、ディラン様の力に甘えるようなことはできない。すべて、私の力で救出しなければならないのだ。

 アズとシエルも捕まったのは痛手だけど、どうにかしてグラディウスとハルナに協力してもらえないだろうか。王太子に頼んで、二人を貸してもらうしかない。そこら辺の騎士なんて誰も信じられないし。


 考えていると、気が付けば王妃様の部屋まで来ていた。細かい模様が彫られた美しい扉がゆっくりと開く。

 壁には絵画や剥製が飾られていて、あらゆるものが金で縁取られている。まさに、権力者に相応しい、お金を惜しみ無く注いだ部屋。


 ちらちらと室内を観察していれば、乱雑にベッドに投げられた。信じられない。王家とは比べものにならないかもしれないけど、これでも名家の令嬢だ。その私を、投げるだけじゃなくてベッドの上だって?

 扱いの雑さに憤慨するが、いや、それよりもこのベッドは王妃様のものなのでは……?


「お前たち下がりなさい」


 私を拘束していた騎士が綺麗にお辞儀をして、部屋を出ていった。使用人も人払いされ、私と王太子と王妃様だけになる。私一人だけベッドの上というのが居心地が悪かったので、立ち上がろうとしたら王妃様に止められた。


「いいわ、貴女はそのままそこにいなさい」


 すっと片手で制されるので、しぶしぶベッドに座り直す。ちらりと王太子が私の方を見たが、指示に従うように目で合図された。


「愛しい私のギルヴァルト。貴方の新しい婚約者よ。嬉しいでしょう?」


 王妃様は目を細めて、鞭の先端で王太子の顎を掬い上げる。王太子は一瞬顔をしかめたが、すぐに無表情に切り替えた。ずっと眉間にシワを刻むようにしかめっ面をしている王太子にしては珍しい表情だ。


「はい、母上」

「いい子」


 素直に返事をした王太子を、王妃様がゆっくりと撫でる。その撫でる手が艶かしくて、子供を撫でるような手つきとは思えない。


「お前は我が息子ながら本当に美しい顔をしているわ。嗚呼、愛しいギルヴァルト……」


 うっとりと、恍惚に目を潤ませて頬を紅潮させた王妃様は赤い唇を歪ませた。王太子の頬を指先で撫で、唇まで滑らせる。反対の手は王太子の腰をするりと撫でた。

 ぞわぞわと悪寒がして、思わず腕を擦った。王妃様の表情と王太子の人形のような暗い瞳を見れば察するに余りある。


 この人は、自分の息子に欲情している。

 手を握り締めている王太子は、当然ながらそれを喜んでいるようには見えない。当然だ。親に性的な目で見られて嬉しい人なんていない。


「苦痛に歪むお前ほど、美しいものはないわ、ギルヴァルト」


 しかも、痛みに耐える顔が性癖ときた。

 悪寒は止まることなく、悲鳴を上げないように口を押さえることしかできなかった。

 王太子はかつて、恋愛感情を抱いたことがないと言っていたが、これは恋をする以前に女性が苦手になっても可笑しくない。


 それでもなお、王太子は嫌悪感を表に出すことなく無表情のまま王妃様を見つめる。ただ、手はきつく握られており、小刻みに震えていた。

 王妃様が恐ろしいわけではないと私でも分かる。屈辱に震えているのだ。


「私に愛を囁きなさい、ギルヴァルト」

「……はい、母上。私は、母上を愛しています」

「どうか名前で呼んで」

「……愛しいジェヴィーナ」


 王太子の言葉に、王妃様は嬉しそうに笑う。美しい彼女の顔が、今は美しいと思えない。


「分かっているわ。お前は私を愛しているのに他の女を薦めるなんて酷い話よね。でも許して頂戴。これもお前のためなのよ」


 この人は、王太子に恋人のように愛を囁きながら、あの鋭い鞭で傷付けていたのだ。

 王妃様の視線が、こちらに向く。思わずビクリと肩を震わせた。


「ベルティーア・タイバス。貴女はギルヴァルトに愛されることはない。だけど安心なさい。王妃になれるように、私が協力してあげるわ」


 うっそりと笑って、私に向けていた視線を王太子に移す。そして衝撃的な言葉を言いはなった。


「今、ここで、同衾なさい」


 ヒュッと空気が喉に引っ掛かる。王太子でさえも、目を見開いて驚きを露にしていた。


「純潔を捧げれば、貴女を正式にギルヴァルトの婚約者として認められる」


 指がカタカタと震える。怖い。嫌だ。

 息が浅くなり、肩を忙しなく上下させる。ボロボロと流れる涙が止まらなかった。


「あらあら、怖いのね。大丈夫よ。痛いことなんてしないわ」


 貴女が逆らわない限りね。


 この人は勘違いしている。私は、ディラン様を裏切るのが怖いだけだ。他の人と一緒になるのが、涙が出るほど嫌なのだ。


「……分かりました。母上」


 長い沈黙のあと、王太子が動き出した。無言のまま、こちらに向かってくる。


「……っ!」


 首を振って拒否を示しても、全く止まる気配がない。


「や、いや!」


 無駄だと分かっていても、ベッドを飛び降りて出口に駆け出す。しかし、あっさりと捕まり、恐怖から血の気が引いた。ぎちりと王太子が強く私の手首を握った瞬間。


 目も眩むような光と衝撃が放たれた。



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[一言] 王妃ってなんでこんなになっちゃったんですか……?
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