第83話 『毒婦の狂宴 Ⅱ』
妖しく笑う王妃様に、何も言うことが出来ない。頷くことも否定することもできずに、ただ食事を運ぶ手が止まる。
「ディランの婚約者はどうするおつもりですか?」
王太子が硬い声でそう聞いた。王妃様はゆっくりと私から視線を外して王太子に微笑みかける。
「あらあら、私はベルティーア嬢と話しているのよ、ギルヴァルト」
「……申し訳ありません、母上。どうか発言の許可を」
「ふふ、そんなに怯えないで」
王妃様はからかうようにくすくすと笑った。
「ディランは教会の聖女と婚約させましょう」
王妃様の言葉に、王太子は驚いて目を見開いた。
「お言葉ですが、分家へ降嫁するのはクラウディアのはずです。本家であるヴェルメリオ家から男児を分家に降格することは禁じられています」
ヴェルメリオ王国では、宗教について厳しく制限されていない。信仰する神様は自由で、中には無宗教の人も一定数いる。
ただ、主に信仰されている宗教は存在した。それが、聖ヴェメラ教。国の主な宗教的行事である星の采配の日に関してもこの教会が執り行う。
王族と教会の関係は、本家と分家というそれだけである。王家の権威を高めるためだけに存在する教会に、信仰を多く集める宗教のような強い権力はない。教会と王族はほぼ同じものであり、雲の上の存在である王族を崇めるために、教会にお祈りする程度のことである。
星の采配の日にしたって、大層なものではなく前世で言うところのクリスマスやお正月に近い。家でちょっと贅沢するような、そんな日だ。
本家と分家という関係を保つ王族と教会ではあることが決められている。それは、魔力を持つ王女は必ず教主に嫁ぐこと。
王族の男児は、王の臣下として本家に仕える。女児は分家に降る。それが決まりだ。学園で法学を学べばみんな知るほど基本的なこの国の規則。
聖女だって、前世の住職の方みたいなもので、人を慈しむ心だったり、勉学だったり、努力すれば誰でもなれる職業のようなものだ。漫画でよくある、異世界から召還される特別な存在ではない。
なのに、魔力を保持するディラン様を分家に婿入りさせるなんて信じられない。国の法律が変わってしまう。
「それに、ディランは先祖返りで類い稀なる魔力量を保持しています。その血を分家に流せば教会の勢力が増してしまうかもしれません。現在は均衡を保っている本家と分家ですが、分家に強力な魔力持ちが現れたら謀反を考える可能性だってあります」
王太子が必死に王妃様を説得しようと試みている。
ディラン様が他の人と婚約するなんて絶対に嫌だ。優しいあの笑顔が、私ではない誰かに向けられることを想像すれば、胸が締め付けられるように痛む。
「━━ギルヴァルト」
言葉を続けようとした王太子が、ビクリと固まった。条件反射のように大人しく口を噤む。
「今日は失言が多いわね」
一気に、その場の空気が重くなった気がした。
ガルヴァーニが魔力を放出させた時のように恐怖で身がすくむ。だけど、これが魔力ではないことは感覚で分かる。王妃様の覇気とでも言えそうな、風格に萎縮してしまうのだ。威圧感が半端じゃない。
カタカタと指が震えるのをなんとか抑えようとした瞬間、パリンッと照明が割れた。
入り口付近の照明だったので誰もガラスを被ることはなかったが、今度は地震のように机が揺れる。
「ディラン!」
王太子の鋭い声をかき消すように机がひっくり返った。使用人の悲鳴と、食器やグラスの割れる音が響く。
「……ふざけるな。ふざけるなよ!!」
バチバチと火花を散らすようにディラン様の周りに光が集まる。これは、ディラン様が王太子と喧嘩した時になった現象と同じだ。
「俺からベルを奪うなんて絶対に許さない!」
凄まじい爆風に、その場に立っているのが精一杯だった。声を張り上げてもディラン様には全く届かない。食堂の窓が割れ、誰もディラン様を止められない状態にその場がさらに混乱する。
そんな中で、王様は沢山の騎士に護衛されながら静かに食堂を出て行った。
『国王には期待するな。あの人は、母上の味方でも、私たちの味方でもない。最も恥ずべき傍観者だ』
王様は、最初から最後まで私たちの会話に入ることはなかった。ただ、そこにいて食事をしているだけ。私たちなんか見えてないみたいに、ひたすら手を動かしているだけだった。
「陛下に仇なす化物よ」
王妃様の声とともに首筋に冷たい感触がした。
「婚約者が大切ならば、今すぐ膝をつきなさい」
