第80話 『王命』
王妃からの招待状を受け取り、すぐにディラン様に手紙を書いた。王族の会食に招待されたことを綴れば、安心して王城に訪れて欲しいと力強い言葉を頂いた。
ディラン様がいれば安心だろうと、ほっと胸を撫で下ろす。彼の隣にいれば、恐ろしさや不安が払拭されるのだから不思議だ。たった数週間会ってないだけだというのにもう会いたくて仕方がない。
「姉上、突然変顔をしてどうしたんです?」
ウィルの言葉に顔をしかめた私を見て、向かいに座って本を読んでいたウィルが鼻で笑う。相変わらず失礼な弟だ。
シエルが来た日には驚くほどの頭の良さと私への思いやりを発揮していたというのに。まぁ、素直じゃないのも可愛いところなんだけど。
「ディラン兄上の手紙でだらしない顔をするのは止めてくださいよ」
「あら、婚約者からの手紙を喜ぶのは当然のことよ」
「喜ぶなんてそんな可愛い顔じゃないですよ。身内の甘い恋愛ほど見ていられないものはないんですから」
ウィルは心底嫌そうに顔を歪める。言いたいことは分からなくもない。ウィルが婚約者といちゃいちゃしてたら他所でやれ、くらいは思ってしまうかもしれない。要は鬱陶しいのだ。
「……それもそうね。これからはちゃんと部屋で見るわ」
「ほんと、そうしてください。姉上とディラン兄上のことはもちろん応援してますけど、別に惚気ているところを見たいわけじゃないので」
至極当然のことを言われて、思わず口を閉じた。ウィルは知らん顔で本を読み進める。どうやら学園で習う国学史の予習をしているようだった。本は本でも教科書だったか……。
勉強熱心な弟に感心しつつも、ふと気になることを聞いてみる。
「ここだけの話、ウィルにも婚約者とかいないの?」
「言い方が厭らしいですよ」
極限まで顔をしかめて、ウィルは呆れたように私を見た。
「私だって、ウィルの恋を応援したいわ」
「好きな人なんていないですよ」
「本当に? でも、私よりはずっと出会いがあるはずよ」
「それはそうでしょうね。パーティーに出席して男性と話すなんて、どう考えてもディラン兄上が許さない案件です」
ウィルは頷きながらも本を読む手は止めない。
この手の話はしたくないのだろうかと肩を落とした。無理強いすることではない。
「好きな人がいないのなら、尚更縁談の話もあがっているのではなくて?」
何気なくそう言えば、ウィルの手がピタリと止まった。
「……えぇ、まぁ」
ウィルは目を泳がせてから曖昧な返事をする。なぜ曖昧な返事をするのかは分からないが、縁談があるのは当然の話なのだ。なにせ、ウィルはこのタイバス家の次期当主で、私は第二王子の婚約者。地位はあるし、ウィルだってとんでもなく顔が良い。隠れキャラと言われても遜色ないほど整った見目をしていた。
「早めに婚約者を決めないと学園で面倒なことになるわよ」
「分かっています。……でも━━」
「でも?」
ウィルは言いにくそうに視線を下げてから小さな声でポツリと呟く。
「忘れられないんですよ」
「……なにを?」
「初恋を」
これには声を出せずに目を見開いた。驚きすぎて言葉が出なかったのだ。
下手なことを言わなくて良かったかもしれないが、まさかウィルからこんな素直に聞けるとも思っていなかった。
「……ウィルの初恋はシエルよね?」
「……」
「シエルは、男の子ではないの?」
疑問系にしているが、当然シエルは男だ。
「もしかして、男の人が好……」
「違います! それは違うんです! 俺も沢山のご令嬢に会って、とても可愛らしい方も勿論いました。ですが、あの時のような……胸の高鳴る感じがしないんです」
ウィルは切なそうに顔を歪めて、目を瞑る。その様子は認められない恋に身を焦がす切ない少年そのものだった。
「それに、シエルに縁談の話をすると……いつも女装姿で私以外を好きにならないで、と強請られるんです」