刃物が、自分の首に突きつけられていると気付くのにそう時間はかからなかった。すぐに爆風が止み、光も火花も嘘のように消え去る。
「ベルに触れるな!」
「聞こえなかったかしら? 膝をつけと言ったのよ」
ナイフの鋭い刃が、首の皮を破る感覚にゾッと体を震わせる。首筋に伝う液体は紛れもなく血液だ。ディラン様は唇を噛み締めながらも、言われた通りに膝をつく。
私のせいだ。私が、油断していたから。
首に刃物を突きつけられているなんてお構い無しに、思い切り体を捩る。多少首の皮が切れたってどうにかなるはずだ。
「あらあら、いけないわ。とんだお転婆さんね。躾が必要かしら?」
ナイフを持つ手が怯むように緩んだ。この隙に逃げようと王妃様を押し退ける。
「母上! 止めてください!」
「駄目です! お母様!」
王太子とクラウディア王女の声が聞こえたと同時に、パシンッと乾いた音が鳴った。足に鋭い痛みを感じて、ガクンっと床に座り込んだ。
「っ!」
痛みに顔を歪めると、さらに脅すような、床に鞭を叩きつけるような音が背後から聞こえる。
「アスワド、シエノワール」
床に膝立ちのまま、ディラン様が静かに二人の名前を呼ぶ。乱れた髪の隙間から、ギラギラした青い瞳が鈍く光っていた。
アズとシエルはディラン様に呼ばれたと同時に、王妃様に殴りかかる。
「か弱い淑女に殴りかかるだなんて、冗談もほどほどにして欲しいわ」
アズとシエルを止めたのは二人の騎士。
攻撃を止められた二人は驚いたように目を見開いた。
「なめられたものね。私に護衛がいないとでも思っているのかしら? 大した訓練も積んでいない貴方たちなんて赤子同然よ」
どう見ても、二人は王妃様の護衛に押されている。アズとシエルが強いと言えども、それは同年代の間での話だ。大人と戦うなんて分が悪すぎる。
「あぁ! もう! 折角セットした髪が崩れる!」
「よくそんな無駄口叩けるな!?」
シエルは当然のように拳を使って戦い、アズは剣で応戦していた。
「ベル! 伏せて!」
ディラン様の言葉に、反射的に身を屈める。この時ばかりは、前世でやっていた剣道が生きていた結果だと言えるだろう。
「お前は本当に醜い化物ね」
王妃様に飛びかかろうとするディラン様の前に、二人の騎士が立ち塞がった。そして二人がかりでディラン様を拘束する。
「ディラン!」
「止まりなさい、ギルヴァルト。クラウディアも見えているわよ」
ディラン様の方に駆け寄ろうとした王太子と、私の方に来てくれようとしたクラウディア王女がピタリとその動きを止める。
パシンッパシンッと鞭が床を打つ音がやけに近くで聞こえた。
「可哀想なギルヴァルト。背中が疼くのでしょう? それとも、また躾して欲しいのかしら?」
クラウディア王女は怯えるようにその場に座り込む。王太子は辛うじて立っていたが、震えているようにも見えた。
ディラン様は二人の騎士によって地面に押さえつけられている。魔法が使えると言っても、私が王妃様に捕まっている以上迂闊なことはできないのだろう。未だ鞭で打たれたせいで痺れの残る足が恨めしくて、唇を噛み締めた。歩くのに支障はないだろうが、回復するのに時間が掛かる。
悔しい。ディラン様を化物呼ばわりするような人の足元で座り込んでいる自分が許せなかった。
「私は、ディラン様以外の方と婚約する気などありません!!」
首にナイフを突きつけられながらも、せめてもの抵抗として叫ぶ。途端、パシンッと頬に熱を感じ、平手打ちされたのだと理解する。
「ベル!」
ディラン様の焦ったような声色が、どこか遠くに聞こえた。
「忌々しい娘だけど、今はこれで許してあげる」
私を他の騎士に預けて、王妃様はディラン様にゆっくり近づいた。
「這いつくばるお前を見下ろすのは思ったよりも心地がいいものね」
王妃様が愉悦に歪んだ表情で、ディラン様を見下ろしながら首輪のようなものを取り出す。太いベルトには金属の鎖がついていた。
「ほら、化物が汚い駄犬に早変わり。ふ、ふふふ! よくお似合いよ!!」
その首輪をディラン様に着けて、王妃様は狂ったように高笑いする。何がなんだか分からなくて、その場の誰もが目を白黒させた。
「━━ぇ?」
しかし、ディラン様は目を見開いたまま、信じられないといった風に王妃様を見上げる。
「分かるでしょう? その首輪はお前の魔法を封印するものよ! 魔法の使えないお前など、恐怖する価値もない! あはははは!」
王妃様はパシンッと鞭を鳴らし、大きく腕を振りかぶった。