それをシエルが無意識でしているのか、面白がってしているのか問い詰める必要がありそうだ。あまり弟を虐めないで欲しい。
「いいのよ、ウィル。誰を好きになったって、私はウィルを尊重するわ」
優しくそう言えば、ウィルは泣きそうな顔で私を見た。こっちまで切なくなってしまう。
「ところで、ウィルはシエルのどこが好きなの?」
「顔ですね」
即答で答えたウィルを見て、彼に恋は早いかもしれないとこっそりため息を吐いた。
◇
再び本を読み出したウィルを見て、私も紅茶を飲む。爽やかで美味しい。やはり自分が入れたものとは比べ物にならないな、と自嘲した。
「ベル、ウィル」
声のした方を見れば、眼鏡姿のお父様が疲れたようにリビングのソファーに座る。突然隣に座られたウィルは驚いたようにお父様を見ていた。しかし、すぐにハッとしたように体を端に寄せる。
「王命が下った」
突然の言葉に思い切り顔を上げた。ウィルは険しい顔をしている。
「どうやら国王陛下が退位なされるようだよ」
思ったより早いな……。
ディラン様の手紙から、早いうちに王が退位するだろうと書かれてあった。しかし、こんなに早いとは全く思っていなかった。
「戴冠式は二週間後。どこの貴族にもこの知らせは届いているだろう」
「二週間後……?」
「……姉上が王族の会食に呼ばれたのは戴冠式の三日前ですよね」
ウィルの言葉に体が強張る。そうだ。三日前に招待状をいただいて、今日王命が下ったのだから王族との会食は戴冠式の三日前。
「国王陛下の退位は貴族の間でも噂になっていましたが、まさかこんなに早く退位なさるとは……」
「噂?」
「あぁ、姉上は知らないですよね。貴族の間では陛下の魔力が少なくなっているのでは、と。王宮に籠っていらっしゃるようなので」
「憶測で話すものじゃないよ」
お父様の鋭い指摘に、ウィルは目線を下げて小さく謝罪した。
「噂を利用するのは一つの選択だけど、鵜呑みにするのは愚者のすることだ」
「……はい、父上。肝に命じます」
「とはいえ、それもただの噂としてはちょっと事が大きすぎるね」
お父様はふっと微笑んで、硬い表情をしたウィルの頭を撫でた。
「ち、父上!?」
「そう暗い顔をしない。ベルが心配なのは分かるけど、残念ながら僕たちにできることはないよ」
「……ですが、姉上を王族の会食に招待するなどどう考えても怪しいです。ミラ様も体調が優れないようですし、この時期に戴冠式をするというのもタイミングが悪いかと」
ウィルの言葉に、お父様は考えるように目を瞑って腕を組んだ。
「基本的に戴冠式前後、王都は異常に賑わう。新しい王の誕生なわけだから、当然と言われれば当然だね。戴冠式の後は王族主催の豪華絢爛なパーティーも開催される。新しい王が主役の、はじめてのパーティーだ」
想像以上に規模の大きな話に驚いてしまった。いや、王族にまつわるものなのだからそれくらい豪華にしなければならないだろう。
「学園も休みだから、むしろこの時期が望ましい。戴冠式には教会も関わってくるし」
「なるほど……。それにしても今の王族はきな臭いですよ」
「大丈夫。僕はディラン殿下を信じているよ」
にっこりと微笑んだお父様に、ウィルは瞠目する。
「なぜ、ディラン兄上を……?」
「彼ほどベルを愛している者はいないだろうし、何があっても守ってくれるさ。……なにがあっても、ね」
どこか含みがある表現をして、お父様は席を立った。休憩時間は終わったようだ。
ポツリと居間に残された私たちは顔を見合わせる。
「お父様も相当打算的ね……」
「はぁ、恐ろしい人ですよ」
恐らく、お父様はディラン様が異常な魔力を保持していると知っている。その上でディラン様に私を任せる、と。まぁ、お父様はお母様さえいればいいからそんな思考回路になるのかもしれないけど……。
会食のことを考えると、緊張からか胃がキリキリと痛んだ。




